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第109話 たまには恋人らしく16p
(何だ? 何なんだ?)
答えは直ぐそこにあるような気がした。
直ぐそこに、捕まえられるところに答えがある。
日下部は天谷を見る。
天谷の顔を、天谷の体を。
そして思う。
今すぐ欲しい。
天谷が欲しい。
日下部は歯をキリリと鳴らす。
扇風機が起こす風が日下部に微かに甘い香りを届ける。
それは、紛れもなく天谷の香りで、その香りは日下部の日常にいつの間にか溶け込んだ香りで、懐かしく、愛おしい。
日下部の感情を刺激するフレグランス。
大事なこと。
とてもとても、大切なこと。
日下部はそれを思い出す。
日下部の喉が鳴る。
最大限の緊張が日下部に降りかかる。
その緊張がもくもくと雲のように部屋を包み込む。
何も見えなくなりそうなほどの緊張感。
こんな感情は久しぶりで、気恥ずかしい。
でも、言わないと……心の底から出て来た勇気が消えてしまう前に。
日下部は天谷の両肩を力を込めて掴むと、胸の鼓動をかき消すかのように言った。
「天谷、俺、お前のこと……」
言葉を全て言ってしまう前に、日下部は口を開いたまま静止した。
そのまま、日下部は天谷の顔を、じっくりと観察する。
閉じた目。
小さく開いた唇。
唇から漏れる息は規則正しいリズムに乗って流れる。
この状態を、人は何と呼ぶのか。
「こいつ、もしかして、寝てる?」
日下部は瞬きを繰り返した後、目をしっかり開いて、また、よく天谷の顔を見てみた。
「え、マジ?」
信じられない、と日下部は思った。
天谷はジッとして動かない。
日下部が天谷の目の上で、ひらひらと手を動かしてみるが、天谷は無反応だった。
天谷は眠っている。
日下部の体に一気に冷汗が流れる。
「うっ、マジか! てか、い、いつから? いつから、こいつ寝てんの? 何なの、これ? ああ、もう、つか、うわぁーっ……」
日下部は両手で顔を覆う。
日下部の体から一気に力が抜け落ちた。
扇風機が回る音と、窓の外で蝉が鳴く声が戻って来る。
天谷が飲みかけた麦茶の残ったグラスが汗を掻いていた。
(なんつーか、マジか。寝てるとか……つうか、こいつ、寝てるくせに変な声出しまくりやがって、紛らわしい!)
日下部は天谷の体に覆い被さったまま、心の中で毒づいていた。
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