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第33話

ぽたり・・・・・ ぽたり、ぽたり・・・・・・・・・ 指先から滴り落ちる血を見詰めて、小さく息を吐く。 「水島ちゃん、御客様みたいよ?」 真っ赤な血のプールの真ん中で、遠くで瞬の遠吠えが聞こえた真琴が顔を上げた。 彼の目もまた、赤く光り輝いている。 「・・・・・・そう、みたいだね」 入口の扉に背中を預けて、彼の様子を見守っていた水島が目を細めた。 「耳障りで集中できないわ・・・・・・」 真琴は何も身に着けておらず、全身血に塗れていた。 「水島ちゃん、すぐ行って黙らせてきて」 ちゃぷんっと彼の指先から血が滴り落ちる。 (大翔くんの再生にはもう少し時間が掛かりそうだしね) 扉に手をついて立ち上がり、ノブに手を掛けた。 「行ってくるね」 そう告げて、水島は部屋を出た。 瞬の気配が近づいてきている。 この部屋からは遠ざけなければならない。 水島は小さく息を吐き出して、瞬が走って来る方角に向かって歩き出した。 (僕、まだ『ミズッチ』って呼ばれてるの?) 苦笑して階段を下りる。 (久遠さんの言った通りの子だなぁ、瞬って) 素直で、真っ直ぐで・・・・・・ (僕とは正反対だなぁ) ズキッと胸が痛んだ。 思わず胸を押さえて苦笑する。 (なんで痛むんだよ?僕の心臓はもう・・・・・・動いてないのに) ずっと昔に動かなくなった。 「あれ?」 ふと頬を伝う何かに気付いて指で揺れた。 「濡れた?なんで?」 窓ガラスに映る自分の姿で確認してみる。 「僕・・・・・・なんで泣いてるの?」 まだ涙は溢れ続けていた。 何度も手の甲で拭うけれど、涙が止まらない。 「なんで?」 「あぁ!いた!ミズッチ発見っ!!」 叫ばれた方向を向けば、耳をピンと立て、尻尾を左右に忙しく振る瞬がこちらを見上げていた。 「もう!探したじゃんかって・・・・・・なんで泣いてんの?」 階段の途中で窓ガラスを見詰めていた水島の隣に飛び移る。 「僕まだなんにもしてないよ?」 自分の袖口で水島の涙を拭い始めた。 「これからだよ?これから僕の見せ場があるんだよ?」 水島の頬を両手で包み込んで、言い聞かせるようにその瞳を覗き込んだ。 「言ってる意味がわかんないよ、瞬」 思わず吹き出して笑ってしまった。 「もぉっ!ミズッチッ!」 「きゃあぁぁぁぁぁっ!!!」 突如響き渡った真琴の悲鳴に、水島の顔色が変わった。 「真琴ちゃん?」 駆け出した水島の後を瞬が追う。 「ちょっ?ミズッチ?大翔くんは?ってか今の何?」 水島から答えはない。 「誰の悲鳴なの?」 水島の慌てようは尋常じゃない。 「大翔くんは無事なの?」 向かっている先に答えがあると確信した瞬は彼を追い抜き、少しだけ開いていた扉を勢い良く開け放った。 「え?」 真っ赤な血のプールの真ん中に・・・・・・ 「ちょっ、瞬」 ぜぇぜぇと肩が大きく上下する。 扉の前に立ち塞がった瞬が退かせない。 部屋の中がどうなっているのか、見えない。 「真琴ちゃんは無事?」 さっきに悲鳴はなんだったのか? 彼は無事でいるのか? 「・・・・・・大翔く・・・・・・ん?」 瞬の声が呼んだのは真琴じゃない。 「え?」 中には大翔がいるのか? (そんなはずない・・・・・・大翔くんの再生にはまだ時間が・・・・・・) 瞬は大翔と真琴の事を間違えているのかもしれない。 2人は双子だ。 だから、間違えているのだと・・・・・・ けれど・・・・・・ 「・・・・・・なに?お前誰?」 聞こえたのは真琴の声ではなかった。 「何言ってんの、大翔くん」 瞬がズカズカと部屋の中に踏み込む。 漸く中の様子が水島の視界に飛び込んできた。 「・・・・・・大翔く・・・・・・?」 真っ赤な血のプールの中央に座り込んでいたのは、大翔だった。 「そんな・・・・・・馬鹿な?」 真琴の姿が見当たらない。 「真琴ちゃん?」 水島の呼びかけに返事はない。 一方、瞬が駆け寄った大翔は、ぼんやりと瞬を見上げた。 「大翔くん、大丈夫?」 「真琴ちゃぁん?」 部屋の中を縦横無尽、バタバタと走り回って真琴を探す水島にチラッと視線を走らせ、瞬は血のプールから大翔を抱き上げた。 「お前誰だよ?」 大翔は瞬の肩にコテンッと首を当てた。 「大翔くん、冗談は後にして。今のうちに逃げるよ?」 水島に気付かれないうちに・・・・・・ 「落ちないように、しっかり掴まってて?」 きょとんと大きい瞳に見詰められ、ちょっと照れた。 「ん」 微笑みを浮かべ、素直に頷いた大翔が、きゅっと瞬の首に腕を回した。 大翔を落とさないように、抱いている腕に力を入れ、よしっと短い気合を入れる。 「なぁ?」 そんな瞬の耳元で、大翔が囁いた。 「なに?」 水島はまだこちらに気付いていない。 「お前は美味いのか?」 ぺろっと首筋を舐められ、ひゃっと声を上げた。 「ちょっ、大翔くん?」 「ひろとくっ・・・・・・瞬ッ!ダメだ!」 水島に気付かれた。 「やべっ!」 そのまま部屋を飛び出そうとして、ガクッと膝が折れた。 「はれ?」 足に力が入らず、床に膝が落ちた。 いや、足だけじゃない・・・・・・ 「瞬ッ!大翔くんを離して!」 全身から力が抜けていくようだ・・・・・・ 「ダメだよ、大翔くん!」 水島が瞬から大翔を引き剥がす。 「それ以上はダメだよ・・・・・・瞬が死んじゃう!」 瞬の身体は支えを失って床に倒れた。 (うっ、動けない?) 自分の身体なのに指一本動かせない。 一体何が起こったのか分からず、ただ視線だけを動かして大翔の姿を探した。 「大翔くん、真琴ちゃんは?真琴ちゃんがいないんだけど?」 瞬はそのままに、水島は部屋の中にいたはずの、彼の弟の名を口にした。 部屋の窓は全部閉まっている。 この部屋の中には身を隠せるような箇所が無い。 「真琴?」 水島が口にした彼の名を繰り返す。 「目が覚めたとき、大翔くんの側にいたでしょ?」 大翔の様子がおかしいのは、予定より早く再生させてしまったからだろうか? 「・・・・・・あぁ」 漸く彼の事を思い出したのか、大翔が笑みを浮かべて水島を見上げた。 「激甘だった」 大翔が口にした感想に水島の表情が固まる。 (な、にが?大翔くんは何の事を言ってんの?) 動けないだけで思考ははっきりしていた瞬が訝しげな表情で視線を大翔に向けた。 大翔はぺろっと唇を舐め、ニッコリ笑う。 「でもまだ、腹いっぱいじゃねぇんだもん・・・・・・だから、この犬喰いたい」 再び瞬に向かって伸びた大翔の手を水島が止める。 「・・・・・・ダメだよ、大翔くん」 なぜ制止されたのか解らず、それまでの上機嫌が一変、ジロッと水島を睨む。 「あ?水島ぁ、なに?」 「この子はダメだ・・・・・・きっと、後で、きっと大翔くん後悔するから」 この部屋に真琴の気配が感じられない。 けれど、彼には吸血鬼の血が流れている。 時が経てば再生するはず・・・・・・ けれど瞬は狼男だ。 真琴とは違う。 吸血鬼と狼男の性質は違う。 狼男についての知識が少なかった水島は、ここで大翔が瞬に手を掛けるのを止めなければならなかった。 自我のないまま瞬が傷付いたりしたら、しかも、自分の手で瞬を傷つけてしまったと知ったら大翔はきっと後悔する。 それは、ダメだと思った。 なぜそう思ったのかは解らない。 今までは真琴が一番で、彼が絶対の存在だったから。 でも今は、大翔が傷付く事を恐れている自分がいる。 (今回も儀式は失敗したんだ) それだけは明らかだと思う。 大翔はジッと水島を睨み付けたままだ。 「だって、お前は不味そうだもん」 ぼそっと零し、水島の手を振り払う。 「ちょっとくらい味見したっていいじゃん」 再び瞬に向けて腕を伸ばす大翔から、水島は瞬を隠すように身体を割り込ませた。 「もう十分味見はしたでしょ?」 「てめぇ」 ピリピリとした空気が肌を刺し、水島は顔を歪めた。 (がんばれぇ、ミズッチ) 瞬は動けず、ただ祈る。 「俺は今犬が喰いたい気分」 大翔の目が赤く光った。 「狼だよっ!」 思わず言い返してしまった。 (ミズッチ、君は正しい!僕は誇り高き狼男ぉっ!) いつの間にか声も出なくなっていた瞬は、とにかく心の中で叫んだ。 (ってか、大翔くん?どうしちゃったんだよ?)

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