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【11】SIDE三井遥(2)-8

 二十歳で遥を産んだ梓は、宗森の家にいた頃は、いつまでも少女のように若々しかった。臥せってばかりでも、体調のいい時には美容師を呼んで髪を整えていた。梅子やほかのお手伝いが梓の肌や爪の手入れをしているのもよく見かけた。  それが、今は風呂一つ、好きな時間に入ることができない。  わずか一年足らずで、もともと小柄な身体がさらに一回り小さくなり、髪も肌もあっという間に艶をなくした。  あと一年。  教科書を開き、ノートに鉛筆を走らせながら、頭の中で繰り返す。  あと一年したら、大学を卒業してどこか遠い場所で働く。肩身の狭い暮らしから、梓を解放して自由にすごしてもらう。  あと一年。心の中で繰り返した。  梓の戻りが遅いと気付いたのは、十二時半を少し回った頃だった。鉛筆を走らせていた手を止め、ふと時計を見た遥は、針の位置を見て驚いた。  待たされているにしても遅すぎる。 「お母さん?」  しんと静まり返った夜の中、雪の上を歩いて母屋に向かう。小さな池を挟んだ先の母屋には、一分か二分あれば行くことができた。 「母を見ませんでしたか」  いつも遥たちに食事を届け、夜は裏口の不寝番に立つ年配の男に聞いた。 「ずいぶんど前に、そごの椅子さ腰かげて風呂さ空ぐのを待っでらすたけど……」  裏口を入ってすぐの、土間の隅に小さな椅子が一つ置いてある。梓のために、この男がどこからか持ってきて置いてくれたものだった。  靴を脱いで廊下に上がり、少し先の脱衣室を覗く。  入り口の戸が少し開いていて、誰も使っていないことを教えていた。  衝立(ついたて)の奥にも人の気配がないことを確かめ、奥に進む。やはり誰もいなかった。  梓が湯を使った痕跡もない。  遥たちは下着以外の洗濯物を三井家の使用人に任せていた。風呂に入り終わったなら、脱いで畳んだ衣服が脱衣かごの中にあるはずだった。  風呂場を覗いてみたが、そこもすっかり冷え切っていた。  裏口に戻ると、椅子の下に梓が使っているプラスチックの桶があることに気付いた。乾いたタオルと着替えが残されている。

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