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第3話

 高原の朝は爽やかだ。ぴちゅぴちゅ小鳥の鳴き声で目覚め、窓からはさんさんと朝日が降り注ぐ。  なのになんでこんなに気が重いんだろう。  朝ご飯を貰いにダイニングに行くと、スーツ姿の片桐がテーブルセッティングをしていた。窓から射し込む透明な光の中ですっと背筋を伸ばして、優雅に楽しそうにカトラリーを並べて行く姿はまるで映画のよう。  しばらく見ているとドアの所に立ちすくむ俺を見つけて、ふっと微笑んでくれた。 「おはようございます、朝霞様」 「おはようございます。あの……」 「朝はお野菜中心のメニューになりますが、お嫌いな物はありましたでしょうか」  帰りたいんですけど。という言葉をまた遮られた。 「野菜全部」 「それは困りましたね」  クスクスと面白そうに片桐は笑う。好きな物を調べておいて嫌いな物を聞いていないなんて有るだろうか、この有能そうで意地の悪い執事が。 「こちらにご滞在されている間に野菜嫌いを克服いたしましょう。ピーマン食べられるかなぁ」  バカにしている。バカにしくさっている。  そこに艶子さんがやって来て、面白そうに笑っている片桐と怒った顔の俺を見て首を傾げる。 「おはようございます、楽しそうね。そうやっていると幼稚園の先生と園児みたいだわ」  くーそーばばぁ。  という言葉を飲み込んだ俺は、はっきり喋らないモゴモゴ喋りが幸いしたと思う。  なんなんだこの人達は、最初から人をゴミみたいな目で見て意地の悪い事ばっかり言いやがって。帰ろう。もう今日にでも帰ろう。 「ご飯いらない」 「それはいけません。朝霞様は少々体が弱い所が有ると伺っております、万が一の事が有りましたら、お預かりしたこちらにも責任が生じますので」 「扁桃腺だから風邪ひかなきゃ平気だし、子供預かってるわけじゃないでしょ。風邪ひいても文句なんか言わねーよ」  いくら年下でも十九の男を捕まえて、野菜食えだの弱いだの、いちいちいちいちバカにしてる。少し小柄で細っこくて童顔なのを当て付けているに違いない。そりゃ片桐は十分育ってていい男だけど、そんな事はそれこそDNAに言ってくれ。  ドカドカ足音を立てて廊下を戻り、与えられた部屋でさっさと荷物をバックに放り込んでいると、ドアが軽くノックされた。 「失礼いたします。朝食をお持ちいたしました」  銀のワゴンを押しながら部屋に入って来たのは黒いスーツ姿の片桐で、ワゴンの上段に朝食が、下段に本を山のように積んでいる。 「それから参考書もお持ちいたしました。本日より二郎様の後継者となるためにふさわしい知識を身につけていただくよう、カリキュラムに沿って勉強していただきます」 「はぁ?」  なんだそれは。そんなもん尚更いらねーわ。 「けっこうですっ」 「三流大学浪人ですから、このままでは後継者にはなれませんよ。いい機会なので勝海様もエントリーなさるそうです。あの方はああ見えて一流大学卒ですので、頑張って下さい」  どうでもいい。俺はもう帰る事を決めたのだから、そんな競争心植え付けようとされても全くどうでもいい。  そのまま朝食がてら勉強をさせようとする片桐を部屋から追い出して、俺はイライラしながら荷物をまとめる事を再開した。  スマホの充電器が無くて、それを探し回っているうちに随分と時間がかかってしまい、外から突然バリバリバリバリと物凄い爆音が聞こえたのはもう昼になってからだった。  古い屋敷の窓ガラスが小刻みに震えて、何事なのか。急いで窓に張り付き外を見れば、庭園の向こうに広がる広大な芝生地帯にヘリが着陸していた。  凄い、自宅にヘリポート。  もしかしたら二郎さんの登場だろうか。後継者探しで集められたのだから、二郎さんがいなくちゃ話にならない。昨日は会えなかったけれど、とうとう二郎さんのお出ましだ。  期待して見ていると、庭の芝生をスーツ姿の片桐がヘリに向かって歩いて行く後ろ姿があった。あれこそ執事のお迎えに違いない。しかし片桐はそのままヘリに乗り込んでしまい、プロペラの回転速度が上がる。 「あれ?」  おかしいな。  やがてヘリは片桐を載せて空高く飛び立ってしまった。  ……お買い物だろうか。出かけるなら一緒に乗せて行って欲しかったなと、俺は山脈の向こうに消えて行くヘリを名残惜しく見送った。どんな常識外の屋敷だ。ここは日本だぞ。と言うか山奥過ぎてもしかしたらヘリしか下山手段が無いんじゃないか。  恐ろしくなった俺は、屋敷の周辺散策をしてバス停を見つけ出そうと庭に飛び出した。 「あら?朝霞くん」  門から外に出ようとした所で遠くから名前を呼ばれて振り返ると、庭の藤棚の下のベンチで杏奈さんが開いたままの本を膝に置いてこちらを見ていた。 「朝霞くん。どこに行くの?」 「お散歩」  ふんわり優しい杏奈さんはこの屋敷で唯一の癒しな気がする。釣られて戻り、隣に座るといい匂いがして、杏奈さんの向こうに側に垂れ下がる薄紫の藤すら彼女を引き立てる背景にしかならない。実の姉とか本当に惜しい。 「杏奈さん彼氏いるんですか?」 「私、もう結婚してるのよ」 「はいー?」  驚いた。けど、そうか。年齢的におかしく無いよな、うん。姉ちゃんでも俺とは結構離れてるし、うん。 「夫と別れて人生やり直したいと思って、いい機会だから来てみたの。朝霞くんは?」 「俺は別に。居ないと思っていた父さんが危篤だって聞いて、見に来たら全然違う話だった」 「あら、じゃあ自分のお父さんの事を知らなかったの」  その辺難しい事だねと杏奈さんは笑う。自分の親父を知っていようが知らなかろうが、これまで会ったことも無い父など当てにはならない。 「けど、父の事は聞いた事はあっても、二郎さんっていう叔父の事は知らなかったわ。どんな方かと調べてみたけど、何も情報は無いし。朝霞くん何か知らない?」  そんな物、父の存在すら知らなかった俺が知るわけ無い。首を横に振っていると、屋敷の方から勝海さんが歩いて来るのが見えた。 「姉弟して何やってるの。いくら口説いても姉ちゃんは無理だぞ」  ニタニタしながらそばに来て、俺と杏奈さんの間に割り込んでベンチに座る。大人三人座れないわけじゃ無いけど、狭いんだから立てよと言いたくなる。横目で睨んだら全く同じ事を考えている顔で勝海さんが俺を見ていた。  そうですか。絶対どかないけどな。 「杏奈ちゃんもこんな山奥じゃつまらなだろ、ドライブ行かない?」  おや、勝海さんは車で来ているんだろうか。そりゃ好都合。下山させて貰おうと俺は勇んで手を上げる。 「はいはいはーい。俺行きたいです」 「お前はピーマン食って勉強してろよ」  ちっ……一刀両断。  勝海さんはきっと杏奈さんと二人で出かけたくて俺が邪魔なんだろう。別に邪魔しないのになとモゴモゴ呟いていると、杏奈さんがぱんっと音を立てて両手を合わせた。 「この辺りの案内なら片桐さんにお願いしてみましょうよ」  いい事思いついた、みたいな仕草がなんて可愛いいんだ。  しかしそれは困る。俺は二人が出かける時に着いて行って町に捨てて貰おうと思ったのに、片桐が一緒では逃げられそうにない。  勝海さんも勝海さんで嫌そうな表情をしているけど、杏奈さんは片桐に案内してもらう事を決めたようで、歌い出しそうにニコニコしていた。  なんかもう、疲れる屋敷だ。

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