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【6】SIDE蓮見(6)-6
「家なんて滅多に買うものじゃない。ほとんど一生に一度の買い物だ。一生分の借金を背負うことだって皮肉を言う者もいる。それを、絶対にあの人に頼めば大丈夫だと、客自身の責任で知り合いに勧めるほど信頼されてる。それが、どれほどのものかわかるか」
蓮見はただ別府の言葉を待つだけだ。
「案外言えないもんだ。自分はいいと思ったけど、くらいに濁す。言われたほうだって、簡単に耳を傾けない。紹介料みたいなものを出す場合もあるから、そんなものが欲しくて勧めてるんだろうくらいに受け取る」
商品券やギフトカタログなどが紹介者に渡されることは、珍しくないという。そんなものが欲しくて勧めても、相手は信用しないだろう。
「本気で、全力で勧めなきゃ、紹介なんて、まわりが思うほど簡単にはまとまらない。客自身が心から満足してなきゃ、本気で勧めることなんかない」
安田家の娘、真由が誇らしげに胸を張っていた姿を思い出す。
「そこまで満足できるのは、完璧に対応された時だけだ。まあまあよかったとか、だいたいよかったとか、そんな一般的なレベルじゃない。感動するくらい完璧に対応されて、はじめてそれだけ満足するんだ」
蓮見は黙って頷いた。だがな、と別府は続ける。
「この仕事に、完璧なんてものはないんだ。無理だろう? 家族の間でさえ、意見が合わない。家に求める理想がそれぞれ違うんだ」
「ええ……」
目に見えるものがないから。
形のないまま夢を売るのが注文住宅だ。
まだ何もない状態で思い描く「夢」や「理想」を形にしてゆく。けれど、「夢」も「理想」も「現実」に置き換えてゆくうちに、何かが変わってしまう。矛盾が生まれ、夢の一部を捨てたり諦めたりしなければならなくなる。
何を残して何をやめるか。
すでに出来上がったものではないから、迷う。迷った末に後悔が残ることもあるだろうし、途中で夢を見失うこともある。出来上がったものを見て、思い描いたものとは違うと感じることもある。
真新しく綺麗な家を見れば、たいていの人が満足するし、よかったと思うだろう。けれど、それでも、家を建てることは正解のない問題を解くようなものなのだ。
出来上がったキッチンをそっと撫でていた安田夫人の姿が瞼に浮かんだ。
これでよかったと、本物の正解を手に入れた人の姿だ。
「完璧な対応なんかできない。だが、三井はそれをやってのける」
実際には、客の望みを可能な限り実現させる努力をし、その上で、できない部分は納得するまで調整するということなのだろう。けれど、その労力は半端なものではないと別府は言う。
「しかも、それをずっとやり続けている。完璧にだ」
俺には無理だ。
ため息のように、大ベテランの営業マンは呟いた。
「三井は、完璧であることが当たり前だと思ってるんだと思う。時々、怖くなるよ」
「怖く……?」
蓮見は別府の顔を見た。
「……いずれにしても、あんなに化けるとは思わなかった。入ったばかりの頃は人形みたいに無表情で、こんなやつが客の案内なんかできるのかって心配したもんだが……」
「別府所長は、そんな昔から三井さんを知ってるんですか」
「入社した時からだな。だけど、そんな昔って、おまえ……。まあ、蓮見の年じゃ、六年は昔か……」
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