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【11】SIDE三井遥(2)-3
「ごめんね。もう、あまり下ろせないの。学費を、取っておかなくちゃいけないから……」
通帳には多少まとまった額を示す数字が記載されていた。だが、最後の日付を目にした遥は、通帳を閉じ、表に書かれた名義を確認した。
佐藤 梓。梓の結婚前、三井家の養女になる前の名がそこにあった。
再び中身を確認する。
梓が高校生だった頃の日付が並んでいた。毎月一万円、コツコツと律義に積み立てられている。三年弱の間に約三十万円。
その一年後にまとまった額が振り込まれていた。
備考欄に「キョウサイキン」とある。梓の祖母、遥からは曾祖母に当たる人の死亡保険金だった。
全て合わせても二百万にも満たない。国立大学の授業料を三回分支払えば、ほとんど残金はないのと同じだった。
それが、今の梓の全財産。
宗森家にいた頃、梓は床 に臥せることが多かった。それでも、体調のいい時には、壮介や遥と一緒に料亭やホテルのレストランに食事に出かけることがあった。
正月にはきちんと着物を着て親戚の挨拶を受けていた。
そんな時に身に着けていたフランス製のスーツ一着、加賀友禅の訪問着一枚、金糸の帯、帯留め一つの額が、今の貯蓄額の数倍はしただろう。そう思うと、遥は今さらながら、自分が梓にしてしまったことの意味を考えた。
同時に、ようやく気付いた。
自分たちには生活を支える収入が一切ないのだ。部屋を借りようにも、そのための金がない。
壮介の目があろうがなかろうが、誰からも部屋など借りることはできないのである。
「ごめんね。もっと早く、言うつもりだったんだけど……」
謝る梓に、泣きそうになるのを堪えて遥は首を振った。
「僕こそごめん」
何もわかっていなかった。
「アルバイトを探すよ。もうお小遣いはいらない」
「お母さんも、もう少し元気になったら、頑張って働くからね」
けれど、その言葉が実現されることはなかった。
梓の体力が問題だったのではない。それ以前に、宗森家の力を恐れる人々が、誰も遥たちを雇いたがらなかったのだ。
「三井遥さん……? あなた、もしかして宗森家の……」
面接の段階で口を閉ざす者がいた。その場では何も言わず、後になって断られることもあった。
コンビニや飲食店の接客、宅配便の倉庫作業など、手当たり次第に求人を探して履歴書を送った。次第に、履歴書だけで落とされるようになった。
一般的な仕事だけでなく、大学で紹介された家庭教師や塾の講師の仕事でさえ、どこからか壮介の耳に入るらしく、一度採用が決まった後でも、曖昧な理由を付けて取り消された。
大学は宗森家の支配からは、物理的にも業種的にも離れている。
それでも、壮介の力は十分に及んだのである。
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