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第104話

 湊を抱いた後、指示を出さなきゃいけねえことがある、と言い残し、竜次郎は部屋を出て行った。  その気配が家の中から完全に消えたのを確信して、そっと起き上がる。  カーテンの隙間から白んできている空が見えた。夜が明けてしまったようだ。  寝ていないので疲れているはずだが、目は冴えていた。  結局、自分から別れを切り出したりすることはできなかった。  そうすることが本当に正しいことなのかも、未だ迷う気持ちはある。  ただ、長崎とのやりとりを見て、竜次郎はやはり松平組を背負って立つ人なのだと痛感した。  竜次郎は優しいから側に置いてくれているが、湊は本当に足を引っ張る存在でしかないと思う。  彼の誠実さはよく知っているし、好きだと言ってくれる気持ちを疑っているわけではないけれども、自分という一点が、松平竜次郎という男の価値を貶めている気がして、……そしてそれが竜次郎の負担に変わっていくことが、怖くて。  やはり、離れた方がいいという結論に至りつつある。  だが、どうしても自分から手を離すことができなかった。  自分の住処に戻り、居場所を再確認できれば勇気が出るかもしれない。  顔を見てしまうと決心が鈍るので、心が決まるまでは顔を合わせずにいようと、服を身につけて階段を下りる。玄関から外の様子を窺うが、人の気配はしないようなので、そっと屋外へと出て、裏口を目指した。 「やっぱりな」  聞き慣れた声に、ぎくりと足を止めた。  出て行こうと思っていた裏木戸に、竜次郎が腕を組んでもたれかかっていて、目を瞠る。  どうして、ここに。 「りゅう、次郎……、お仕事だったんじゃないの?」  震えそうな声を抑えながら問いかけると「指示なら出したぜ?」と手元のスマホを振ってみせる。電話で済むなら、家の中からでもできたはずだ。  ……つまり。 「なんとなく、こうなりそうな気がしてカマかけたんだが、残念ながら当たっちまったな」  寂しさの混じる声音に、ギュッと胸が締め付けられる。 「あの……、俺は、ただ、自分の部屋に戻ろうと思っただけで、」 「そんで、俺が諦めるまで居留守使って籠城するつもりか?」 「……………………」  駆け引きが本業の博徒の男には、何もかもお見通しだった。  それ以上、言葉が見つからなくて唇を噛む。  どうしたらいいかを考えるのに精一杯で、逃げ出すことを読まれていることにまで頭が回っていなかった。 「湊」  ぐっと距離を詰められ、見られたくない表情を覗き込まれそうになって目を逸らした。 「お前が、昨夜みたいなことはもうこりごりで、どうしても俺とは一緒にいられねえってんなら、諦める。けど、違うんだろ」  確信を持った言葉を肯定できなくて、ふるふると首を横に振る。 「ち、……違わない。お、俺、竜次郎とは、一緒に……いられな……っ」  喉が詰まって、たった一言がきちんと言えずに、涙がこぼれた。 「(駄目だ、これじゃ……っ)」  どこに、と思ったわけではない。  反射的に逃げそうになった腕を掴まれて、強い力で引き寄せられる。  抱き竦められて身じろいだが、抵抗というほどのものにもならなかった。 「もういい、言うな。お前は心にもねえ嘘を平気でつけるような奴じゃねえ」  離して、と絞った掠れ声にかぶせるように、耳許で低い声がそう囁いた。 「竜……、」  ひくっと喉が鳴る。  竜次郎は、全部わかっているのだ。 「こうしなきゃいけねえ理由が、どんなに深刻なことでも、下らねえことでも、聞くから。お前が何を考えてるのか、ちゃんと聞かせろ」 「っ………」  止まらない涙がはらはらと零れて、逃げられなくなった湊は声もなく。  しかし微かに首を縦に振った。

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