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起きたらノンちゃんの腕の中だった。でかくて重くて熱い身体だ。湿った寝息があたまにかかる。
「ノンちゃん、重い」
ほんとうにこいつはどうぶつだ。枕元のスマホに手を伸ばすと、とっくに昼をまわっていた。
さっき民泊がどうのこうのと聞いているうち眠気に耐えられず布団を借りた。いつのまにかノンちゃんも一緒に寝ていたらしい。
「なあ、おれトイレ行きたいんだけど」
「んん……」
ノンちゃんはもぞもぞおれを抱え直した。足でがっしりホールドされてしまった。いつのまに身長を抜かれたんだっけなと思う。うちはわりと小柄な家系だが、ノンちゃんは足も腕も丸太みたいだ。やはりハーフだなあと思う。固い胸の奥で心臓が鳴っているのがきこえた。きっとおれよりでかいポンプだ。血は繋がっているが、べつの血だ。
「こら、おしっこ漏らすぞ」
ケツを引っ掻いたらやっとノンちゃんは目を覚ました。寝起きの腫れぼったい顔でも目がでかい。
「おれそういうプレイはあんまりシュミじゃないんだけど、睦郎がしたいならがんばる……」
「するかバカ」
便所は熱がこもってむっとしていた。欠けたタイルが黒くかびている。
おれは泊めてもらう代わりにケツを貸してやるのか? 甥っ子の筆下ろしをしてやるのか?
なしくずしにやばいことになっている。でもまだ家に帰りたくないし、思っていたよりネカフェも高かった。そもそもいい歳して家出ってな。普段からものごとを深追いしないクセがついているため(だって将来や貯金のことを真剣に考えたら最適解は首吊りだ)、どうすりゃいいのかわからない。小便は二股に分かれキレが悪い。
「睦郎、おれバイト行くけどどうする? 買い物とか行く? 服とかパンツとかないでしょ」
ノンちゃんは千円札を二枚寄越した。こづかいだ。これじゃあまるきりヒモだ。
「二千円で服なんか買えるかよ」
ヒモらしいことを言ってみる。ノンちゃんはうれしそうに、もう千円くれた。
「夜には帰ってくるけど、先に風呂入ったり飯食ったりしてていいからね。カギは下の郵便受けに入ってる。もしかしたら先に客が部屋入ってるかも」
「客って、民泊の?」
さっき蚊に食われたところが痒かった。ぼりぼり掻いていたらノンちゃんが爪でバッテンをつけてくれた。ふくらはぎには去年の虫刺されがシミみたいに残っている。われながらきたねえ足だ。
「そう。今日からの客はオーストラリア人だったかな? ベッド空いてます的なマッチングサイトに登録してるんだ」
「ベッドなんかないじゃん」
「ジャパニーズスタイルってことで、布団出してやるとけっこう喜ぶよ」
「一緒に寝んの?」
「まさか。こっちの台所に布団敷いて使ってもらってる。いちおうふすまあるしさ」
ふすま一枚隔てて、どこのだれとも知らない旅人を一泊いくらで泊めてやる。郵便受けにガムテープでカギを貼っておき、客にダイヤル錠の番号を伝えておくという。
客が勝手に合鍵を増やしていたらどうするんだ? 無用心だなあと思いつつ、部屋には盗まれて困るようなものは何もなかった。虫に刺されたら爪を押しつけてごまかせばいい。
「バイト前にオーナーんとこ顔出しに行くから、睦郎もあいさつ行っとこうな。機嫌いいと叙々苑おごってくれるんだ」
御徒町のジュエリー街近く、やはり雑居ビルだ。看板の出ていない事務所へ連れて行かれた。どんなやくざが出てくるのだろうと思っていたら小柄なおばさんだった。ばあさんか? 年齢がわからない。ノンちゃんはばあさんを社長と呼んだ。
「社長、この人ね、おれのカレシ」
おい何言ってんだ。ぎょっとしたが、ばあさんはどうでもよさそうに植木鉢の葉をむしっていた。
「ああそう」
たぶん枯れた葉を取りのぞいている。外にもプランターが雑然と転がっていた。ビルをジャングルにしているのはこれだろうなと思った。
「叔父さんなんだけどね。あっちで一緒に住むけど、いい?」
なんでもいいよとばあさんは素っ気ない。ちらりとおれのほうを見た。どろんとした目だ。こういう人が電子タバコの輸入というのは意外に思える。
愛想は悪いのに茶と菓子は出してくれた。世間話の途中でノンちゃんは唐突に「おれバイトだから」と出て行ってしまい、おれとばあさんが残された。店舗の改装のバイトだと言っていた。
ばあさんが言った。
「お母さんのほうの兄弟?」
「そうです、ノエルの母親の弟ですね」
「似てないね」
「おれはハーフじゃないんで……」
「顔じゃないよ、全体的に」
ばあさんはせんべいをかじった。ゆっくり噛む音がきこえた。全体ってなんだ?
「かわいそうな子だよね」
「ノエルが?」
「かわいそうな男の子は、つい構っちゃうんだよ」
そのわりにはろくでもねえ仕事をさせている。おれもせんべいをもらった。冷房がガンガンに効いているので熱い茶がうまかった。
「VAPEって、耳にいいやつがあるんですか?」
「は?」
ばあさんは怪訝な顔をした。そりゃそうだよなと思う。だまされているというより、あいつがそう思い込んでいるだけか? わからなかった。どっちにしても同じことだとも思った。
「ここと、あっちのビルのオーナーさんなんですよね。タバコ屋もやってるってききましたけど……」
「駐車場とビルをいくつか持ってるだけ。旦那が死んで、息子がいろいろ商売始めたんだよ。本人は忙しくってほとんどいないけどさ……」
ぼそぼそ言い、たばこに火をつけた。おれにも一本くれた。よくわからねえが金持ちらしい。息子って、たぶんおれより歳下だろうな。おたがい黙って灰を落とした。
「あんた、Photoshop使える?」
「なんすかいきなり」
「この子らをちょっとかわいくしてほしいんだよ」
明らかに風俗嬢のキャスト写真だ。加工しろってことか? フォトショなんてさわるの何年振りだろう。古いバージョンではあったがよくわからず、結局スマホのアプリで加工してやった。ばあさんは満足げにうなずき、五千円くれた。すっかり日が暮れていた。
その金でTシャツとサンダルを買い、カレーを食った。店に長居するのが苦手だ。ゲーセンで時間をつぶしたが小銭はすぐに尽きた。むかしならスロットに行けた。最近の台はそれなりに投資しないと一時間も遊べない。年寄りかリーマンかガチのジャンキーしかいない。
アメ横にはでかいスーツケースを引きずった観光客がおおぜいいた。たしかに宿泊需要がありそうだ。民泊は個人宅や空き部屋を旅行者に貸し出す商売で、都内はどこも空室だらけのためとびつくオーナーが多い、さっきばあさんからきいた。とくに昭和五十年代に建てられたビルが、中途半端に老朽化し使い道が難しいという。おれと同年代だと思った。民泊は規制が厳しくなり過渡期だが、マッチングサイトを通じた個人間のやりとりなら、わりとなんでもありだとも言っていた。
帰り道、閉店間際の果物屋でパイナップルを食った。割り箸に刺さった切れ端だ。観光客の子どもらが熱心にかじっているのがうまそうに見えた。パイナップル百円、メロン二百円。反射的に安いほうを選んでいた。案外酸っぱかったし繊維が奥歯に挟まった。今度食うときはメロンにしようと思った。躊躇なく百円高いほうをとるために、おれもバイトしようかなと思った。
郵便受けに鍵はなかった。ノンちゃんか客かどっちだろう。なにも考えずに玄関のドアを開けたら、ノンちゃんが知らない男を手コキしていた。
「うえっ」
思わず変な声が出た。男は下半身裸で情けない姿と声をさらしている。白人のデブだ。
「あ、睦郎、お帰り」
ノンちゃんはまるで朗らかな調子で手も止めない。男もおれにかまわず顔を赤くして、OhとかUmmとかうめいている。場違いなのはおれか?
「ごめん、邪魔した」
「ううん。もう終わるから大丈夫だよ」
「あっそう。ごゆっくり」
ばかみてえなことを言ってしまった。
ふすまを閉めて引っ込んだが、男のちんぽが目に焼きついていた。でっかくてピンク色で、ナマコみたいだった。男の喘ぎ声はどんどんうるさくなり、Fuck me! Fuck me!とすすり泣く。ノンちゃんが笑ってなにごとかつぶやいた。英語だ。おれには何を言っているのかわからない。パン! とおそらくケツを叩いた音がして、男がいかにもうれしそうにひいひい吠える声がきこえ、ふすまの向こうで何がおこなわれているのかだいたいわかった。
ノンちゃんは金をもらってやっているんだろうか。上野の売春事情に詳しかったもんな。当然童貞じゃない。向かい合って座って、左手で竿をしごきながら右手で玉や裏筋をくすぐって……前におれがノンちゃんにしてやったのとそっくりじゃねえか。
そのあとのノンちゃんはいつも通りだった。買ってきたTシャツを褒めてくれた。パンツを買うのを忘れたので貸してもらった。ド派手な柄物だ。ノンちゃんはやはり布団の中でおれをぎゅうぎゅう抱え、好き放題ハグやキスをして、すぐに寝入ってしまった。手は石鹸のにおいだった。おれは客のいびきがうるさくてなかなか眠れなかった。
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