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第6話

 翌日は予報通りの快晴で、昼になると片桐もいつものようにヘリで出かけてしまい、杏奈さんと勝海さんは二人でドライブに行くようだった。それに乗せて行って貰おうと思っていたけど、あっさり置いて行かれたので俺は一人で下山する事にした。  あからさまで悲しい……。  歩き出せば道路の両脇に覆いかぶさる木々の枝がまるで緑のトンネルみたいで気分がいい。短い間だったけどお世話になった屋敷を振り返ると、門の両脇を埋め尽くす花さえ薄紫の紫陽花で、この屋敷の主である二郎さんは何故こんなにも悲しい色ばかりの花を咲かせる庭を作ったのだろう。  バスと電車を乗り継いで、数日ぶりに懐かしい町の空気を肺いっぱいに吸い込んだ時には、もう夜になっていた。  母と二人で暮らしていたのはどこにでもある普通のアパートだ。庭から二階の窓を見上げると真っ暗で、まだ灯りが点いていない。仕事が残業になればそんな日もあるので、気にせず表の階段を上がって玄関ドアに鍵を差し込んだら、ガチッと鍵穴に何かが引っかかって入らない。 「あれ、おかしいな」  何度か鍵を挿し直したけど同じで、鍵が曲がってしまったのだろうか。俺は長年使い続けてすり減った、手の中の鍵を見つめた。  仕方ない。 「夜分にすみませーん」  一階の角部屋に住んでいるのは大家さんだ。困った時は対応してくれるはず。しかし程なくして出て来た大家さんは、俺を見て不思議そうに首を捻った。 「鍵が開かなくて。母がまだ戻って無いみたいなんで、合鍵貸してもらえませんか」 「あれ、だって君の所、この間引越しただろう。鍵は付け替えたんだよ」  はいー?  いや、大家さんがどこかの部屋と勘違いしているのかも知れない。 「二階の真ん中の部屋なんですけど」 「ああ、知ってるよ。もう荷物も無いはずだけど、忘れ物かい?」  大家さんは大家さんで俺が忘れ物を取りに来たと思っているらしい。  とにかく忘れ物という事にして二階に戻り玄関の鍵を開けて貰うと、そこには何も無くて目を疑った。  生活感がサッパリと拭われた玄関。靴を脱いでリビングに行けば、まさかと思う程本当に何も無い。壁や畳が新しく張り替えられていて新しい住人を待っている。 「そんな……」  どういう事だ?  俺は何を間違っているんだろう。いや、十九歳にもなって自分の家を間違えるなんて、バカだバカだと言われても、流石にそこまでバカじゃない。ここは確かに俺と母が暮らしていた部屋で、母が居なくなってる。俺の居ない間に母が引っ越したんだ。 「どこに引越したか聞いてませんか」 「どこにって、自分が引っ越したんだろう。面白い事言う子だね」  ははは……俺、面白いんです。  大家さんに部屋を開けて貰ったお礼を言ってアパートを後にすると、もうどこに行ったらいいか分からない。  まさかの事なので有り金はここまでの電車賃に使ってしまって、どこかに泊まれるお金も無い。漫喫にすら足りない。  帰って来たらもぬけの殻でしたなんて、誰が想像するかよ。帰ってこれる物と思って行ったのに、なんだこれ。  とにかく誰が泊めてくれる相手を探そうと携帯を出したら、着信音を切っていたので気づかなかったけれど知らない番号から鬼のように着信履歴が残っている。きっと片桐で逃げた事がバレたのだろう。そう思いながら画面を見ている間にいきなり着信になって、また同じ番号が表示されている。  知るか、そんな物。  とりあえず携帯をバックに突っ込み、こうなりゃ野宿だと公園を目指す事にした。  翌朝俺は公園で目を覚ました。ホームレスのおじさんが貸してくれたダンボールの中だ。  水道でがぼがぼ水を飲んで一息ついてからベンチに座り、即金払いのバイトを見つけようと携帯を出す。充電切れて死んでいた。  片桐のせいだ、昨日あんなに着信よこすから。  コンビニで求人情報誌を立ち読みしたけど、今度は公衆電話が無い。誰だ世の中から公衆電話を無くそうとしている奴は。  こうなりゃ交番で電話を借りるしか無いけど、交番はアルバイトの申し込みに電話を貸してくれるのだろうか。 「すみませーん、電話って貸してもらえますか?」  交番を覗くと制服の警察官が一人居て、どうぞと机に置いてある電話を手で示してくれる。  良かった、借りられるらしい。  図々しくバイトの申し込みをするのも気が引けるけど、そこは譲れない。 「あ、すみません。バイト募集の広告を拝見しましてお電話差し上げました、高沢 朝霞と申しますが」  厚かましく椅子に座って電話をかけると、ピクッと後ろの警察官が反応した。 「高沢 朝霞?」 「ええ、十九歳です。今すぐお伺い出来るんですけど」  電話の向こうが年齢を聞いて来たので答えている間に、そばに来た警官が机の上の資料と俺を見比べ、電話の受話機を置く所をすぱっと指で押さえた。まだ話している途中だったのに電話が切れてしまって、俺は目の前に立つ警官を見上げる。  怒られる……そう思ったのに、警官はわなわなと震える指で俺の鼻の頭を指した。 「高沢 朝霞、十九歳、男。捜索願いが出てます。このままここに居て下さい」  しまった。片桐か。捜索願いとはまた大げさな。たかが家に帰っただけなのに、みんな家には帰るものなのに、なんで帰宅して捜索願いだよ。だけどこうしちゃいられない。俺は警官の目を盗んで逃げ出そうとしたけれど。 「確保ーっ!」  叫んだ警官に捕まった。  なんで確保なんだよ。せめて保護って言えよ。

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