109 / 245

第109話 たまには恋人らしく16p

(何だ? 何なんだ?)  答えは直ぐそこにあるような気がした。  直ぐそこに、捕まえられるところに答えがある。  日下部は天谷を見る。  天谷の顔を、天谷の体を。  そして思う。  今すぐ欲しい。  天谷が欲しい。  日下部は歯をキリリと鳴らす。  扇風機が起こす風が日下部に微かに甘い香りを届ける。  それは、紛れもなく天谷の香りで、その香りは日下部の日常にいつの間にか溶け込んだ香りで、懐かしく、愛おしい。  日下部の感情を刺激するフレグランス。  大事なこと。  とてもとても、大切なこと。  日下部はそれを思い出す。  日下部の喉が鳴る。  最大限の緊張が日下部に降りかかる。  その緊張がもくもくと雲のように部屋を包み込む。  何も見えなくなりそうなほどの緊張感。  こんな感情は久しぶりで、気恥ずかしい。  でも、言わないと……心の底から出て来た勇気が消えてしまう前に。  日下部は天谷の両肩を力を込めて掴むと、胸の鼓動をかき消すかのように言った。 「天谷、俺、お前のこと……」  言葉を全て言ってしまう前に、日下部は口を開いたまま静止した。  そのまま、日下部は天谷の顔を、じっくりと観察する。  閉じた目。  小さく開いた唇。  唇から漏れる息は規則正しいリズムに乗って流れる。  この状態を、人は何と呼ぶのか。 「こいつ、もしかして、寝てる?」  日下部は瞬きを繰り返した後、目をしっかり開いて、また、よく天谷の顔を見てみた。 「え、マジ?」  信じられない、と日下部は思った。  天谷はジッとして動かない。  日下部が天谷の目の上で、ひらひらと手を動かしてみるが、天谷は無反応だった。  天谷は眠っている。  日下部の体に一気に冷汗が流れる。 「うっ、マジか! てか、い、いつから? いつから、こいつ寝てんの? 何なの、これ? ああ、もう、つか、うわぁーっ……」  日下部は両手で顔を覆う。  日下部の体から一気に力が抜け落ちた。  扇風機が回る音と、窓の外で蝉が鳴く声が戻って来る。  天谷が飲みかけた麦茶の残ったグラスが汗を掻いていた。 (なんつーか、マジか。寝てるとか……つうか、こいつ、寝てるくせに変な声出しまくりやがって、紛らわしい!)  日下部は天谷の体に覆い被さったまま、心の中で毒づいていた。

ともだちにシェアしよう!