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第90話
見えない力によって家の中に押し込められた面々は、背後で自動的に閉まった扉の音に飛び上がった。
矢部が慌ててノブを捻るが開けられない。
足元には、ヌチャッとした紫色の液体が敷き詰められていて、異様な匂いを放っている。
頭上からは、まるで唾液のような粘着性のある白い液が垂れてきた。
そこへ。
「おかえりなさいませぇ」
耳に届いた声は、ふぅっと耳のすぐ側で吐息を感じさせた。
全員がゾオッと震え上がる。
「おや、お珍しいぃ・・・・・・ご友人さまでございますかぁ」
初老の男が現れた。
突然。
何も無いところから・・・・・・
ふっと・・・・・・
「て、手品でしょ?」
(だったら、すげぇマジシャンだろ?!)
腕にしがみ付いてきた廿楽を剥がしつつ、永久は壁に手をついた。
ネチャッと音がして、滑る。
「うわっ」
そして、そのまま廿楽を押し倒すようにして倒れた。
「おやおや、大変ですねぇ・・・・・・お風呂に入られますかなぁ?」
紫色の液体塗れになった永久と廿楽に四方から青白い手が差し伸べられた。
矢部と遠野はお互いに抱きついて、その場から一歩も動けずにいる。
彼らの視線の先には、実体のない、奥が透けて見える者達が何人もいた。
「まぁ、お風呂になさいますの?でしたら、わたくしたち、お背中をお流しいたしますわぁ」
野太い声の、永久にとっては見知った顔がずらりと天井から逆さにぶら下がって現れた。
「まぁ、お背中だけとは言わず、前も洗って差し上げますわぁ」
うっふん、と遠野の耳元で野太い声が囁く。
「あら、あなた、もう決めたの?じゃぁ、あたしは彼にしましょっ」
青白い腕が矢部の首に絡められた。
「拙者のこの刀、切れ味を試す前に死んでしまったので・・・・・・」
大翔の前では、右肩から左の腰にかけてバッサリと斬られた武士が、一振りの刀を自慢していた。
武士の背後には、もう一人、白装束の老人が座っている。
この老人、なにやらブツブツと独り言を呟きながら、何度戻しても落ちる目玉を拾っては舐め、拾っては舐め・・・・・・片方の目だけがギョロギョロと忙しく動いている。
蛍光灯の光に反射させて、ウットリとした表情で武士の語りは続いている。
大翔は、彼の前で刀には何の興味も示さずにモニターを見ていた。
ここは永久の部屋。
床は何本ものケーブルが走り、何台ものモニターが並び、幾つものセンサーが置かれ、その中央に大翔はいた。
「・・・・・・ぬるいな」
画面を見たまま、大翔がポツリと呟く。
すると。
「では、そろそろ拙者の出番ですかな?」
刀を鞘に収めて武士が立ち上がった。
「自信がありそうだな?」
「無論」
ニヤリと大翔の唇の端が吊り上る。
「いいだろう・・・・・・行くがいい」
大翔の言葉を受け、武士の姿が部屋から掻き消えた。
同時に、白装束の老人も。
「・・・・・・永久のやつ、なんだかんだ言って楽しそうじゃんか」
画面の中では、オカマさんご一行に懐かれた永久の姿が映っていた。
数十分後。
「救護班、誰か車を一台こちらに回してください」
水島は、腕から血を流した廿楽を抱きかかえ、屋敷から出てきた。
「いや、傷自体は大した事はないんですが・・・・・・その、精神的にちょっと・・・・・・」
廿楽の意識は全くない。
そして、背後で誰かの悲鳴が上がった。
幸い、通話中の相手には届かなかったようだ。
中の様子を伝えてくれるはずの、源三のお友達の人達が中に入って数分、誰とも連絡が取れなくなっていた。
「真琴ちゃん、そろそろ大翔くん止めた方がいいんじゃぁ?」
「・・・・・・そうね。ちょっと行ってくるわ」
(大翔くんの怒りが鎮まるまで・・・・・・どれだけの犠牲が出るやら・・・・・・)
次に背後から聞こえてきたのは永久の悲鳴だった。
そっと振り返ると、今入って行ったはずの真琴が難しい顔をして引き返して来た。
「どうしたの?」
「うーん・・・・・・上の階へ続く階段が消えてるの」
まぁ、天井を通り抜けて跳べばいいのだけれど、と真琴は屋敷の中へ視線を向ける。
「たぶん、誰にも邪魔されないようにお兄ちゃんが霊の誰かに命じたんだと思うんだけど・・・・・・こんな芸当も出来る霊がいたなんて・・・・・・」
目をキラキラ輝かせて感心しつつ、もう一度屋敷の中へ入って行く。
「他にも何か特殊能力を持ってる霊がいるのかしら・・・・・・ふふふっ」
今度は上の階へ行く事はせず、真琴は永久がいるであろうリビングへと向かった。
が、そこには、真っ青な顔をした二人の男がいるだけ・・・・・・永久の姿がない。
「あれ?永久くん?」
きょろきょろと辺りを見回しても永久の姿はなく、返事も無い。
「あのぉ・・・・・・」
そぉっと遠慮気味に声を掛けてきたのは、白装束の老人。
片手に目玉を転がし、残っていた目をギョロギョロと忙しく動かしている。
「なぁに?」
「・・・・・・先程、一人、風呂場の方へ引っ張って行かれましたぞ?」
誰が、誰に、なんて聞かなくても分かる。
「それって、永久くんの貞操の危機ってやつ?」
「ほぉら、リラックス、リラックス~」
前に立つ一人が、永久のシャツに手を掛ける。
(おい、あんた・・・・・・髭の剃り残しがばっちり見えるぜ?)
「肩の力を抜いてぇ」
背後から別の手が両肩に乗せられた。
(俺は可愛い大翔がいいぃ!!)
けれど、振り払う事が出来なかった。
なぜならば、両腕に、それぞれ一人ずつ抱きついているのだ。
しかも、すりすりと頬を当てられ、チクチクと短い髭が微妙に刺さる。
カチャリ、と腰の部分で金属の音がして、恐る恐る視線を下ろした。
白い指が、永久のベルトに手を掛けている。
「ば、馬鹿ぁ!!下ろすなぁ!!」
「いやん、恥ずかしがらなくっても!」
ふぅと耳に息を吹きかけられ、全身に鳥肌が・・・・・・
「そうよ、あたしたち、男同士じゃなぁい」
「俺は大翔が好きなんだよ!!」
今永久を押さえつけている腕はビクともしない。
「やぁねぇ、そんな女よりもっと凄い事してあげるわよぉ?」
「きゃぁ、シズカ姉さん、凄い事ってぇ?」
「てんめぇのどこがシズカだぁ!!シズカって顔かぁ!!いい加減離しやがれぇえ!!!」
やっぱりビクともしない。
「あら、あたしたちは顔じゃないわ!心よ!この綺麗な心を見てちょうだい!!」
「んまぁ、キョウカさんったら、いいこと言うわぁ」
ジジジジジッとファスナーが・・・・・・
「ひぃ、大翔ぉ!!!!大翔ひろと大翔ヒロトひろと大翔ひろとぉ!!!!」
ドカッ!!!
「何度も呼ぶな!うるさい!!」
目の前のシズカの頭上に、足の裏が乗っかっている。
そのまま、シズカは白目を向き、泡を吹いて床に沈んだ。
キャーキャー騒ぐオカマご一行の中から、永久をぐいっと引っ張り寄せる。
「ひ、ひろとぉ」
現れた救世主?
「はい、よしよし・・・・・・お前ら終了だ」
抱きついてきた永久の頭を撫でてやりながら、大翔は冷たく言い放った。
「で、その後はどうなったの?」
久しぶりに帰って来た久遠は、屋敷の様子に息を飲んだ。
いったい何があったのか、瞬と水島を連れ出して・・・・・・・・・
いや、だいたい予想はしていた。
原因は大翔だろう、と。
喫茶店の一番奥の席に三人が座っていた。
「どうもこうもないよ・・・・・・大翔くんの鶴の一声で、オカマさん達は消滅しちゃうし、武将さんたちは満足げに昇天しちゃうし・・・・・・」
水島は大袈裟に溜息を吐き出した。
「真琴ちゃんは拗ねちゃって部屋に閉じこもっちゃうし・・・・・・また新しいオカルトグッズ探さないと」
「永久くんは無事だったんだ?」
「貞操は守られたね・・・・・・けど、それからずーっと大翔くんにくっついて離れないよ」
「ほぉ?!」
ズズズズッと、音を立てた久遠がアイスコーヒーを飲む。
永久が大翔にくっついて離れない、その様子はしっかり想像がつく。
「実際の被害は、廿楽って子が勝手に一人で転んで、久遠さんの大切なワイングラスを落っことして割っちゃって、それで腕を少し切ったってくらい?」
「僕のワイングラス?」
ぴくっと久遠の片眉が吊り上る。
「あれジャックにおねだりして最高級のものを買って来てもらったのに・・・・・・もちろん最高級のワインと一緒に」
(ワインはパパが一人で空けちゃったけどねぇ・・・・・・)
その事実を瞬は久遠に言えないでいた。
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