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第33話
俺の理性を試してないでさっさと入ってこい、と風呂場に押し込まれてしまった。
一人になると途端に寂しいような、寒いような感覚がして、ふるりと身を震わせる。
はっとして、こんなことではいけないと気を引き締めた。
竜次郎が何と言おうとも、甘えすぎてはいけない。
傷のこともあるので恐々とだが、体を洗えてほっとした。
…が、鏡に映った自分の首筋と鎖骨にキスマークを発見して紅くなる。服は買い足せばいいと思っていたのでスーツケースにはこれを隠せるようなものは入っていない…というかあるのは今着替えとして持ってきた一着だけだ。
「(……何か借りられる……かな……?)」
とりあえず、今はもう仕方ないので目撃者には申し訳ないが諦めてもらうしかない。
さっぱりして風呂場を出ると、言われていた通りに台所へと向かった。
微かな物音がしていて、覗くとワイシャツの袖をまくりエプロンを身につけた見覚えのある男が立っている。
佇む湊に気付いて、おはようございます、と丁寧に会釈をされたので慌てて頭を下げた。
先ほどの声は、この男だったのか。
五年前、竜次郎の祖父が湊の家を訪れたときに傍らにいた男だ。
年は三十代だろうか。整った顔立ちだが笑顔はなく、冷ややかな切れ長の瞳を少し長めの前髪が隠している。
どことなくオーナーの片腕である土岐川や店長の桃悟に似た雰囲気で、『オーナーの好みのタイプだな』と勝手な感想を抱いた。
「日守 疾風 と申します。この度は主のために体を張っていただき、ありがとうございました。それと、こちらの不手際で負傷させてしまったこと、本当に申し訳ありません」
深々とお辞儀をされて恐縮してしまう。竜次郎には蛮勇とか言われてしまったし、我ながら無謀だったと恥ずかしく思う部分もある。直前に見た三浦の救出劇に、ヒーローになりきる子供のように自己を投影してしまったのだろうか。
「いえ、そんな……俺が勝手に余計なことして怪我しただけで、不手際とかなかったと思いますから」
「いいえ。護衛を任せていたものに話を聞きましたが、貴方が出てくるまで彼らは鉄砲玉の存在に気づいていなかったそうです。…五年前、大切な人から引き離すような真似をして快く思っていらっしゃらなかったであろう私の主を助けたいと思ってくださったこと、感謝いたします」
反射的な行動だったので誰が狙われていてもあの男を追いかけていっただろうが、もともと竜次郎の祖父を恨んだりはしていなかった。
「この五年はお互いに必要な時間だった……そう思います」
「そう言っていただけると主も安心するでしょう。私は金 様を失っては生きていけない。その主を助けてくださった貴方には恩義があります。主の不利益にならないことと限定させていただきますが、何か困ったことがあれば力になりましょう」
「……ありがとう、ございます」
有難いと、素直にそう思った。
この男は、松平組のためにならないことがあればきちんと言ってくれそうな気がする。
竜次郎も何も考えていないわけではないだろうが、湊に優しすぎるので冷静な第三者の視点は非常にありがたい。
湊は自分が迷惑をかけていないかを聞ける相手ができたことを喜んだ。
椅子をすすめられて、箸と調味料の置かれたダイニングテーブルの前に座る。
「支度はできていますが……代貸が戻るまで待たれますか?」
「えっと……時間がかかりそうですか?」
「何分後と正確な時間はわかりませんが、そうはかからないかと」
「じゃあ、少しだけ待ってみようかな…」
折角なので一緒に食べたい。
「では、お茶をお淹れいたします」
先程も御庭番、と思ったが、まるで執事のような働きぶりに感心してしまう。
所作も洗練されており、マサやヒロのようなチンピラと同じくくりの極道だとは到底思えない。
困ったことがあれば力になると言っていたので、『SILENT BLUE』で人手が足りないときにヘルプとして入ってもらえないかな、などと湊はうっかり考えていた。
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