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第38話
それから一週間も経つと、雪柊は自力で動けるようになった。
担当医もその回復振りに驚いているという。
九十九は毎日雪柊の病室へと通っている。ルシファーの面々も毎日、代わる代わる誰かしら病室に来ていた。
それ故に、いつまで経っても二人きりになれなかった。
いつもの様に雪柊の元へ行く。
病室をノックすると、はい……と、返事があり中に入った。
雪柊は九十九の顔を見ると、薄っすらと綺麗な笑みを浮かべた。顔色はいいようだ。
「珍しく、誰もいないんだな」
ベット脇の椅子に腰を下ろして言った。
「さっき、頭が来てました。伊武さんと」
「え?伊武と?」
意外な人物の名前が上がり、九十九は驚く。
「付き合いで来たって言ってましたけど、花を……」
そう言って、ベットの横にあるキャビネットに視線を落とす。
そこには、10センチ程の大きさのコロンとした形の瓶が目に入った。瓶の中に何種類かのオレンジ色の花がオイルの中に浮かんでいる。
「ハーバリウムって言うらしいです」
普通の花束ではなく、こういう物を選ぶ辺り、あの美丈夫な伊武らしいな、と思った。
それをじっと眺めている雪柊の横顔が妙に色っぽく見え堪らず、
「キス……していいか?」
雪柊の答えを聞く前に、九十九は雪柊の頬の傷をなぞるように手を添えてた。
雪柊は少し顔を赤くすると、目を閉じた。
九十九は唇を落とし、久しぶりの雪柊の柔らな唇を味わう。触れるだけのキスだけでは物足りなく感じ、舌を差し入れた。
雪柊が九十九のブルゾンの胸元を掴み、ぎこちなく舌を絡め、はぁ……と雪柊の吐息が漏れた。唇を離すと九十九は雪柊をそっと抱きしめ、最後に合わすだけのキスをすると手を握った。
だが、左の薬指に指輪がはまっておらず、思わず顔をしかめる。
「指輪どうした?」
「少し緩くて……失くしそうで怖いんで、引き出しに仕舞ってあります」
「そうか……」
サイズが合うまでは、ネックレスに指輪を通しておくのがいいかもしれないと思った。
「少し外、歩きませんか?」
雪柊が外に視線を向けて言った。
外は真っ青な空が広がる快晴で、外に出るには気持ちいいかもしれない。
「大丈夫なのか?」
九十九がそう問いかけると、コクリと頷く。
ベットに立て掛けてあった松葉杖を取り、ゆっくりと立ち上がる。
九十九は心配そうに手を添え雪柊の少し後ろに付き、ゆっくりゆっくり廊下を歩くと中庭に出た。
ベンチが見えるとさすがに雪柊は疲れたのか、
「少し座っていいですか?」
九十九は雪柊から松葉杖を受け取り、体を支えゆっくり座らせると九十九も横に腰を下ろした。
「ふぅー……」
雪柊は一度大きく息を吐いた。
「疲れたか?」
「少し……」
リハビリをしているとは言え、まだ、長い距離を歩くのは辛いのだろう。顔には薄っすら汗を浮かべていた。
今日は、汗ばむ程の陽気で時折吹き抜ける風が気持ち良かった。
九十九もさすがにブルゾンを脱ぎ、Tシャツ姿になるとブルゾンを腰に巻いた。
ふと、雪柊が九十九の左手に自分の手を重ねた。九十九はそれを握る。
「そういえば……」
九十九が口を開くと、小首を傾けるようにこちらを見る。
「五年前か?高校生に絡まれたあの女の子みたいな男の子、おまえだったんだな」
言った瞬間、雪柊の目が見開いた。
「春香さんから聞いた」
雪柊は前を向き、明らかに不機嫌になっている。
「まだ、言わないでおこうと思ったのに……」
「おまえは充分強くなったじゃねーか」
「あんたを超えてない」
そう言って、勝気な真っ直ぐな目を九十九向けた。
その目は初めて会った時、自分にタイマンを挑んできた中一の雪柊と重なる。
自分は、きっとあの日から既に、この目に射抜かれていたのだと思った。
「超えられる気はねーよ」
そう言って、雪柊の頭をポンポンと撫でる。
「でも、この先ずっと一緒なら、そのうち超えられちまうかもな」
初夏の風が心地良く二人の間を抜けていく。
「退院したら、どっか二人で旅行にでも行くか?」
「旅行……ですか?」
少し目を伏せて、歯に噛んだような笑みを浮かべている。
目元を薄っすらと赤く染めて、伏せ目がちな目はとても色気に満ちていて、九十九が好きな顔だ。
「いいかも……しれませんね」
そう言って、綺麗に微笑む。
ああ、なんて綺麗なんだ、こんな自分などには勿体ない、そう思うくらいに綺麗だと思った。
少し前に雪柊が、自分は雪柊にとって光をもらす人なのだ、と言われた事があった。
どういう意味か尋ねたが、その時は分からなくていいと誤魔化されてしまった。今なら雪柊が言いたかった事が分かる気がした。
寧ろ、今の自分にとって、雪柊こそ自分の光なのだと思う。
背中に羽根を生やしたこの美しい人間は、さながら自分の天使と言ったところか。
そんな、キザなセリフが浮かび、思わずふっと鼻で笑った。
「何、笑ってるんですか?」
不審げに雪柊は九十九を見る。
「いや……早く、やりてーなって」
そう言うと雪柊は可愛らく少し頬を膨らませた。
「死にかけた人間に言うセリフっすか?」
「冗談だよ」
九十九は雪柊の頭を引き寄せ、黒髪にキスを落とし機嫌を取る。
「でも……」
雪柊は言葉を切り、
「こんな幸せな気持ちになれて、事故も悪くなかったのかも」
雪柊の言葉にギョッとする。
「バカヤロー、こっちの身になれ!もう、あんな辛い思いは懲り懲りだ」
「すいません……」
そう謝り苦笑した。
日が沈み始め、少し風が冷たくなってきた。
「冷えてきた。もう、戻ろう」
そう言って九十九は立ち上がり、雪柊の手を取った。
病室に戻り、ベットに並んで腰をかけた。
雪柊はキャビネットの引き出しを開け、小さな黒い箱を取り出した。九十九があげた指輪のリングケースだった。
中を開け、大事そうに指輪を取り出し、指輪を嵌めようとした雪柊の手からそれを取った。
雪柊の左手に自分の手を添え、軽くかかげると指輪を雪柊の薬指に嵌めた。
結婚式のチャペルさながらの、その九十九の仕草にクスリと雪柊は笑い、じゃあ、オレも、そう言って九十九の指輪を見る。
九十九は指輪を外し、雪柊に手渡した。
九十九の左手を取ると同じ様に左の薬指にお揃いの指輪を嵌めた。
お互いの額を合わせ、二人は手を取り合った。
「愛してる、雪柊。死ぬまでオレといてくれるか?」
改めて九十九は雪柊に想いを告げる。
こんな言葉では足りないくらい雪柊への想いは膨れ上がっていた。
今はこの言葉が精一杯だったが、これから少しずつ想いを告げていこうと思った。
「はい……オレも愛してます……ずっと傍にいさせて下さい」
雪柊は、今までで一番美しい笑みを浮かべ、九十九を見つめるとそう言った。
――光をもたらす者、堕天使ルシファーよ、自分達に光を与え給え。
ルシファーを背にする自分達は、ルシファーに永遠の愛を誓おう――
そして、二人は誓いのキスをした。
それから約一年後、完全復活した白石雪柊は、太刀川玄龍の跡を継ぎ、ルシファー五代目頭を襲名した。
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