33 / 40

第33話

そこからの記憶が曖昧になっていた。 雪柊が集中治療室に入るのを見届けたのは覚えていたが、その後の記憶が殆どない。 気付くと待合室に久我といた。目の前には缶コーヒーが置かれていて、どうやら久我が買ってくれたようだった。 「久我……」 久我は、頭を抱えるようにいたが、九十九に呼ばれ顔を上げた。泣き過ぎてすっかり目が腫れて真っ赤だった。 目の前で雪柊が撥ねられたのを見た久我も、相当ショックは大きいだろう。 「皆んなに、この事連絡しといてくれ……ただ、全員で押しかけると迷惑になるから、病院来るならその辺考えて来いって、言ってくれ。玄龍にはオレから連絡する」 「はい……」 そう言って、携帯を手に外に出て行った。 九十九もその場で玄龍に電話をかけ、十二時を過ぎていたが、玄龍はまだ、起きていたようだった。 雪柊が事故にあった事を説明すると、すぐ行く、そう言って電話を切った。 集中治療室に行ってみる事にした。 個室の集中治療室の扉は開いており、中を覗く。母親と春香が並んで座り、雪柊の顔を見て泣いていた。 周りには看護師が慌ただしく動いている。 中に入ると二人が九十九に目を向けた。九十九はかける言葉がなかった。 「ヘルメット、被ってなかったら即死だっただろうって……」 春香がポツリと言った。 あの時、雪柊にヘルメットを被れと言った九十九は無意識に何かの予感がしたのかもしれない。 「少し……ここにいてもらってもいいかな?お母さん、だいぶ参ってるから、ちょっと寝かせてくる。あと、家帰って雪柊の着替えとか持ってくる」 「はい……」 春香は泣き崩れる母親を抱え、病室から出て行った。 看護師が九十九に、何かあったら呼んで下さい、そう言って病室を出て行った。 九十九は椅子に腰を下ろし、雪柊を見た。 横にはモニターが有り、ピッピッピッという電子音が小さく聞こえ、グラフの様に規則正しく波を打っている。 雪柊の元から白い肌は更に白くなりその首筋には、さっき付けた自分の跡がいくつか見えた。 顔に擦り傷と赤紫色の痣があり右足は骨折したのか、ガッチリとギブスが嵌められている。 全身打撲だと聞いたが、他に目立った外傷はなかった。手術をしたのなら、内臓にダメージがあるのかもしれない。 その顔はいつも自分の腕の中で眠る見慣れた、少し幼い寝顔と同じだった。  雪柊の手を握ると、生きている、そう感じる手の温かさだった。 「雪柊……」 ほんの少し前まで自分の腕の中にいた。何度もキスをして繋がっていた。 「雪柊、起きろ……」 だが、雪柊は目を覚ます事はない。 握った手の指を自分の唇に当てる。 どうか、どうか、雪柊を助けて下さい。 自分から雪柊を奪わないで下さい。 そう、何かに縋る様に祈る。神様なのか死神なのか、存在するというなら、その神たちに祈りを捧げる。 九十九は雪柊の頬を撫で、額にキスを落とした。 その時、ピクリと瞼が震えた気がした。 「雪柊?」 だが、目を覚ます事はなかった。もしかしたら、雪柊は目を開けたいのに開けられないのかもしれない。 「起きろよ、雪柊。早く起きて、オレにキスしてくれよ。起きたらよ、おまえに言わないといけない事があるんだよ。だから、早く起きろよ……雪柊」 こんな姿じゃ抱きしめる事もできない。 こんな事になって、雪柊への気持ちの大きさに改めて気付かされるなんて、なんて自分は愚かなんだと、情けなくなる。 九十九は握った雪柊の手を両手で包み込むと、声を押し殺して泣いた。 そして、雪柊の瞼がまたピクピクと震え、雪柊の目の縁から涙が一筋流れた。 自分の涙ではない、間違いなく雪柊の頬を伝っている。 「雪柊……?」 だがやはり、目は開かない。 きっと大丈夫だと九十九は思った。 必ず雪柊は目を覚ます。雪柊は生きたいと思っているはずだ。 現にこうして自分の問いかけに答えようとしている。それが明日だろうが、十年後だろうが、自分はそれまで雪柊の傍にいて目を覚ますのを待つのだ。 コンコンとノックの音が聞こえた。振り返ると、玄龍が立っていた。 「玄……龍」 九十九は慌てて目元をシャツの袖で拭った。 「大丈夫か?」 「ああ……悪い」 玄龍は信じられない様子で雪柊を見つめながら、九十九の横に腰を下ろす。 「久我は?」 玄龍一人だけ病室に入ってきたのを見て尋ねた。 「帰らせた、相当参ってるみたいだったからよ」 沈黙が流れ、心電図モニターの音だけが響く。 「すぐ……雪柊は目を覚ますさ」 玄龍はそう自分に言い聞かせているように聞こえた。 「ああ、さっきオレが呼んだら少し反応したんだぜ。こいつは生きたいって思ってる」 九十九が言うと、 「そうか……!」 玄龍は少し安心したように顔を綻ばせた。 「玄龍オレは……」 言葉を切り、雪柊の右手を愛おしそうに両手で握ると、 「雪柊が目を覚ましたら、雪柊と生きて行く事にしたよ」 そう言って、雪柊の指先に唇を寄せた。 九十九のその姿を見て、二人の間に何があるのかを全て察したのか、 「幸せに……してやれよ」 玄龍はそう言った。

ともだちにシェアしよう!