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第112話 たまには恋人らしく19p
日下部は、くつくつと音を鳴らす鍋を菜箸でかき混ぜていた。
鍋から白い湯気がもくもくと上がっている。
音を立てて回転する青い換気扇が湯気を飲み込んでゆく。
「日下部っ」
「何?」
「日下部、お前……」
「うん?」
「お前、俺に何かしたろ」
「…………」
日下部は黙ってしまう。
天谷は日下部の背中を見ながら、くつくつという鍋の音を静かに聞いた。
その時間が、妙に長く感じて、たまらなくなって、天谷は日下部の服を引っ張った。
そして「何か言ったら?」と、強めの口調で日下部に言う。
緊張感が二人を包む。
日下部は、ため息をゆっくりとすると、天谷の方は向かずに「何かって、何?」と訊いた。
「な、何って訊かれても……」
天谷は握っていた日下部の服を放す。
(何って、だって……)
天谷が口ごもっている間に、日下部はコンロの火を止める。
「そうめん茹でたから。食べよう」
日下部はそうめんをザルに移し、水道の水にさらしながらそうめんを揉む。
日下部は相変わらず、天谷の方を向かない。
そんな日下部に天谷は苛立つ。
「そうめんって……今、そうめん、どうでもよくって、日下部が、俺にっ!」
「冷蔵庫の冷凍の方に氷入ってるから出して」
「えっ、氷?」
「早く」
「う、うん」
日下部に言われた通りに、天谷は冷蔵庫から氷の容器を取り出す。
容器は冷たくて、四角く区切られた容器に氷が固まっていた。
「氷、出したから」
天谷が言うと、日下部は後ろ手で容器を受け取る。
そんな日下部の態度に天谷はムカついた。
「日下部、こっち向いたら?」
「…………」
「日下部っ!」
天谷は日下部の服を、今度は思い切り引っ張った。
日下部がやっと天谷の方を向く。
天谷の方を向いて、日下部はそのまま天谷を抱き寄せた。
「なっ」
いきなりのことに天谷はびっくりする。
天谷は日下部の顔を見る。
その顔は、鍋の湯気のせいなのか何なのか、ほんのりと赤みがかっている。
「俺に、何されたと思ってんの?」
甘い囁きのようにそう訊かれて、天谷はドキリとした。
「っつ、わかんないから訊いてるんじゃんかっ……」
「本当にわかんないの?」
「わかるかよ!」
天谷がそう言うと、日下部は天谷の肩に顔を埋める。
天谷の体がピクリと跳ねる。
天谷と視線を合わせぬままに、日下部は口を開く。
「眠ってるお前に欲情して、抱いた」
耳を疑う日下部の台詞に天谷は言葉を失う。
口を小さく開けたまま、天谷は固まった。
言葉の意味を理解することに天谷の頭は回らない。
でも、何か言わなきゃと、そう思って、嘘だろ? と天谷が言いかけた時、「とかだったらどうする?」と日下部が言った。
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