128 / 207

【15】SIDE三井遥(5)-3

 けれど、それ以上の希望は持たなかった。  生きなければならないから、生きる。それだけの日々。  時々、西園寺に連れられてインフィニティに顔を出すこともあった。馴染み客の中には、遥と西園寺の仲を勘ぐる者もいたが、お互いそういった感情を抱くことはなかった。  それは美作に対しても同じで、一つ屋根の下にいた時も、親しみが湧くことはあってもそれ以上の感情には育たなかった。  相性によるものかもしれないし、心に負った傷の深さがそうさせたのかもしれない。あるいは、自分はどんな人間にも恋愛感情を抱けないのかもしれないと考えた。(エイ)セクシャル(無性愛者)という性質があることを、知識として知るようになった。  西園寺と美作は、一種の同志を見守るような目で遥を見ていた。  あるいは力を失った樹木が、再び根を張り生きようとするのをじっと見守るような目で。  遥を通して、別の命の再生を願っているようにも見えた。  何かを聞いたわけではなかったが、西園寺と美作の中には、美作の兄の死が深い傷になって残っているのだと思った。梓の死が遥の中から決して消えることがないように、美作の兄の死は、二人の中に深く根を下ろし消えることがないのだと。  それが遥とどう関係しているのかはわからなかったが、遥が生きることそのものが、二人にとって何かの救いになっているのかもしれないと感じることがあった。  遥がウエストハウジングで働き始めて三年が過ぎた頃、西園寺に変化が訪れた。  本人も思いがけない状況で恋に落ちたらしかった。一回り以上年下の水野祐希という青年に恋をし、やがて彼を恋人にすることに成功した。  祐希を手に入れた西園寺を目にした時、遥は初めて、人が人を恋うる幸福の大きさを垣間見た気がした。  それ以前の西園寺が抱えていた憂いが、祐希と出会ったことで別の何かに変わってゆくのがわかった。 「祐希がいればいい」  ことあるごとに、西園寺はそう口にした。彼さえいれば生きられるという意味なのだろう。  人を変えるような想い。誰かを恋うることには、それだけの力がある。

ともだちにシェアしよう!