5 / 44

1人目の脱落者

 それから数日後の夕方、降り続いていた雨も明日にはやむだろうと予報が出た晩の事だ。俺達はダイニングで夕食を取りながら、先日杏奈さんが言い出した事を実現するために、明日晴れたら散策に出てみようかと話していた。運転は勝海さんにお願いして、疲れたら仙波さんと変わりながら少し遠出をしよう。  ここに来て初めて互いの存在を知った俺達兄弟だけれど、みんないい年なので上手くやって行けそうな気がして来た。  そんな風にいつになく和やかに食事が進み、そろそろ部屋に戻ろうかとした時、普段は後ろに控えて静かに給仕をしている片桐が俺の横にすっと立った。 「突然ですが、皆様から一人落選が決まりました。その方にはこれでお引き取り願います」  その言葉に俺達は席に着いたまま互いの顔を見合わせる。  選任は片桐に任されたとは聞いていたけれど、俺たちはまだ何もやっていないのに早すぎないか。しかしそうなると脱落者は俺に決まっている。どう考えても一番頼り無いし、ダメだし、片桐に嫌われてる気がするし。  みんな同じ事を思ったようで、仙波さんと杏奈さんが気の毒そうにこちらを見るから、俺はため息を吐いた。  別に後継者になりたかったわけじゃないけど、あなた落選ですよと言われるとヘコむ。せっかく会えた兄弟達と上手くやって行けそうだったのにな。  はいはい、分かってるからもったいぶらずに早く言ってくれよ。そんな気分で隣に立つ片桐を見上げると、しかし片桐の視線は仙波さんに向けられていた。 「お疲れ様でした。車を手配致しますので荷物をまとめてください」 「私が?」  仙波さんは信じられないという表情で愕然と片桐を見返す。 「間違いではないですか、僭越ながら社会経験と実績からも即戦力になり臨機応変に会社を運営出来るのは、この中では私しかいない」 「二郎様はまだ現役ですので即戦力は求めてらっしゃいません。また臨機応変と申されましても、言われた事に従いただ穏便に収めるだけならば、自動販売機の方が譲らない分だけまだマシです」 「そんな、私は。お前に何が分かるんだ」 「お約束通り相続放棄の誓約書を」  片桐が悠々とテーブルを回って仙波さんの前に一枚の白い紙を差し出した。その書類を見るなり仙波さんは嘆息して頭を抱えて悔しがる。  何が起こったんだ。  俺が視線をぐるりと回して他のみんなの周囲の様子を伺うと、杏奈さんはうつむいて顔を隠してしまい、いったいどんな表情をしているのか分からない。艶子さんと勝海さんは特に何の感慨も無いように見える。 「これで……ちくしょう、何とかなると思ったのに」 「一郎氏の息子だと主張して藤堂グループに参入するか、または生前贈与を交渉する事があなたにとっては得策でしたね。欲に目が眩んで判断を誤った時から決まっていた結果です」  拳でだんだんテーブルを叩いて悔しがる仙波さんの様子から、彼にとってこの後継者選別がどんなに大事な賭けだったのか知れた。  今聞いた限りでは、仙波さんはおそらく自分で会社を経営していて、経営がギリギリなのだろう。そこに持ち掛けられた藤堂 二郎の後継者話に飛び付いた結果、落選。  それにしても相続放棄とは何か。  杏奈さんを見ると相変わらずうつむいて顔を隠している。艶子さん兄弟は、誰が脱落したかさえ知れば自分達には関係無いとばかりに席を立った。  そうだ、相続放棄の誓約書と片桐は言ったのだから、最初から一郎氏の相続権が無い艶子さん達には関係無い。  これは……。 「落ちるならお前だろう」  地を這うような低い声を向けられて仙波さんの方を向くと、憎しみのこもった目が何故か俺に向けられていた。 「何の取り柄も無いバカな若者を残して何になる。若さか。お前など居なければ良かったのに」  真っ正面から向けられた恨みに俺は凍りついた。今までこんなに憎たらしそうな目を誰かから向けられた事は無く、それがやっと打ち解けて来た、親子程年の離れた兄だなんてショックだ。俺の存在その物が邪魔だと、同じ立場の兄から言われている。 「お前が残って何が出来るんだ、少し気に入らない事があれば飯を食べないと不貞腐れ、食わせて貰って当然と思ってる甘えるばかりの子供が」 「仙波様、お引き取り下さい。朝霞様には何の罪も有りません」 「こいつらが継いだ所で先が見えているという物だ、藤堂グループなど内輪から潰されてしまえ」 「即刻立ち去りなさい」  強い口調で片桐が言い、仙波さんがダイニングを出て行くと部屋には重い沈黙が落ちた。  さっきまで明日はどうすると楽しく話し合っていたのに、もうそんな雰囲気は微塵も残ってはいない。うつむくばかりの杏奈さんの横で片桐が黙ったまま仙波さんの飲み残したコーヒーを下げた。 「あの、片桐さん。私達明日は……それで片桐さんに案内を……」 「どうぞ皆様でお出かけ下さい」  片桐は冷たい。こんな風に仙波さんが居なくった予定をこなせと言うのか。  俺は黙って席を立った。 「朝霞様」 「俺は何も知らないでここに居たけど、やっと分かった」  非嫡出子でも父親が死んだら相続権が発生する。今回二郎さんの後継者を餌に俺達を呼び寄せ、後継者から落ちた者には遺産相続放棄の誓約書を書かせて帰らせる。  藤堂グループ会長の私財がどんな物なのか知らないけれど、外に三人も子供が居たら本妻の子供達の取り分が減ってしまうから、これは俺達から権利を剥奪するための物だ。  それに二郎さんの後継者とは聞いているけれど、二郎さんの相続人とは聞いていない。なのに俺以外の人達が持っている権利を賭け金にして参加したのは、片桐がこの間のように相続の話をちらつかせる事で、あたかも二郎さんの全てが貰えるように誤解させているせいだ。非嫡出子として分けられた何分の一かを貰うより、一人から全部貰った方がよっぽど得だと。  そして遠い親戚という勝海さんが後継者に立候補しているのだから、この話は勝海さんで最初から決まっていたはずだ。だから艶子さんも勝海さんも片桐も、何も知らないでのこのこやって来た欲の深い奴らと俺達をバカにしていたんだ。 「お金が絡むと人は怖い」 「あなたも欲しくてやって来たのでは無いのですか」 「一郎さんに言っといてよ、朝霞は見つけたけれどとっくに墓の中でしたって」  遅くなったけど今度こそ家に帰ろう、きっと母さんが待ってる。もうこんな所には居たくない。与えられた部屋に戻り、俺は再び荷物をまとめた。

ともだちにシェアしよう!