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第四話 椿の巻

「んっ、あ、椿、そこ……もっと」 「ここですか?」 「うあ"、あ、イイ……もっとしてッ」 男は俺の目の前で四つん這いになって善がり喘いでいる。本日(恐らく)最後の客は初登楼の黒い短髪の中年の男だ。 「お"ッ……イク、イク」 客の男__伍代様はビクビクと身体を震わせて絶頂に達した。その締め付けに耐えきれず、避妊具越しに精を吐き出し、自身を引き抜く。 「はあ、はあっ」 「如何でしたか? お気に召して頂けたでしょうか?」 「ふーっ……ああ、良かったよ。クセになりそうだ」 肩で息をしながら蕩けた表情で伍代様は言う。 「ありがとうございます。また華乱に上がられたときは僕を指名してくださいね」 にっこりと営業スマイルを浮かべて揚代を受け取る。 「ああ、また来るよ」 そう言って、着替えた伍代様は腰を抑えて若干ふらつきながら部屋を出ていった。伍代様が曲がり角の先に消えたのを確認して自室へと戻り、湯浴みを済ませる。髪を乾かし終えたところで今日の見世はしまったと知らされた。  客を招いた部屋の片付けを京介に任せ、自室へ戻ろうとすると柊さんの姿が見えた。 「柊さん!」 名前を呼んで駆け寄れば、柊さんは俺に振り向いて優しく微笑む。長い前髪に隠れていない右目の目尻に数本の皺が見えた。 「お疲れ様椿。もう眠るのかい?」 「その前に柊さんの髪を梳いてもいいですか?」 「またか。良いよ、おいで」 柊さんは俺を部屋へと招いてくれる。柊さんの腕にしがみついて歩いた。歩きづらいだろうに柊さんは一度も俺の手を振りほどいた事はない。 「はい、よろしく頼むよ」 部屋に着いて柊さんは背もたれのない椅子に腰を掛ける。俺はその後ろに立って、柊さんの長くてちょっと癖のついた暗めの茶髪に触れた。  暫く無言で柊さんの髪を手で梳き続ける。綺麗に手入れされた髪はとても柔らかく、触っていてとても心地いい。10分程戯れて、最後に椿油を付けてお終いだ。 「終わりました」 「どうもありがとう」 振り向いた柊さんの髪からふわっといい香りが舞った。 「それじゃ俺、部屋に戻りますね! おやすみなさい」 「うん。おやすみ、椿」 俺は柊さんの部屋を出て自室に戻り、頭まで布団を被った。抱きついた柊さんの腕や梳いた髪の感触が手に残っている。 「柊さん……」 寝間着の隙間から熱を帯びた自身に触れる。 「柊さん、柊さん……」 上下に動かす手が次第に速くなっていく。数人の客を抱き、精を放ったにも関わらず、俺の身体は酷く欲情している。 「んっ、あ……柊さ、ッあ」 毎晩抱く客にだって柊さんを重ねている。柊さんにしたい事、してほしい事を客に重ねてやっている。本当は柊さんの肌に触れたくて堪らない。柊さんは俺が柊さんを邪な目で見ている事も毎日ただ独りでこの身を慰めている事も知らないだろう。知られたくもない。  そしてまた、客に柊さんを重ねて抱く夜が来る……筈だった。何故今、タチである俺が客に犯されそうになっているんだ? 「離してください! 何するんですか!」 「五月蝿え、売春夫如きが俺に指図すんじゃねえ」 バシィッ__ 平手で俺を殴ったのは初めて登楼した大柄な男だった。歳は柊さんよりもかなり上に見える。 「いっぺん抱いてみてぇんだよなあ、タチ花魁って奴をよお……おら、大人しくしろ」 「止めてください!」 ただでさえ体格差で不利なのに上から抑え込まれてしまい、身動きが取れなくなった。今まで感じたことのない恐怖に背中が凍りつく感じがする。 「うちの花魁に何をしている? 止めなさい」 ガラッと大きな音を立てて障子戸が空いた。騒ぎを聞きつけたのか柊さんが入ってくる。 「んだよ、邪魔すんじゃねえよ」 男は俺を組み敷いたままそう言って舌打ちをしたが、柊さんを見て黙った。 「おい、お前まさか……」 男は俺の上からどき、柊さんに近づいてニイッと笑った。 「お前ここの楼主か? ならこの売春夫のガキを見逃してやるよ」 男は柊さんの腕を掴み、下卑た目で舐めるように見て言った。 「お前が相手をしてくれるんならな」 「ッ……」 柊さんの顔が引き攣る。 「止めろ、柊さんに触るなよ」 「大事な商品を壊しちまうかもなあ……安心しろ、金なら持ってるんだ。分かるだろう、一華」 柊さんは完全に青ざめてしまっている。俺は男を引き剥がそうと試みるが、男はますます柊さんの腕を掴む力を強めた。 「柊さん、俺……大丈夫ですから。この人は俺のお客様ですから」 男をの意識を俺に向けようとしたとき、よく知る声が聞こえた。 「騒がしいな。どうした椿」 「柊さん、何かトラブルでもありましたか?」 柊さんの後ろから顔を出したのは紫陽花さんと、最近上級花魁になったばかりの向日葵だった。男は一瞬驚いたものの、直ぐにまた柊さんを睨みつけた。 「お前もあいつも嫌ならこの二人のどっちかでもいいんだぜ? 一華、選べよ」 「おや、私をご指名ですか?」 「いや、俺だろ?」 この状況に動じる事なく、紫陽花さんと向日葵は男に擦り寄る。 「なんなら二人で相手してやるよ。なりたてだけどこれでも上級なんだぜ?」 「椿で不服なら私が貴方を気持ち良くして差し上げますよ」 向日葵はやんわりと柊さんの腕から男の手を退けた。客用の笑顔を貼り付けた紫陽花さんの視線は冷たい。 「あ、ああ……」 男はそのまま、二人に連れられて立ち去って行った。恐らく上級花魁用の何方かの部屋だろう。  残された柊さんはその場にヘタリと座り込んだ。触らなくてもわかるくらいにその身体は震えている。 「ごめんなさい、貴方を守れなくて」 「いいえ……こちらこそ君を危ない目に合わせて申し訳ない」 柊さんは俺が差し出した手を握って立ち上がる。その手はじんわりと汗ばんでいて、顔色も未だに悪いままだ。 「はは……随分情けないね」 強がるように柊さんは言った。俺はあの男と柊さんとの関係はとても気になるが聞いてもいいものかどうか迷っている。柊さんの過去については何も知らない。きっと古参だった桜さんでさえ知らなかった筈だ。俺だけが知りたい。だけど柊さんの傷を拡げるような事はしたくない。 「昔の僕の事が気になる?」 「えっ、いえ、そんなこと……大丈夫です!」 「知りたい、って顔に書いてあるよ」 よっぽど顔に出ていたんだろう。俺は慌てて柊さんに背を向けた。 「遠慮しなくて良いのに。って言っても気分が悪くなるだろうから無理には聞かせないけど」 「平気です! 教えてください」 「うん」  柊さんは俺の手を握ったままゆっくり、ひとつひとつ話始めた。その話は予想以上に酷いものだった。  柊さんは昔、隣町の男遊郭の花魁だった。源氏名は『一華』。その廓から逃げたのは今から二十四年前。理由は楼主からの虐待と客からの扱いに耐えられなかったから。もともと花魁への扱いは優しくなかったが、楼主の「お気に入り」だった柊さんは十五歳から身体を売らされ夜は客に、それ以外の時間は楼主と、楼主が招いた客人の相手をさせられていた。殴る・蹴る・首を絞めるなどの暴力行為も日常茶飯事だったらしい。 「__それで耐えかねて楼主の部屋に火を点けて、その騒ぎに乗じて廓から逃げたんだけど……」 「逃げ切れたんですか?」 「ううん、無理だった。直ぐに捕まったよ。抱かれながらナイフで切り付けられて……」 左目と右足を失った。柊さんはそう言った。涙すら出ないと言わんばかりのその表情は絶望そのものだった。楼主の気が済むまで扱われた後廓の敷地外に放り捨てられたところを、今の柊さんの後ろ盾であり華乱の財源である商人の男に拾われたそうだ。 「僕はきっと君たちが思っているよりもずっと汚いんだよ」 悲しそうに目を伏せて柊さんは言った。俺の手を握る力も緩まり、俺の方から握っているだけになっている。 「そんな事はないです。柊さんは綺麗ですよ。見た目も中身も全部」 「綺麗じゃないよ」 なんなら見てみる? と聞かれ、俺は素直に頷く。すると柊さんは着物を脱ぎ始めた。その姿が色っぽくて思わず見惚れてしまったが、肌が見えた瞬間にそんな感情は吹き飛んでしまった。 「…………」 俺は絶句した。柊さんの身体は至る所に切り傷や火傷の痕、痣のような痕がある。そのどれもが古そうで、新しいものが見えないのはせめてもの救いだった。当然普段は見えない足と義足の堺も見える。  それでも、その姿さえも美しく、愛おしく思える。今すぐにでも手を伸ばして、傷や痕一つひとつに口づけ、そのまま押し倒して抱いてしまいたい。 「もう充分だろう?」 「いえ。もっとよく見せてください」 俺は柊さんの頬に触れ、長い前髪をかき上げた。見えた左目はいつもの優しい瞳ではなく、大きな切り付けた傷だった。 「見えて……ないんですか?」 「残念ながら」 「そうですよね」 俺はそっと柊さんの前髪を下ろした。何も無かったかのような美しく優しい顔がそこに戻る。 「口吸いをしてもいいですか?」 柊さんの唇を親指でなぞりながら問うた。柊さんは拒めないと確信したから。 「良いよ」 予想した通りの返事が返ってきた。俺は柊さんの唇に触れた自分の親指越しに口づける。 「普通にするのかと思った」 「それはまだしません。いつか、貴方を守れるような男になります。それまでは今以上に触れる事はしません」 もう俺の想いは知られてしまっただろう。柊さんは驚いたような顔をした。それでも直ぐにいつもの優しい笑みに戻る。 「そう……待っているよ」 「はい。必ず貴方に見合う男になってみせます」 そう言って俺は柊さんの髪を掬い上げ、そっと口づける。そして柊さんの着物をそっと戻した。  いつか貴方にはっきりと伝えたい。貴方を愛していますと。貴方を傷付けるような輩から貴方を守る強さが欲しい。 「なんて、俺も傷付ける輩の一人か」 次の客もまた、柊さんに重ねて抱くだろう。見て知ってしまったあの身体を思い出しては一人欲を放つのだろう。 きっと溢れんばかりの劣情を隠して、貴方に優しくするふりをする俺が一番最低な男だろう。柊さんが出ていったこの部屋で一人自嘲した。

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