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【15】SIDE三井遥(5)-8

遥が笑うと、実は自分もだと蓮見も笑った。  何か話したいと思うが、周囲の人の声に負けないためには、相当の音量が必要だった。そこまで大声で話す内容が思いつかない。  遥の無言を特に気にする様子もなく、蓮見はぬるいビールをチビチビ口に運ぶ。  すぐ近くで古川展示場の営業マンたちが声を張り上げて騒いでいた。  古川は都県境の町で、ウエストハウジングの営業地区の中では都心寄りにある。狭い路地が多く、駅前には雑多な街並みが広がっていた。  喫茶店やファミリーレストランより飲み屋が多く、歓楽街が賑やかなことでも知られている。  七年前に遥が流れ着いたのが、その古川の駅だった。  駅の西側には飲み屋やパチンコ屋が並び、その先に歓楽街が広がる。東側は少し離れると比較的閑静な住宅地だった。  インフィニティは駅の東側、駅から二区画ほど離れた住宅街の入り口にあった。古川展示場は駅からは遠く、大きな幹線道路沿いの住宅公園の中にある。  新井という営業マンが盛んに古川にある店の話をしていた。話題になっているのは、歓楽街の中でも特殊な一帯にある店だ。  ゲイ・バーや売り専と呼ばれる男娼のいる店。インフィニティにやってくる若い男たちは、それらの店で働く者たちだった。  異性を愛することができず、それを理由に社会から弾き出された者たち。  彼らのいる店についてしきりに話しているが、新井の言葉は、それらの店を勧めているようで、どこかそこで働く人間を見下す響きがあった。  声は大きいが内容はなく、話に飽きた者たちがそれぞれ別の話を始める。  彼らの注意を引き戻そうと、新井が言った。 「とっておきの店がある」  周囲はずいぶん静かになっていた。  何か話そうかと、空の膳に視線を落としたまま遥は考え始めた。その時、インフィニティという名が唐突に耳に飛び込んできた。  その名を口にしたのは、新井だ。  なぜ、と驚くのが先だった。なぜ彼のような人間が、あの店を知っているのだろう。  しばらく耳を傾けていたが、結局、何かの間違いで一度足を踏み入れただけの、美作が「事故」と表現する客だとわかった。  神様も時々、小さなミスをする。  常連客のために開けたドアから、見知らぬ者の侵入を許してしまうのだ。階段を駆け下りてきて、客と一緒に店に飛び込む者がいると防ぎ切れないのである。  誰かの紹介かと尋ねられ、察して帰る者もいるが、案内もないまま椅子に座る者もいる。その場合、争ってまで彼らを帰らせることはしない。写真撮影禁止などの入店条件を伝え、一度目は迎え入れる。  二度目はない。事故は滅多に起きないのだから。  気に留めるほどのことではない。そう判断した時、蓮見からその店を知っているのかと聞かれた。  遥は一瞬、躊躇した。異性愛者の彼に、あの店のことをうまく説明できるか迷い、同時に遥もおそらく同性愛者的だと知られた場合の、蓮見の反応を恐れた。  だが、いつか西園寺が、蓮見という男は面白いと言っていたのを思い出した。 『あの男は、単純だがバカではないな。考え方がシンプルでストレートな分、まっすぐ正解にたどり着く』  そして、蓮見に言われたことは正しいと笑っていた。  性的マイノリティであることは、必要がなければわざわざまわりに言わなくていいのだと蓮見は言ったらしい。  蓮見自身に年齢や性別、国籍、人種などで人を分ける考えはないが、そうではない人間が世の中にはたくさんいる。興味本位で攻撃する者たちの中に、敢えて身を置く必要はないと言ったのだ。 『現実的なんだよな。身体も心も言動も、しっかりと地に足が付いている』

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