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【11】SIDE三井遥(2)-2

 タクシーに乗り込んだ後も、梓はずっと頭を下げていた。  そうして、梓が二十一年間、遥は生まれてから二十年の月日を暮らした大きな屋敷を、二人は後にした。  三井家が遥たちに用意したのは、六畳の和室が二間と四畳半の板の間、それに洗面台とトイレがある古い離れだった。  風呂と台所はなく、ガスは通っていなかった。  もともとは、夫婦で住み込んでいた使用人のためにあった仮住まいのような建物で、造りは簡素でエアコンや暖房器具もついていなかった。 「冬になったら、何か部屋を暖める道具を買わないといけないね」  雪の多い地域だ。暖房器具なしではとても生活できない。  遥の言葉に、梓はただ「そうね」と言って頷いた。  食事は朝晩、主たちと同じものを母屋から人が運んでくる。  食の細い梓にはのどを通りにくいものも多かったが、もちろん文句など言えない。洗面台の水道から水は飲めたが、ガスも冷蔵庫もないため、それ以外の飲み物を口にする機会はなくなった。  母屋の家族に気を使いながら、深夜零時近くなって(しま)い湯をもらう。  それ以外は極力人目に付かないよう、息をひそめて暮らした。  それまでの生活があまりに恵まれすぎていたこともあり、二週間も経つ頃には遥も梓もすっかり疲れ切っていた。 「美味しいコーヒーが飲みたいね」  遥の言葉に、梓はただ寂しそうに笑った。せめて湯を沸かす道具があれば、梓にも熱い紅茶を淹れてやれるのにと思った。  遥は気づいていなかった。本当の苦しさはその先にあるということに。  昼間、大学に通っている遥は、当たり前のように昼食を外で済ませていた。必要なものがあれば、これまで通り何も気にせず気軽に購入していた。  宗森の家で暮らしていた頃、梓は月に一度、十分すぎる額を遥に手渡していた。封筒に入れられた数枚の一万円札は、離れで暮らし始めて一ヶ月半ほど過ぎた頃、全てなくなり底を突いた。  遥は何げなく梓に言った。 「お母さん、少しお金をもらってもいい?」  その頃には、梓は起きているのが辛そうなほど痩せて青い顔をしていた。その顔がさらに青ざめたように見えた。 「そうね……。ちょっと待ってね」  震える手でハンドバッグの中を探るが、出てきたのは通帳と印鑑とわずかな現金だけだった。

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