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第110話

 湊は、五年間住んでいた部屋を引き払い、松平家に引っ越すことを決めた。  既に『SILENT BLUE』での仕事が終わると迎えが来て、翌日仕事の直前に送ってもらうような生活だったため、荷物が移動するくらいであまり変わらないのだが、自分の退路を断っておこうと思ったのである。  竜次郎に話すと、喜んでくれたのでほっとした。何度か誘われていたが中々いい返事をできずにいたため、今更と言われてしまったらどうしようかと思っていたから。  オーナーは特に何も聞かずに、いらないものは全部置いて行ってくれていいからと、いつも通り男前なことを言ってくれた。  五年間住んでいたが、湊が自分の意思で購入したものはかなり少ない。  ほとんどの物は置いていくことになるだろう。自分が出て行った後は、誰か他のスタッフが使ってくれたら嬉しいかもしれない。  仕事の合間に桃悟と望月に話すと、同じビルに住むご近所同士として、転居を惜しんでくれた。 「そうか……いよいよ嫁に行ってしまうのか……」  職場では会話をするものの、休日に互いの部屋を訪れ合ったりはしていなかったので、特に今までと変わらないはずだが、よよよ、と泣き真似をする望月に苦笑する。 「別にお店を辞めるわけではないですけど。ただ、最近ほとんど使っていないので、部屋を借りっぱなしなのが申し訳なくて」 「別荘にしといても月華は気にしないと思うけど」 「今更とはいえ明らかに適正ではない価格で借りてますし……」 「……あの守銭奴はもっと金をとれる相手に貸せた方が喜ぶだろうな」  桃悟の冷静な一言に、三浦の仏頂面を思い浮かべながら、三人でそれはそうだろうと頷く。  ……自分が出て行った後を違うスタッフに使ってもらうというのは、難しいかもしれない。 「あいつにいじめられたらすぐ戻ってきていいんだぞ。うちにもいつでも泊まってくれていいから」 「あ、ありがとうございます」  やはり兄がいたらこういう感じだろうか。望月の言葉はいつも温かい。  ……竜次郎のことは、少し誤解している気がするが。  長崎との一件で、桃悟と望月にはたくさん心配をかけてしまった。  返すのであれば、やはり仕事を頑張るのが一番だろう。  とはいえこちらも勤務日数を少し減らしてもらうことになりそうで少し心苦しい。  毎日送迎に人を割いてもらうのが申し訳ないのと、あとはやはり竜次郎が喜ばないことはあまりしたくないから。  それも既にオーナー達に話は通してある。  今までずっと停滞していたものが少しずつ変わっていくことが、不安でもあり、だが楽しみでもあった。  松平の屋敷に住むメリットとして、実家が近いというのもある。  あの後北街は姿を消したらしいが、だからといって絶対安全という保証はないし、湊も今後はもう少し親孝行をしたい。  竜次郎とのことも、反応を見ながらではあるが少しずつ話せていけたらいいと思っていた。 「……で、やっぱりこいつも一緒なのかよ」  竜次郎は相変わらず湊の相棒に複雑な感情を抱いているようだ。  竜次郎に手伝ってもらって、目下引越しの作業中。  何も代貸自ら、と他の組員も手伝ってくれようとしたのだが、何故か竜次郎が「お前らは湊の部屋に入るな」と怒ったので、代貸様お一人に部屋に来てもらっている。  実際、事前にまとめておいた段ボールを数箱運び出す程度のことなので、何なら湊一人でもできないことはない量だ。  その段ボールの上に置いておいた相棒のウサギを見て、竜次郎は眉を顰めている。  もちろん、持っていかないという選択肢はなかったが、どこに置くかという問題はあった。  オーナーが用意してくれたこの部屋では、持ち主が成人男性であるということ以外それほど違和感はなかったが、純和室にこのぬいぐるみは少しミスマッチな気もする。 「和室の隅に置いとくとちょっとホラー感あるよね」 「そうまで思ってて持って行くな」 「俺、この子を置いては出ていかないから、人質になるよ?」 「そこは、俺がいるから出ていかないとかじゃねえのかよ……」  嫌そうにぬいぐるみを掴んだままがっくりと項垂れた竜次郎が可笑しくて、つい笑ってしまう。  すると「何笑ってんだよ」と目つきを悪くした竜次郎が、ぬいぐるみを置いたかと思うと、唐突に湊を背後のベッドに押し倒した。 「あっ、竜次郎、ダメだよ、下でマサさんとヒロさんが待ってるんだから……」  良からぬ気配を感じて慌てて押し返すが、抵抗を面白がるように体重をかけられて、なんともならない。  熱い手にぞろりと脇腹を撫であげられると、性感を覚えて息が乱れた。 「りゅ、竜次郎……!」 「そういうのは、待たせときゃいいんだよ。荷物詰めてんだ。時間かかるに決まってんだろ」 「そんな……、あっ!や、……っん」  硬くなったものを押し付けられて、びくっと驚いて開いた口を塞がれる。  少し荒っぽく差し入れられた舌に口の中を蹂躙されると、湊は力が抜けて竜次郎のことしか考えられなくなってしまう。それを、竜次郎はよく知っているのだ。 「ふぁ……、っ、りゅう、じろ……、あ、だめ、」  唇が解放された隙にまだ微かに残る理性で、ささやかな抵抗を試みるが、竜次郎は意にも介さない。 「この部屋はあいつのテリトリーっぽくて落ちつかねえが、ベッドがあるのはいいな。風呂広くするのと合わせて洋室も作るか」  やけに楽しげにそんなことを言いながらも、湊の服を手際よく取り去っていく。 「湊、お前も、色々できたほうが嬉しいだろ?」 「わ……かんな……っ、竜次郎が、いてくれれば、俺……」  生理的な涙で滲んだ視界で見上げると、密着した体がぐっと強張った。 「ったく、お前は」 「な……に……?」 「俺に火ぃつける天才だな」 「え……?っあ、や、っああっ……」  言葉の意味を考える隙も与えず、開かされた足の間に竜次郎が顔を寄せて、既に反応しているものをくわえられる。  ……後はもう、推して知るべし、である。  結局、竜次郎が全て荷物を持ち出し、最後にぐったりした湊も運び出されたのだった。  余談だが、どうにも竜次郎と相性が悪いようなので、ウサギは結局実家に預けることになった。(預けると言ってもぬいぐるみなので世話が必要なわけではないが……)  湊には今竜次郎がいてくれるが、母は一人だ。  一人で寂しい時にそばにいてくれた相棒が、今度は母を守ってくれたらいいと思う。

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