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第102話

 絶望感に囚われかけた刹那。 「ぐっ………」  肩を押さえ、体を折ったのは竜次郎ではなかった。  長崎の服と手が赤いもので染まっていくのが見えて、息を呑む。  竜次郎が撃ったのかと思ったが、眉を顰めて辺りを窺っているところを見ると、第三者の狙撃のようだ。  湊を庇うようにしてくれている中尾も全身で警戒しているのが伝わってくる。 「……誰だ」  竜次郎が鋭い視線を辺りに投げると、ギシ…と床の軋む音がして、全員の視線がそちらを向いた。 「……松平組には伝手があると言っていたが、私怨を晴らすためだったとは、くだらない男だ」  奥から出てきたのは、黒いコートを纏った男だった。  見覚えはない。日本人のようにも見えるが、イントネーションには微かに日本語とは違うものが混ざっている。  その後ろから、ばらばらと何人も銃を持った黒いスーツの男が出てきて、湊たちを取り囲んだ。  じりじりと後退し、竜次郎が近づくと、中尾は湊をそちらの方へと追いやる。  距離が縮まると一瞬、目が合ったが、自分に竜次郎に縋り付く資格があるかどうかわからなくて、ジャケットの裾を控えめに掴む。  その瞬間、ぐっと抱き寄せられて、そんな場合ではないのに涙が出そうになった。 「あんた、なんとか幇っつー組織の奴か。何故長崎を撃った?仲間割れか?」 「不要なものを始末しようとしているだけだ。日本人には金よりも人情とかいうものをありがたがる傾向がある。その男を使ったのはいらない争いを避けるためだったが、つまらなすぎて見ていられなくなった。我々は、ビジネスの話をしに日本に来ている。我らの傀儡になるというのであれば、お前たちの無事は保証しよう」  譲歩してくれているようでいて、望む答え以外は許さないといった有無を言わさぬ言葉に、中尾が鼻を鳴らした。 「で?どうすんだこれ」 「さあて、どうすっかな……」  二人にも良策はないようだが、何とかして無事にここを出られないだろうかと必死に考えた、その時。  ドン、と音を立てて外に面している戸が吹き飛んだ。  全員の意識がそちらに向かい、一体何事かと態勢を整えるよりも迅く、飛び込んできた何者かによって黒いスーツの男たちが倒されていく。 「なっ………」  呆気にとられていたコートの男の頭に銃口が突きつけられた。もう、立っている部下はいない。  本当に一瞬の出来事だ。 「お前……」 「土岐川、さん……」  見上げるほどの長身に整った顔立ち。瞬く間にマフィアを鎮圧してしまったのは、オーナーの右腕である土岐川だった。  土岐川がいるということは、と風通しの良くなった戸口に視線を向けると。  カツン、と小気味の良い靴音がして。 「湊、無事?助けに来たよ」 「お、オーナー!」  月明かりをバックに美しく微笑んだのは、やはり、『SILENT BLUE』のオーナーである神導月華だった。  いつもと同じ装いで、ただし右手には日本刀のようなものを持っている。  荒事とは無縁の人かと思っていたが、武器を手にしていても違和感はなかった。 「神導……てめえ……美味しいところを掻っ攫いやがって……」  竜次郎の悪態で、目の前にいる麗人が誰なのか分かったらしいコートの男が目を剥いた。 「神導……?な、何故だ!この件では黒神会は静観を決め込むと、」 「悪いけど、今日は黒神会は関係ないんだ。僕の大切な仲間が攫われたから、助けに来ただけ」 「仲間、だと……!?」 「湊はうちの大事なスタッフだからね。つまり僕のプライベートな身内だ。これを黙って見過ごすわけにはいかないでしょ?」 「な………」  コートの男は絶句して湊とオーナーを見比べたが、驚いたのは湊も同じだった。  彼は、黒神会絡みで竜次郎を助けに来たのかと思っていたからだ。 「木凪からの報告もあったけど、湊がいなくなったって望月と桃悟から通報があってさ。二人とも目を離した隙に子供がいなくなった親みたいにうろたえてて面白かったよ」 「(店長……副店長……)」  また迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちもあるが、、二人が月華に知らせてくれたことも、湊の安否を気にしてくれたことも嬉しかった。 「あんまり美味しいところを奪っちゃ悪いかなと思っていつ踏み込もうか窺ってたけど、なんなのこの行き当たりばったり感。いらないでしょ、丁半とか」 「うるせえな。それで片がつけば一番平和的でいいかと思ったんだよ」 「本気でそう思ってたの!?馬鹿なの?」 「やばそうなら湊だけ掻っ攫って逃げるつもりだったぞ、もちろん」 「……………………まあいいや。とりあえずこの男に色々聞かせてもらうよ」  抜身の刀をぐっと首筋に押し付けられて、ヒッと男が息を呑んだのが聞こえてきた。 「さ、早く連れて帰ったら?僕も湊にあんまり残酷な描写はお見せしたくないんだけど」 「……わかった」  オーナーの言葉に頷いた竜次郎に入り口の方へと促され、忘れていたことを思い出して返しかけた踵を一瞬戻した。 「あっ……お、オーナー、ありがとうございました!」  ふっと顔を上げたオーナーはきれいににっこりした。 「落ち着いたらまた湊の淹れた紅茶が飲みたいな。あとそのおじさん、急所は外れてるっぽいけど、出血やばいから渡紀宗センセーのところに連れて行けば?あの人なら死体でも復活させられるでしょ」  長崎は黒神会では処断しないと、そういうことらしい。  竜次郎が小さく「あんまり感謝したくもないが、恩に着るぜ」と呟いたのが聞こえた。

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