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サヨナラ

 ホテルのロビー、柱の陰で、そっと一馬(かずま)を見送った。  僕はよく磨かれた黒い大理石に映る影にすら気を付けて、気配を消して佇んでいた。  お前を永遠に葬るために、敢えて、ここに来た。螺旋階段の踊り場で、嬉しさのあまり涙ぐむ花嫁と記念撮影をしていたお前は、突然ハッと顔をあげて、こちらを険しい目つきで見渡したので、慌てて隠れた。  ふぅ……見つかっていないよな。 「もうこれで永遠のサヨナラだ」 ***  一馬とは大学の古めかしい学生寮で隣同士になったのが縁だった。僕が函館出身でお前が大分出身と、北と南で真逆なのが新鮮で、すぐに仲良くなったよな。  一馬は自分がバイセクシャルだと最初から隠していなかった。異性にも同性にも性的欲求を持てると明かされた時は、北海道から出て来たばかりの初心な僕は流石に驚いたが、それよりも頼り甲斐があって優しい性格に、すっかり心を許していた。  知り合って半年が過ぎた頃、僕の高校からの遠距離恋愛がダメになり、一馬に慰めてもらったのがきっかけで始まった、秘密の恋だった。 「瑞樹(ミズキ)は優しいよ。誰よりも優しいし、女よりもずっと可愛い」 「えっ……ちょっと待って。あっ……」  そのまま雰囲気に流される形で押し倒されて、初めて同性に抱かれたが、僕はその時点で、もう一馬が好きになっていたので、少し怖かったが嬉しさの方が勝っていた。  それから思ったより長く続いたよな。   大学卒業と同時に寮を出て、僕は花を扱う会社に、一馬は都内の一流商社に就職した。流石にバラバラに一人暮らしをすると思ったら、お前の方から同棲しようと言い出した。 「瑞樹……卒業してもずっと傍にいてくれ。一緒に暮らそう」  僕は一瞬、将来に思いを馳せ、迷った。しかしお前だから、お前となら男同士の人生を突き進めると思って、了承した。  僕たちは最初の一年、二年は順調だったよな。  ところが…… 「ごめん。俺は長男なのに東京で就職しただろう。それで実家の旅館の跡を継ぐ継がないで親と揉めてしまった。だからどうしても見合い話を断れなかった。その……地元の有力者のお嬢さんで、東京で就職している女性と会うことになった。仕方がないんだ。許してくれ」 「……そうか」 「でも見合いだけだから。一度すれば親も満足するだろうから。なっ、俺が愛してるのは瑞樹だけだ」 「……うん」  そう言われても、不安は拭えなかった。  案の定、見合いから始まった出会いは順調に育ってしまったようで、僕とは違う誰かの匂いを纏い帰宅するお前を、見て見ぬふりをする機会が増えた。 知らないふりをすれば一馬との仲を維持できると思った僕は、浅はかで愚かだった。  結局、就職して三年目の春に別れを切り出された。そんな予兆は少し前からあったので、思ったよりも冷静に受け止めている自分に苦笑したほどだ。しかも一馬のお父さんの末期癌が判明し、余命幾ばくもないという知らせから急展開してしまった。 「ごめんよ……父さんが生きているうちに旅館を継ぐことになった。急な話だが会社を辞めて実家に戻ることに……その前に彼女の希望で、こっちで結婚式を挙げて行くことになった」  そうか……別れだけでなく、お前は結婚までしてしまうのか。一馬の人生のレールから、僕はとっくに外されていたのに漸く気づいた瞬間だった。 どうしたって僕が身を引くしかなかった。  なぁ……僕はどうしたらよかった?  あの時、泣き叫べば良かった?  お前が好きだ!  絶対に離さないと!  そんなことは出来ないよ。  お前の未来、お前の立場……全部奪うなんて、僕には絶対に出来なかった。

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