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第43話 それぞれの光、青空へとアンコール⑤

「ごめん!待った?」  学校の裏門の、桜の木の下で、俺は振り返った。  白い道に、木漏れ日は地上にまばらに薄い影を作って、頭上には花ひらく桜の重なる薄紅。  さっきまで降っていた雨が、新緑の葉の上で、透明な滴になって溜まっている。  ぽとん、と一粒落ちて、地面へと沁みていった。  強い春風は、向こうから走ってくる、茶色いくせっ毛を流して、紺の制服のすらりとした姿が、片手を軽く上げた。 「葉司!」  俺たちは三年生になって、始業式の終わりに、学校の裏門で待ち合わせをしていた。 「優」  その明るい瞳を見上げれば、唇は自然と微笑みになる。 「どうだった?優のクラスは」 「まっさか!瑠奈と一緒とかありえねぇッ」 「あー、うん。瑠奈からメッセージ来てた。同じこと言ってたよ」  思わず笑うと、優は憮然とした顔をした。 「原は、ようやく瑠奈を諦めたみたいな。葉司は、剛田と一緒かぁ。あーもうっ、変わって欲しい」 「うーん、一緒にはなれなかったね」  それは残念な気持ちは隠せない。 「高校の最後の一年は、葉司と同じクラスで過ごしたかったー」 「ほんと」  正直に言って、溜め息をつくと、ぐいと葉司に腕を引っ張られた。  いつもの裏門のすぐそばの、茂みに隠れた場所へと入って、塀を背に、葉司に抱き締められた。 「葉司、いつかずっと、一緒に――」 「いつか……」  この先に、二人でいつか、大人になったら――  そんな想いは、どちらからも言葉にならずに飲み込んだ。  春風に吹かれて、桜の花びらが、ピンクの流線を舞って、ひらひらと落ちていった。  目と目を見交わして、指先を少しだけ握り合って、どちらからともなく、そっと触れるだけのキスをした。 「今日、ちょっと時間あるんだ。どこか寄っていく?」 「うーん、そうだなぁ」  また白い道を二人で歩き出して、何気ない会話が続いていく。 「優!」  後ろから急に声がかかって、俺たちは振り返った。 「よぉ。やっぱりこっちだった」  にやりと片頬だけを上げて笑ったのは剛田で、去年よりもまだ背が伸びている気がする。 「あー葉司、全然一緒のクラスになれなかったよッ」  どしん、と俺にぶつかるように抱きついてきたのは瑠奈で、長い黒髪がさらりと流れて、首筋からは小さな花のような良い香がふんわりと漂った。  その華奢な体を受け止めて、黒髪の上にとまっているピンクの花びらを、指先でつまんだ。 「ついてる。可愛いけど」 「ほんと?」 「うん。瑠奈に嘘は言わないよ」 「嬉しい、葉司」  瑠奈はぎゅっとくっついてきて、俺の肩に小さな頭をもたせかけた。 「あーもうっ!」  優が、俺と瑠奈をがばっと引き離した。 「なんで、邪魔しに来るかなッ?もう、しっしっ!」 「それ止めなさいよッ。ほんと失礼だから!」 「邪魔しなけりゃ言わねぇっての」 「俺は、引っ張って来られただけだかんなァ」  後ろのほうから、原が呆れたようにそう言って、のんびり歩いてきた。 「仁木がさっさと出て行ってから、優だと思ったけど」  剛田は何気なくそう言って、肩をすくめて笑う。 「あーもう、クラス変わって欲しい」  優は、剛田の肩を軽く叩く真似をして、憮然と唇を尖らせた。 「まあ、仁木のことは俺に任せろ」 「わざと言ってんだろ?あー腹立つ。だいたい俺と葉司の貴重な時間なんだから、邪魔しに来るなよッ」  優は子どものような口ぶりで言った。  舞い落ちる桜の花びらを追うように、数歩先を行っていた瑠奈が、ふわりと振り返った。  紺のスカートがひらり翻って、黒髪とともに風になびいていく。  白い歯をのぞかせて、黒い大きな瞳を一度瞬いて、笑った。 「一緒に帰ろうよ。友だちなんだから」  微笑みは、春の花の精のようで、優しい。  俺は、ぐるりと剛田と原の顔も見渡した。  友だち―― 「そっか……」  友だち、なんだ―― 「ほら、葉司は良いって。行こうッ」  瑠奈が、白い手を上げて、俺たちを呼ぶ。  その大きな瞳が、俺たちの後ろにある青空を見て、ふっと止まった。 「あ、ねえ」 「ん?」  俺が答えると、瑠奈に視線が集まった。  瑠奈は、天使のような高潔な横顔で、指先を上げて、まっすぐに空を指した。 「見て――虹」  俺たち四人は、瑠奈の指す、後ろの青空を振り返った。  五人いっせいに、天使の羽根のような白い指先の向こうにある、同じ空を見上げた。  そこには、かすかにグラデーションをかけた、透けるような虹がかかっていた。  半分あたりで途切れた、すぐに消えてしまいそうな虹は、それでも確かにそこにあった。  優が、そっと俺の肩に手をかけた。  その手の重みは確かなもので、限りなく愛しいもの。  俺は静かに、優の手に、自分の指先を重ねた。  雲ひとつない空を見上げている。  空はうっすらとした青に広がって、きらきらと小さな光がこぼれて、どこまでも続くように見えた。  きっと、前より広い世界を見ている。  たった一つの人生で、たった一つの自分自身で。  二度と戻らないこの時間で、二度と戻らない愛を抱きしめている。  かざした手の隙間からこぼれた光は、同じ空の下、俺と優にも降り注いでいる。  自分だけの指を、目の前でひらいて。  そこには、重なるように、いろんな場面の自分がいる。  長い孤独の闇をくぐり、過去のひずみを抜けて。  雨上がりの空にかかる虹を、初めて見て。  失ってしまった翼をもう一度背中に、何処までも、翔んで行きそうな。  そっと息吸い込んで、きらきらした願いをこめて、この心を高みまで飛ばしてしまいたい。  この手をつかんでくれた、やさしい手を繋いだままで。  さあ、想像してみる。  自分の可能性と、彼の可能性と。  瞳輝かす彼の光は、もう遠くではなく、隣にいて一緒に歩いていく。  俺が大事に、恐れずに抱きしめている限り。  もう誰とも比べない、自分の心をおとしめたりしない。  誰もがきっと、生まれた時に持っている小さな光を、失ってしまう日があっても。  高くジャンプするために、もう一度そのきらめきをアンコール。  空を頭上に、自分だけの光を集めたアーチをくぐって。  それぞれ思いのままに、自分の色で染めて。  二人でずっと、こぼれた笑顔を育てて、お互いの色で育てて行く。  花ひらく瞬間を、きっと世界が待っているから。  もう、行こうか、この場所から。  ほら、前よりもトクベツな自分になって、出会った時の春風に吹かれて舞い上がるように。  心を何度も真っ白な画用紙にして、自分っていう絵の具で、大きく絵を描いて。  目的地は、そう、未来。 <本編完結> (サイドストーリー「side 優」を2話足す予定です)

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