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第2話

仕事の予定が変更になったらしく、いつもより早めに帰宅した宏隆は、スーパーで買い物をしてきてくれていた。 「ちょっと待っててくださいね」と言い置いて、玄関に友宇を取り残したままで、買って来たものを冷蔵庫に入れている。慌てて戻って来て、「友宇さん」と呼んだ。 「へあ!?は、はい?あ、いや、すみません……宏隆さん?」 どういうノリか分からず、戸惑いながら上目使いで宏隆を窺う。落ち着き払った宏隆は、「はい」と返事をしてくれた。 「じゃあ、部屋を案内しますね」 そう言って、初めて来た日よりも丁寧に、この部屋のことを教えてくれた。時折挟まる“宏隆の彼氏”の情報に、顔から火が出そうな思いに耐えながら耳を傾ける。 「この観葉植物、実は種類を間違えて買っていたみたいで。あまりにも大きくなるので、僕の彼氏は見るたびにぽかんと不思議そうにしていたんですよ」 「調理器具の配置を変えてしまうと、寝惚けたまま朝食を作ってくれる彼がフライパンとおたまを間違えてしまうので、気を付けないといけないんです」 「このカーテン、すごくセンスがいいと思いませんか?僕はこういうのはからっきしなので、彼に全部選んでもらうことにしてるんです」 ツッコミたくなる衝動を堪え、口の端をひくつかせながら、友宇は必死に絞り出す。 「えーっと、宏隆さんには彼氏がいらっしゃるんですね?」 「はい。残念ながら姿が見えなくなってしまったんですが」 わざとらしく眉毛を下げて、ため息とともに吐き出す。同棲中の彼氏がいて自分と新生活って、一体どんなシチュエーション作ってんだよ!と叫びたい気持ちを抑え、「へ~」と適当に聞こえるような返事をしておく。 特に気を悪くした様子もない宏隆は、ソファに座るよう促してきた。「座り心地は僕の彼氏のお墨付きです」なんて注釈も忘れない。 いつもは帰ってすぐ部屋着に着替えるくせに、今日はスーツのまま上着だけを脱ぎ、腕まくりをしている。 「すぐにできますから、座って待っててください。普段やらないので、美味しくできるかは懸けに近いものがありますが」 「手伝いましょうか?」 「いえいえ、ぜひ作らせてください。また貧血で倒れられたらと思うと不安ですし」 そう言われてしまうと、大人しく引き下がるしかない。座り慣れたソファに腰を下ろし、慣れない料理に勤しむ宏隆を見つめる。ふと思い付き、宏隆がよくしているように、ソファの肘掛けに頭を乗せて寝転がってみた。 気にしたことも無かったが、こうするとキッチンがよく見える。後ろ姿からでも、そのときどきの感情が見えるようで面白かった。焦ったりテンションを上げたりそわそわしたり、いつまで見ていても飽きない。 こんな風に自分も見られていたのかと思うと、気恥ずかしさでいっぱいになった。 大袈裟な動きでフライパンの中身を皿に盛り、宏隆が呼びかけてくる。 「できました!」 子供のような満面の笑みに、思わず吹き出しながら立ち上がる。ダイニングテーブルの上には、最近とんと使わなくなったランチョンマットまで敷かれていて、見事に同棲初日の食卓が再現されている。 「わ、オムライス!ありがとうございます」 もう四年以上も前のことだ。引っ越しの片付けにヘトヘトになりながら、少ないレパートリーの中から友宇が作ったのはオムライスだった。卵が破れたのをごまかすために、おしゃれっぽくかけたケチャップの形まで同じに作ってある。 向かい合ってテーブルにつき、同じタイミングで「いただきます」を言う。あの日と同じように、ただそれだけのことが、とても嬉しかった。 「友宇さん」 「は、はい」 こそばゆい呼ばれ方に、返事をする声が裏返る。知り合ってからは二十年以上になるが、宏隆にこんなふうに呼ばれるのは初めてだ。落ち着くために、少しお茶を飲む。 「僕は明日から十連休なんですが、友宇さんの予定はいかがですか?」 「おれも休みです。特に予定もないです」 「そうですか!ではデートにお誘いしてもいいですか?」 「はい!……あ、いや、それは、宏隆さんの彼氏がヤキモチを焼いてしまうんじゃないでしょうか?」 一人でよく分からないパラドックスに陥りながら、宏隆の反応を見たくて訊いてみる。すると、どうにも難しい顔をされてしまった。 「妬いていただけますかね……?」 「……え?」 瞳の奥の方まで、じっと見つめられて戸惑う。いつものだらしなさを微塵も感じさせない服と髪形のせいか、こいつカッコ良かったんだな、なんて場違いなことを考えて、一瞬の現実逃避を図る。ふっと視線を緩めた宏隆は、質問を変えた。 「友宇さんは彼氏が別の人とデートするとなったら、どうしますか?」 「おれ、は……」 己惚れかもしれないけれど、正直全く想像できなかった。したくないのかもしれないし、想像できるほどに宏隆の世界を知らないのかもしれない。それは友宇が抱える悩みに直結していて、ひやりと背筋が寒くなる。 瞼を下ろし、感情を隠した宏隆が、口だけで笑う。 「決まりですね。プランは僕にお任せください。楽しい初デートにしましょう」 「あ、はい。よろしくお願いします」 ぺこりと頭を下げる。顔を上げると、まだ見慣れない、作り笑顔の宏隆がいた。

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