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第80話

「水島、帰るぞ」 上半身裸のまま、大翔がシャワールームから出てきた。 ファッションショーの控室にあるシャワールームは同じ出場者によって混雑するだろうと予想し、大翔は裏口で待っていた水島と共に事務所まで帰って来たのだった。 事務所にいた同期のモデル達と談笑していた水島がきょとんと大翔を見上げる。 大翔の髪は濡れていないし、相変わらず香水の匂いを漂わせている。 「え、シャワー浴びて帰らないと永久くんがうるさいよ?」 「その永久がすぐ帰って来いって」 白いシャツを羽織り、前のボタンを嵌める事もせず、大翔は出口に向かう。 事務所についてから十分程度。 「大翔くん、何処行くの?明日の打ち合わせするって言っておいたでしょ?」 「なになにぃ?なにかあったのぉ?」 「悪い。俺帰らないといけなくなったから、後でメールして」 興味津々のモデルは無視しておいて、もう一人にそう告げ、大翔は事務所を飛び出した。 水島も大翔の荷物と自分の荷物を両肩に掛けてビルから出て追いかける。 「大翔くん?」 まさか自分を置いて帰ってしまったのだろうか、と辺りを見回すと、少し離れたところに走って行く大翔の背中を見付けた。 「待ってよぉ!!」 大翔は全速力で走っていて、なかなか追い付けない。 更に、大翔の荷物と自分の荷物、重さが違ってバランスが悪く、うまくスピードが出せない。 どんどん大翔の背中が遠ざかっていく。 そこに、背後から爆音を轟かせて、一台の車が水島の横を通り抜け・・・・・・ 大翔の横に停まった。 スモークガラスが下がり、金髪、サングラスの男が顔を出した。 「よぉ、ひろぉ!なぁに急いでんのぉ?」 その顔に水島は見覚えがない。 「大蛇先輩!」 (おろち、先輩?って誰?) 漸く追いついた水島の腕を掴み、大翔はそのまま後部座席のドアを開け、水島を押し込み、自分も続いて乗り込んだ。 「うちまで送って!!」 「うちって、永久んち?いいけど・・・・・・なんかトラブルでもあったのかぁ?」 いきなり何の説明もなく乗り込んできた二人に対して、気分を害した様子もなく、大蛇はそのままアクセルを踏み込み、車を発進させた。 「永久が緊急事態なんだ」 「お前、相変わらず永久一筋か?」 チラッとルームミラーを覗くと、大翔の隣には緊張した面持ちの水島がいて・・・・・・ 「そっちは?初めて見るけど?」 クククッと喉を鳴らして大蛇が笑うと、大翔は頬を赤く染めて窓の外を眺めた。 「俺らと同族の吸血鬼、じゃないな?」 「え?僕ですか?えっと・・・・・・ゾンビです・・・・・・あの、大翔くんとはどのようなが関係で?」 「どんな関係って・・・・・・水島?」 何を聞いてるんだ、と大翔が振り返る。 (だって、ここにきて新キャラ登場って・・・・・・) 大蛇は大翔と同族、つまり吸血鬼なのに、派手なアロハシャツに、褐色の肌、そして金のネックレスをしていた。 高そうなロレックスの時計が腕に巻かれているが、足元は安そうな黒いサンダル。 「俺?俺は、げんぞ・・・・・・ジャックのダチって言えば分かるか?」 大蛇はニカッと白い歯を覗かせて笑った。 「源三パパさんと友達なんですか?」 「お!そっちの名前がいいのか!!はははっ!!俺の事は大蛇先輩って呼べよ!」 爆音が近づいてくる。 それは、屋敷の前に停まった。 バタン、バタン、とドアが閉まる音は二つ。 その後、爆音が轟いて、次第に遠ざかって行った。 すぐに玄関の扉が開いて、大翔がリビングに顔を覗かせた。 「永久は?」 「お兄ちゃん、永久くんのこと聞く前に『ただいま』は?」 真琴はリビングのソファに腰掛けたまま冷静に突っ込みを入れた。 「真琴ちゃん、ただいま・・・・・・ねぇ、何があったの?」 階段を駆け上がっていく大翔を見送って、リビングに入って来た水島は、二人分の荷物を床に下ろした。 肩をぐいぐいと回しながら、キッチンへ入って行く。 「お兄ちゃんから聞いてないの?」 「ずっと大蛇先輩と話してた。永久くん絡みだってのは分かったんだけど」 (オロチ先輩?) 真琴にとっても初めて聞く名前だった。 首を捻ったが、今はそれどころではなかったと、現在の状況を水島に説明した。 「瞬に『ばかぁ!』って言われたことがそんなにショックなの?」 喧嘩したら、いつも瞬に叫ばれている。 もう、慣れた。 「永久くんは免疫ないから」 瞬が永久に向かって『ばか』などという暴言を吐く事は滅多に無い。 「で、瞬は?」 ミネラルウォーターをコップに注いでリビングに戻る。 「お兄ちゃんのお部屋で篭城中」 階段を駆け上がると、永久は自室の前、扉に背中を当てて座り込んでいた。 ガックリと肩を落とし、俯いたまま。 「永久?」 そっと名前を呼ぶと、弾かれたように顔を上げ、大翔を見付けると駆け寄って大翔を力いっぱい抱き締めた。 「おい、ちょっと、永久?」 「しっ!」 耳元で囁かれて大翔は口を閉じる。 「扉、瞬が見てるから」 そう言われてチラッと扉に視線を向けると、少しだけ顔を覗かせた瞬がこちらを見ている。 「車の音で帰ってきたの知ってるから、お前来るの待ってたみたいだ」 「で?」 この状況は何? 「あいつ、俺のこと大嫌いなんだとよ?そんで、俺に『ばかぁ!!』って・・・・・・」 「で?」 未だに解放されない腕の中。 「あいつ、今ものすんげぇ顔で睨んでるだろ?」 少し笑いを含んだ永久の声に、大翔は呆れた表情で溜息を吐き出した。 (どれだけショックを受けて落ち込んでいるのかと心配して、慌てて帰ってきてみれば・・・・・・) ただ瞬に対して仕返しするためだけに呼び戻したなんて・・・・・・ 「俺悪いことしてねぇんだぜ?なんで瞬に『ばか』って言われなきゃなんねんだよ?」 「分かったから離せ」 「ダメ」 永久はそう言うと、少しだけ腕の力を弱めて。 「うわっ!」 大翔を抱き上げた。 突然のことで慌てた大翔は、落とされないようにと永久に抱きつく格好となる。 そして、そのまま。 「お前の部屋、今日は瞬が占拠してっから使えねぇんだよ。俺の部屋で一緒に寝よぜ、大翔!」 ワザと大きな声を張り上げて、階段を下り始める。 「えぇ!!兄ちゃん、ずるいぃ!!今日ぐらい僕に譲ってよぉ!!」 我慢できなくなった瞬が扉を大きく開けて飛び出してきた。 それには構わず、永久は大翔を連れて、そのまま自室に連れ込んだ。 カチャリ。 漸く追いついた瞬の耳に、鍵の落ちる音が聞こえた。 「兄ちゃん!!大翔くん独り占め反対!!!」 ドンドンと扉を叩く。 「うるせぇ!!大翔は俺んだ!それに誰が『ばか』だって?!誰の事が『大嫌い』だって?!」 部屋の中からは大翔が叫ぶ。 そんな様子をリビングから見ていた二人は顔を見合わせて溜息を漏らした。 (・・・・・・大人気ない) 大翔はベッドの上に寝転がって天井を見上げた。 永久の気はまだ治まりそうもない。 扉の向こう側にいるであろう弟とまだ低レベルな言い争いをしている。 (?) ふと、何かが頭の隅に引っかかって体を起こす。 シャツは羽織っただけでボタンは留めていない。 帰ってくる前、自分は何をしようとしていたんだっけ、と思考を巡らす。 そう、風呂に入ろうとしていたんだ。 ということは、自分はファッションショーでかいた汗を洗い流せていないわけで・・・・・・さらには・・・・・・・・・ 「あーーーーーーーー!!!!!」 突然大声を上げた大翔に、驚いた永久はビクリと肩を震わせて振り返った。 「なんだよ、どうした?」 扉の向こう側では瞬がドンドンと叩きながら叫んでいる。 「大翔く~ん?」 慌しくベッドから下りて、机の上に置かれた鏡を手に取ると、そこに映る自分の顔をジッと見詰めた。 「何してんの?」 ひょっこりと顔を覗かせた永久と鏡越しに目を合わせる。 「俺、まだ化粧したまんま」 「知ってる。香水の匂いだって消えてねぇし?俺がさっさと帰って来てコールしたからだろ?」 それが何、と首を傾げる。 「これで帰って来たんだ」 「うん?かわいいぞ?」 耳元で聞こえた永久の声に、ボッと顔を真っ赤に染めて、大翔は振り向き様永久に抱きついた。 「俺、このまま大蛇先輩の車で送ってもらっちゃった」 「へ?おろ、ち・・・・・・先輩?」 大翔の口から出た大蛇と言う名にすぐピンと来なかったのは、永久の中で大蛇という存在が薄いからだろう。 「源三パパの悪友」 「また随分懐かしい名前だなぁ」 「どうしよぉ・・・・・・恥ずかしい」 「その大蛇先輩に何か言われたのか?」 フルフルと首を左右に振るが、大翔はまだ顔を上げない。 この反応は・・・・・・ 「乙女かよ?」 バキッっと大翔の拳が見事永久の顎を捉えた。 「いってぇな!!」 「バカ永久!!誰のせいだ!誰の!!!お前のせいで!!!次、どんな顔して会えばいいんだぁ!!!」 顎を押さえる永久に掴みかかった大翔は少々涙目になっている。 (な、泣くほどのことでもねぇだろ?) 「で、でも何も言われなかったんだろ?」 「・・・・・・・・・・・・言われなかった・・・・・・呆れたんだ・・・・・・きっと・・・・・・」 がっくりと肩を落とし、目に見えて落ち込んでいる。 (今日のファッションショーで色気振りまいてたのは誰だ?) たった一人の人間に、化粧していた姿を見られたくらいでこの落ち込みようは。 「絶対嫌われた」 「んなことねぇだろ?ここまで送ってくれたんだし」 「なら聞いてみて」 ほれ、っと子機を手渡される。 (お前、今まで泣きそうだったくせに) じーっと見詰められて、永久は子機を握り締めた。 「俺大蛇先輩の電話番号知らないんだけど?」 「それメモリ入ってるから呼び出せ」 (命令形かよ) 言われるまま子機を操作すると、大蛇の名前は確かに登録されていた。 コールは三回。 「あ、あの、俺・・・・・・いえ、それは親父で、俺は息子の永久・・・・・・」 相手が出ると大翔が顔を近づけてきた。 永久が握り締める子機に自分の耳を当てる。 だが、よく聞こえない、と大翔は顔を顰めていた。 「先程は俺の大翔が世話になりました・・・・・・いえ、助かりました・・・・・・それでなんですけど・・・・・・」 なんて切り出そうかと思っていた頃、相手からその話題に触れられた。 大蛇は大翔が化粧していたことにしっかり気付いていたようだ。 そして。 「は・・・・・・はぁ、わかりました・・・・・・はい、どうも」 通話を終えた。 「なに?なぁ、大蛇先輩なんだって?なぁ、永久!!」 なぜか子機を握り締めたまま、口元が緩んでいる。 今にも笑い出しそうに。 「永久ってば!!」 とうとう押さえきれずに永久は笑い出した。 ベッドに倒れ込み、腹を抱えて馬鹿笑いをする永久を睨みつけ、指の関節を鳴らす。 「永久」 そろそろ大翔の我慢も切れる頃。 「かわいかったってよ?」 永久がぽそっと零した言葉に大翔の思考は停止した。 「ヒロゃん、大蛇先輩はねぇ、ヒロちゃんが可愛かったって言ってたよ?」 「聞こえる?」 風呂上り、未だ扉に耳をくっつけている瞬に中の様子を聞いてみる。 「さっきまで騒いでたんだけど・・・・・・今は静かになっちゃった」 髪を拭きながら自分の隣に腰を落とした真琴に答え、瞬は溜息をついた。 よしよし、と頭を撫でられ、瞬は真琴に抱きついた。 「マコちゃんでもいいや」 「でも、が気に入らない」 瞬に抱きつかれたまま真琴が立ち上がる。 そのままリビングへ連れて行った。 「うわぁ、珍しいもん見た・・・・・・っていうか、真琴ちゃんは僕のなんだけど?」 リビングでは、水島がテーブルの上いっぱいにノートやら教科書やらを広げていた。 「瞬、ちゃんと永久くんに謝んなよ?『バカ』とか『大嫌い』とか言っちゃったんでしょ?」 シャープペンシルをクルクル回しながら、抱っこちゃん状態の瞬を見上げる。 「ミズッチ、一緒に謝ってくれる?」 「言ったのは瞬だろ?なんで僕まで謝るの?ってか、真琴ちゃんから離れてよ」 呆れ顔の水島を見下ろし、ケチっと呟くと、漸く真琴の腰から離れた。 「あの兄ちゃんが許してくれると思う?」 「その永久くんに喧嘩吹っ掛けたのは君だよ?」 テーブルの上に身を乗り出した来た瞬の額をコツンと小突く。 「じゃぁ、どうすりゃぁいいのさぁ?」 変なメロディーに乗せて、瞬はべったりと水島に抱きついた。 「重いから、瞬」 「はいはい、そこの二人。じゃれ合ってないで一緒にお風呂入って作戦会議でもしてこれば?」 「だから、真琴ちゃん・・・・・・僕は関係ないでしょ?」 「ミズッチったら、僕達『一蓮托生』でしょ?」 グリグリと自分の額を水島の腕に擦り付ける。 真琴と水島はお互いの顔を見詰めた。 「じゃぁ、瞬、一緒に風呂入ろうか?」 「ミズッチ、一緒に『兄ちゃんの機嫌取り作戦』考えてね!!」 「その前に永久くんにちゃんと謝んな!」 可愛らしくお願いのポーズを決めていた瞬の頭をぐしゃぐしゃと掻き回して立ち上がる。 その時。 「バカ永久!!」 大翔の大声と共に扉が勢いよく開いた。 「なんだよ?良かったじゃん、『可愛い』ってよ?」 顔を真っ赤に染めた大翔に続いて部屋から出てきた永久の顔がにやけている。 そのまま二人は風呂場へ消えて行った。 「何あれ?」 「兄ちゃん、なんかご機嫌だったね?」

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