32 / 245
第31話 恋に恋するでもない話10p
抵抗しなければいけないと分かっているのに天谷の体は嘘の様に力が入らなかった。
真っ白になりそうな思考にブレーキをかける事が今の天谷には精一杯だ。
日下部の手がゆっくりと天谷の腹の上からその上へあがって来る。
天谷はくすぐったさに身をよじる。
「ちょ、やっ、くすぐったい。やだって、やめ……もっ、やめろ」
そう天谷に言われても日下部は止めない。
日下部は無言で顔を上げて天谷の首筋に顔を埋め、そこへ唇を押し当てた。
「うわっ! やっ、日下部! 日下部! だめだからっ……もう止せ……っ、この、ばかぁっ!」
天谷は大声を出していた。
誰かがその声を聞いて駆けつけて来てしまう可能性は考えずに自分の耳まで痛くなるくらいの声を出して天谷は止めろと怒鳴る。
「そんなに俺に触れられるのが嫌?」
天谷の首筋から顔を離して真剣な表情で天谷を見つめて日下部が言う。
天谷は日下部の自分を見つめるその表情に息を詰まらせる。
「……いや、いやいや、そうじゃなくって。別にお前に触られるのが嫌とかじゃ無くって、そういう事じゃ無くって……」
「じゃあ、何がだめ?」
「何って、えっと、こ、こんな所でっ……学校で、急に、こんな、良くないっていうかっ。神聖な学び舎で不謹慎っていうか」
天谷がそう言うと日下部は目を丸くして、そして、くくっと、おかしそうに笑った。
「はぁ? 何笑ってるんだよ!」
「くくっ、ごめん。だって、お前、神聖な学び舎って、くくくくっ! 笑える。あーあっ、何だか萎えたわー」
日下部はツボにでも入ったのか、もう腹まで抱えて笑っている。
「は、はぁーっ? 笑うなよ! こっちはお前が訳わかんなくなってテンパったんだ!」
「それは悪かったよ」
「ほんとだぜ。一体どうしてこんな事したんだよ」
訊かれて日下部は少し沈黙してから「……それは俺の心の中の黒い所だから言えません」
そう答えた。
「はぁ? 何だよ、それ、ずるいぞ」
「少しぐらいずるい所がある方が男は魅力的なんだ」
「はぁ、そうですか!」
天谷は口をとがらせながら日下部の台詞に言葉を返していたが、いつもの調子に戻った日下部にホッとしていた。
今まで日下部がこんな事をした事は無かったから、一体どうしたのか心配ではあったが、榎本からあんな話を聞かされた後で日下部とそういう事をする気に天谷は全くなれなかった。
だから日下部に迫られて天谷は非常に困ったのだった。
『付き合うって、ねぇ、私もよくわからないけど、お互い好き同志が一緒にいてさ、気持ちを伝えあったり、手とか繋いでデートしたりしてさ。キスとかで盛り上がったりして。たまに喧嘩したりして、でも直ぐに仲直りして。バレンタインに張り切ってチョコ手作りしてプレゼントしたり……二人で一緒にいて、それだけで幸せって、そういうこと、じゃないの?』
榎本の台詞を思い出して、天谷はため息をつく。
(今はまだ……俺達は他にすべきことがあるよな)
天谷は一人頷いた。
ともだちにシェアしよう!