3 / 11

第3話

 日が落ちて、撤収作業を終えて車を自宅の車庫に戻してから、打ち上げと称したいつもの飲み会に参加した。  幌布製品や国産ジーンズなどの作り手は女性が多く、飲み会はかなり華やいだものとなる。意外にも、そういう場でモテるのは実の方だったが、それは愛玩動物を愛でているのとさして変わりはない。  まあまあとどんどん日本酒を注がれ、それをくぴくぴやりながらぼおっと会話に頷き、たまに返事をする。それだけで頭を撫でられたりして嬉しそうにされるので実は楽だった。  本当なら、今夜は参加したくはなかった。  正月に実が切り出した「もう恋人はやめる」という宣言に確たる返事をもらえないまま、曖昧な関係が続いている。  とはいえ、コンビは解消したくないのも本当だから、工房ではなるべく使用時間帯が被らないようにしたり、他の誰かが居る時にしたり、自宅で出来る部分はなるべく自宅で済ませるようにしていた。  小さな作業部屋も持っているから、工具で加工する程度のアクセサリーならば自宅でも作れるのだ。  新汰は、相変わらず会話を途切れさせることなく、主に男性陣と話に花を咲かせている。  皆、専門知識が豊富だから、それぞれがあちこちに話が飛んでも付いていくことが出来るのだろう。実などは、いつも耳で聴いて勉強させてもらうだけで、口を挟む隙もない。  今いるのは、呉服屋の跡取りが開放している多目的空間で、昔の蔵を改装しているから天井が高くて演奏会などにも向いている。  作り手が多く参加する今回のようなイベントの後には、必ずといっていいほど持ち込みでの飲み会が催される馴染みの場になっているのだ。  深夜が近くなり、さてどうしたものかと実は思案した。  いつものように新汰は朝まで飲むのかもしれないが、昨夜ぎりぎりまで展示品の追加を作ったり包装用品を揃えていた実は、そろそろ睡魔に負けそうになっていた。  酔い潰れた新汰を介抱して家まで連れ帰るのは今日は無理だから、ここに放置しておいてもいいのだろうか。  一声掛けて蔵を出ようと決心しかけた時、横に置いたコートのポケットで携帯電話が振動しているのに気付いた。  こんな時間に遣り取りする相手はそう多くない。その最多の相手からではない以上、何か緊急の用事かと開いてみると、哲朗からのメールだった。 『今日はお疲れ様。嬉しかった。  今、メシ食いながら休憩中。電話できる?』  サービスエリアか何処かからだろうか。  たまに会っていた頃も、数回だけこんなことがあった。  気まぐれに振り回されている感じはしても、連絡があるだけで心臓が飛び跳ねて大急ぎで電話を掛けたものだ。  今も。ふっと口元を綻ばせ、コートごと足早に路地へと出たのだった。  ワンコールするかしないかの内に通話になり、言葉に詰まった。 『みのっち、大丈夫なのか』 「うん。打ち上げで大騒ぎしてたんだけど、ちょっと外出てきた」 『そっか。あんまり早かったからびっくりした』  確かに、周囲の人たちには電話機を持って会釈したからそれなりに解釈してもらえただろうが、新汰には何も言わずに出てきてしまった。責められるかもしれない。 「うん──なんだかな」  自分でも驚いている。これは、待ちわびていたあの頃の気持ちをそのまま引き摺り続けていたということなのだろうか。  へへ、と照れ笑いするような声が向こうから聞こえてきて、目の前に居る訳でもないのに、実は頬を染めて俯いた。  おっとりした喋り方。良く通る新汰の声質とは逆に、低く優しげにふんわり伝わる声が、今走っている辺りで見えるものなどを説明し、それから、ふっと空気の色が変わった。 『実、あのさ、俺、』  そう言い掛けた時、蔵の重い扉が開いて、ばさりと覆い被さるように新汰が背後から実を抱き締めた。 「みのちゃーん、なんでこんなとこいんの」 「新さん! 電話中です」  驚いて通話口を押さえる間もなく、そのままだと押し潰されそうだから懸命に支えていたら、勝手に電話機を取り上げてぱくんと閉じられてしまった。 「ちょっと! 何するんだよもうっ」  慌てて取り戻しても、勿論切れてしまっている。  絶対変に思われているし、自分がされた方なら凄くショックで落ち込む。しかも何か大切なことを言おうとしている雰囲気だった。  すぐに掛け直したいのは山々だったが、新汰はふんふんと鼻歌を歌いながら、ずんと体重を掛けてくる。 「もう~、この酔っ払い」  殆ど背負うような格好で、千鳥足の新汰と蔵に戻る。いつも飲み明かすメンバーに押し付けて一人で帰ろうとしたのだけれど、新汰はなかなか離れてくれなかった。 「みのちゃーん、置いてかないでよ。愛してるから~」  耳元で延々とうだうだ言われても、もうそんな言葉ではどきりともしなくなってしまった。  昼間でも軽い調子で言う。酔っ払えば誰の前でも見境なく抱きつく。愛してる、好きだ。その言葉はそんな風に軽々しく使って欲しくない。  確かに、それに慣れている周囲の人々は、まさか二人が恋人同士だなどとは思ってもいないだろう。コンビゆえの度を越えた親しさだと受け取り笑いながら見逃してくれている。  それに救われてはいるのだけれど。 「新さん、おれ明日も仕事なんだから。そろそろ帰らないとヤバイんだってば」  引き剥がして下が物入れになっている畳コーナーに寝かせようとしてもヘバりつかれて剥がせない。体格差があると、こういうとき大変なのだ。 「んじゃあ俺も帰る~寝る~」 「だからここで朝まで寝てから自力で帰ってって言ってるのに。無理だから、車で送れないし」 「一緒に寝ようよ~」 「やです。こんなとこで眠れるわけがないでしょ」  その後も「みのちゃんのいけずー」などと散々管を巻く新汰と実のバトルが繰り広げられたが、何しろ全員酔っ払っているので笑いのネタにしかならず助けは入らない。  仕方なく、この近所にある工房まで移動することにした。  仮眠出来るように布団はあるし、静かだから早く眠ってくれるかもという淡い期待を込めて。  表は小さな店舗がありシャッターを下ろしているので、裏の勝手口から入ると、炉の熱でほんのり暖かい。今が冬で良かったなと思いながら、誰も居ない休憩室に新汰と雪崩れ込む。  千鳥足ながらもどうにかついて歩いてくれたのでここまで来られた。全体重掛けられるとどうにもならなかっただろう。  四畳半の小さな部屋の片隅には三つ折れにした布団が積んであり、中央の卓袱台を畳んで片付けてからその布団を敷いた。 「新さん、コート脱いで」  畳の上で仰向けになっている新汰に声を掛けて体を起こすと、どうにか靴とコートを脱いで放るので、実はてきぱきとそれを片付けてから布団まで誘導しようとした。 「みのちゃん」  今まで殆ど閉じられていた新汰の瞼が上がり、至近距離で見詰められていると気付いた時には、実は腕で膝下を刈られて倒れ込んでいた。 「し、んさ……」  いつかの二の舞だ。  振りだったのか、それとも歩いている間に醒めてしまったのか判らないが、新汰はアルコールの影響など垣間見せずに手早く実の下半身から衣類を剥いでいく。 「やだって。ホント、もう寝ないと」  懸命に抗っても、いち早く急所を握られてどうにも出来なくなってしまった。 「恋人、やめるって言ったのにっ」  揉まれて芯が入ったところを扱かれる。年末にしたのが最後で、もう一ヶ月以上もご無沙汰だった。性欲が薄く、自分ではかなり長い期間抜かなくても平気な性質だとはいえ、ひとにされればあっという間に立ち上がり、先走りが滲んだ。 「勝手に言ってたけど、俺は承知してないよ」 「そんなっ」  一方的だとは思うけれど、こんなのはどちらかが終わりを告げてしまえばそれまでだと思っていた。それなのに。 「やだ! も、しないっ」  どうにか体を反転させてにじって逃げようとすると、手荒くコートも脱がされ、実自身から出たものだけを絡めた指が後ろに突きたてられる。 「ヒッ、いたっ」 「何もないからさ、ごめんね。それに、そんなに嫌がられると、優しくなんて出来そうにないわ」  涙を零して背を仰け反らせるところに、ろくに解しもせず、本当に新汰は己を突き刺した。  あぐ、と悲鳴を上げそうになった頭をぐいと枕に押さえつけ、みちみちと軋む箇所に無理矢理全部押し込むと、性急に腰を使い始める。  熱で温まっている空気が、鉄錆の臭いを漂わせていた。  このままだと敷布団が汚れてしまうと、呼吸すらままならない中で、実は精一杯腰を上げた。溢れ出る潤滑液のおかげで滑りが良くなったのか、新汰はスピードを上げ、肉と肉がぶつかる音と、荒い息遣いが静かな工房に木霊する。  こんな、神聖な……とまではいかずとも、誠心誠意込めて作品を作り上げていく場所で、こんな下品な行為をすることになるなんて、と。実は音もなく涙し、それはそば殻の枕に染み込んで行った。  もう、きっと感情が付いていっていないのだろう。  初めてのときでもこんな風には感じなかった。実を気持ち良くしようとは、微塵も思っていない行為。ひたすらに痛いだけで、どうか早く終わってくれますようにと、ただそれだけを願っていた。 「せんせー、大丈夫?」  階段を登ろうとして、一段目から踏み外してしまった。  手摺りにしがみ付いたところを通り掛った男子生徒に見咎められ、反対の腕を取られ体が緊張する。  高校生の男子ともなれば、殆どが実よりも大きく、進学校ではないため容姿に気合を入れている生徒が多いから、なんとなく引け目を感じてしまう。  事務員でも区別なく、全員に「先生」と呼ばれるのがこそばゆいが、生徒にとっては学校という場に居る大人は一括りに先生になってしまうのだろう。 「顔色、真っ白。保健室つれてったるわ」 「え、ちょっ、そこまでは」  どうにかこうにか午前中の仕事をこなした後だった。  いつもは食堂か近所の製麺所に食べに行くのだが、本当に食欲がなくて飲み物だけで済ませようとしたのが悪かったのかもしれない。  朝もぎりぎりまで布団の中に居たから、ヨーグルトを一つ食べたきりだった。  見たことがあると思っていたら、去年選択授業でバーナーワークを教えたことがあるグループの生徒らしく、もう一人の連れと一緒に両肩を支えて、殆ど宙に浮くくらいの勢いでさっさと保健室に連れ込まれてしまった。  確かラグビー部だったが、道理で軽々と持ち上げる筈だ。 「風邪っていうんじゃなさそうだけど」 「うん、熱くないもんな。逆に冷たいくらい」  さほど大きくはないが、二人ともYの字体型でがっしりしている。冬でもしっかり日焼けの跡が残っていて、それなのに若いからぴちぴちと張りのある肌。  それを羨ましく見上げながら、ベッドの上に腰掛けさせられた。保健医は留守のようで、珍しいことではないから二人には礼を言って帰らせた。  人手が足りない時には、実も保健室勤務を手伝わされることがある。難しいものはすぐ近くの総合病院に搬送すればよいし、消毒くらいならば実にも出来るから、後はサボりの生徒の相手だけしていれば良い。  自分でも手足の先が冷たいのが判る。貧血を起こしているのだ。  昨晩、一回イった後、やはりアルコールの影響が強かったようで、新汰はすぐに寝入ってしまった。当然実のモノは萎えたままだった。  気を付けてはいたのだが、少しシーツが汚れてしまっていた。だが、それを洗濯するほどの体力も気力も残っていなかった実は、よろめきながら深夜に帰宅した。  もう眠気よりも疲労で倒れこみたかったが、シャワーを浴びて体内の残滓を掻き出し、涙も枯れ果てて泥のように眠った。  あらぬ部分はじくじくと痛み、哲朗のことも気掛かりだったが、とても話せる状況ではない。  何を言い掛けたのか、そして突然に切れてしまった通話に怒っていないかと、ずっと心に引っ掛かったまま。  書類を捌き、入試関連の段取りを進め、電話の応対に追われて一日が過ぎて行く。  内線で他の事務員に居場所を伝えてから、上着をベッド脇の籠に放り込んで横になっているうちに眠ってしまっていた。  ぎりぎりまで待ってくれていたらしい保健医に揺り動かされ、利用手続きをしてから一度事務室に戻り、部署の仲間に謝ってから荷物を手に学校を出る。  暇な時期なら割と自由時間も取れる職場ではあるのだが、今は忙しくなる一歩手前だ。年度末のあれこれよりはまだましだが、それでも繁忙期に変わりなく、皆の視線が痛かった。  今日はもう何もしないでゆっくり眠って、明日はきちんとこなさないと。そう心に決めて駐車スペースに行くと、実の車に凭れるようにして新汰が立っていた。 「お疲れさん」  まるで何もなかったかのように笑い掛けられて、無言で会釈した。  運転席側のドアを塞がれていてはどうにもならない。仕方なく少し距離を置いたまま足を止めて視線を落とす。 「なに」  地面に向かって落ちて行った言葉は小さく低く、新汰はほんの少しだけ動揺したようだった。  じゃり、と敷石を踏みしめる音にびくりと肩を跳ねさせ、実は一歩下がった。 「な、なんだよ、用事?」  体の反応に自分でも驚いて、誤魔化すように早口で問うと、それ以上は足を進めずに新汰の革靴の爪先がたたらを踏んだ。 「工房、行くなら一緒にと思ったんだけど」  平日は元々あまり通っていないのに、どういうことだろうと訝しみながら、ようやく実は視線を上げた。 「行かないよ。今日は家でもやらない」 「まさか、ガラス辞めるつもりじゃないだろうな」  新汰の表情が険しくなり、また前に出そうになった足を警戒して、実は鞄を胸に抱えて後じさった。 「違う。今日は体調も悪くて、さっきまで保健室で休んでたんだ」  静かに喋っているつもりでも、口調に険が出てしまう。  ぽろぽろと帰宅の途につく職員や生徒が物珍しそうに二人を横目に眺め、これ以上人気がなくなるのを恐れて、実は思い切って踵を返した。  元々は自転車通勤だ。サドルに跨るのが辛いから車で来ただけで、歩いて帰れない距離ではない。  あ、と声を上げた新汰が後ろから腕を掴む。 「放せ!」  無駄に大きな声が出てしまい、流石に周囲も足を止めて新汰のことを不審者を見る目つきで注視した。 「そこ、どいてくれないかな。ホントに体辛いから、出来れば車で帰りたいんだけど」  周囲の目があるうちにと、実は静かに言った。歩いて逃げ切れるとは思っていない。  呼吸を整えている間にゆっくりと新汰が車から離れ、実はそれを睨みつけながら、ようやく運転席に収まりさっさとロックしてからエンジンを掛けた。  流石に追う素振りは見せず、生徒たちは怪訝そうに新汰を見ながらも、やがてぱらぱらと歩き始め、その間を縫って自宅に帰った。  昨夜のことを憶えていないのだろうか。  それとも、記憶はしていても、悪かったとかそういう気持ちは微塵も抱いていないのだろうか。  どうしてと、何度も胸の中で問い掛ける。  けれど、それを面と向かってもう一度問う気にはなれないのだった。

ともだちにシェアしよう!