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2人目の脱落者
数日ぶりに屋敷に戻ると、後継者候補の人間関係が一変していた。
杏奈さんと勝海さんが妙に仲がいい。人目を忍んで二人でこそこそしていて、二人の親密さが伺えた。
「ふーん」
俺は廊下の窓から庭の藤棚の下で寄り添う二人の姿をそれと無く視界に入れる。
古い屋敷の磨き抜かれたピカピカの廊下は壁が一面本棚になっていて、まるで図書室のよう。ゆったりしたソファも置いて有り、昔誰かがここで本を読むのが好きだったのだろうと思う。この場所が好きなのは艶子さんで、初めて庭にヘリが降りた時も艶子さんはここに居た。
「あの子はしたたかね」
案の定、程なくしてやって来た艶子さんが俺の視線を追って薄く笑う。
「なんでですか。勝海さんが口説いてるんじゃないの」
「気付いたのよ、後継者の最有力候補は勝海だって。片桐に言い寄っても無駄だと分かったら、すぐあのように」
あのようにと視線で示す先には、ベンチで寄り添う二人の仲睦まじい姿が有る。
「艶子さんはどう思うんですか。妹になりますよ」
そう言ったら、艶子さんは面白そうに声を上げて笑いだした。上手く行くわけが無いと踏んでいるらしい。
「それよりも、あなたはどうするの?ここに居るのは時間の無駄でしょう」
「はい。出て行こうと思うけど、黙って行くと片桐が心配するから、話し合おうと思ってます」
まず俺の問題点は、俺自身に二郎さんの後継者になる意思が無い事。そして実父からの相続をいずれ放棄するにしても、その約束の同意書に未成年では効力が無い事。片桐は俺が二十歳の誕生日を迎えるまで手元に置いて、同意書を取らなければならない。
居場所さえ伝えておけば問題無い気がするのだけれど。
「片桐はこの間の家出と入院で心配性になってるでしょうね。出て行くなら納得させないと地の底まで追って行くかも」
ゾッとするような事を言って、艶子さんはまた笑った。
「それはちゃんとしようと思います。それで、俺一文無しだからバイトして資金稼ごうかなと思うんですけど、ここに居るとバイト先も無いんですよね」
一人暮らしを始めるにも資金が必要だけど、この屋敷は山奥過ぎてバイトに行く足が無い。そうなると内職かなとか考えるわけで。
「ああ、それなら屋敷の手伝いをしたらどう?どの道あなたは落ち着くまで片桐が離さないでしょうから、交渉してみなさい」
「屋敷の手伝い?」
それは盲点だった。
話のついでに言ってみた事だけど、いいアドバイスを貰えた。
という事で、俺はさっそく屋敷で働く人たちの様子を見て回る事にした。今までお世話になっていたけれど、片桐以外の人とは接点が無くて、何をやっているのか分からない。
まずは調理師で、これは俺たちの食事を作ってくれる人。厨房を覗いたらおばさんが一人で賄っていて、手伝いは必要無さそうだった。
次に掃除はと思えば、ハウスクリーニングを使っていて入る隙が無い。庭を見ると薄紫の紫陽花を庭師のお爺さんが手入れしていた。
「今日は、いつも花が綺麗だと思ってたら、専属の方が居たんですね」
薄紫の花を切り落としている所に後ろから声をかけると、振り返ったお爺さんは良く日に焼けた威勢の良さそうな人だった。
「ああ、これは坊ちゃん。綺麗でしょう。ここでもう二十年以上咲かせてますから。高塚です。いつも見てたよ」
「朝霞です。お世話になってます」
人当たりのいい感じなのでそれとなく手伝いを申し込んでみたら、バカ言ってんなとあっさり断られて、上手く行かない。
片桐を探して屋敷を彷徨い、初めて片桐の部屋を尋ねると、出かける所だったのかビジネスケースに書類を放り込んでいる片桐が居た。
「どうなさったんですか?」
俺が尋ねるとは思って無かったのか、本気で驚いている。
中に入れて貰った片桐の部屋はアンティークの家具にどっしりとした重厚な机、それに本棚には沢山の本があって、部屋によく馴染んだベッドがある。まるで昔からここにあったようなそれらは、俺が借りている部屋と変わらない。
「時間がある時に聞いて欲しいんだけど」
「どうぞ。急いでいませんから」
いつもならそろそろヘリで飛んで行く時間だ。優先させて貰った事にお礼を言ってから手短に要件を話すと、片桐は頭を抱えた。
「なんでそんな発想なるんですか、ちょっとそこに座って下さい。そこに」
心なしかふらふらしながら、そこにとベッドを示されたけど、頭を抱える程驚かれる方が意味分からないよ。
とにかく言われた場所に座ると、片桐が隣に座って来た。この部屋は誰かを入れる事を考えていないのか、座って話せる場所がベッドしか無い。
「まず、衣食住は心配無いですし、ここに居ればお金が必要な事も無いでしょう?」
「そうだけど、俺お金持って無いから出て行く時に困るし」
「あなたに落選を告げる時が来たときは、私が揃えてちゃんと送り出して差し上げます。帰る場所の無い方に、仙波さんの時のような事はしませんから安心して」
「それじゃ嫌なんだよ。お世話になること自体変なのに、自分でやる」
「いやいやいや、朝霞様はちょっと父親の顔を見る程度のつもりで来たのに、今では持ち物から帰る場所から何も無い。これを放り出すのは私が非人道的と言われますので、そこはこちらで、ですね」
「バイト代必要だからダメなの?やっぱり経費の問題?そうだよね、じゃあ外に働きに行くから、片桐毎日出かける時についでに乗せて行って」
「誰が外に連れ出すと思ってんですか、逃げるじゃないですか」
「はぁぁぁぁぁ?逃げるなら黙って逃げてるよ。逃げる気が無いから相談してるのに」
しまった。相談のつもりが喧嘩越しになってる。どうあっても俺たちは考え方が違って、歩み寄ろううとしても反比例して行く。なんでこんなに合わないのか、もういっそ不思議だ。
同じ事を片桐も思ったようで、この話は一時保留にと言われた。
「まず、屋敷はハウスクリーニングと調理師、それに庭師の方が居ますが、それで足りています」
あぁ、やっぱりな。旅館でも無いのだから従業員なんか要らない。
「それからバイトに行くにも、ヘリは前持って飛行空路の申請が要りますので、ちょっと寄り道とか遅れますって訳にもいかないんです」
「そうかぁ……」
がっかりと肩を落とした俺を、隣から片桐が頭をぽんぽんしながら慰めてくれる。子供にするみたいな仕草だけれど、俺なんか片桐から見たらそうなんだろうなと反抗はしなかった。
「あなたはどうあってもここから出たいんですね」
「だって俺の居場所じゃないもん」
それは後継者に選ばれる可能性もなければ、なる気も無いので当たり前の事なのだけれど、子供を預かったと思っている片桐は違うようだった。
頭をぽんぽんしていた手がまるで慰めるみたいに肩に回って来て、そっと引き寄せて来る。そうすると片桐の胸にもたれる事になってしまい、この体勢は近すぎる。
「片桐、ちょっと」
「可哀想に……」
ポツリとこぼれた言葉は、俺に対してだろうか。
「何が?俺は別に可哀想じゃないよ」
「失礼しました。では一時保留で少し待って下さい。私は少し出かけて来ます」
ぱっと俺を離した片桐は立ち上がってビジネスケースを持つ。
「分かった。忙しい所ありがとう。気を付けて行ってらっしゃい」
そう言ったら、驚いたように片桐は俺を振り返る。
「え、あぁ……行って参ります……」
その晩、杏奈さんの後継者候補落選が告げられたけれど、仙波さんの時のような悲壮感は無く、杏奈さんはサラッと同意書にサインをしていた。
すぐに屋敷を出て行くのかと思えば、今後は勝海さんの客として出入りするらしい。後継者はやっぱり勝海さんに決まっていて、その恋人になった杏奈さんはいずれ勝海さんの妻になり、今落選しても結果は同じと、そう踏んだのだろう。
本人がそれでいいならいいかと思ったけれど、勝ち誇ったように片桐を見る勝海さんの様子が印象的だった。杏奈さんは最初誰が見ても片桐押しだったわけで、勝海さんが後継者になるということはいずれは片桐の雇い主になる可能性も有る訳で。勝海さんは仕事も女も片桐に勝ちたい訳か。
それに引き替え片桐の方は全く気にもしていないようで、いつもと同じ涼しい微笑を口元に浮かべて忙しく動き回っていた。片桐の場合その顔が作ってる表情な訳で、本音はどう思ってるのか全く読めない。俺の前だとあからさまに顔を変えるくせに、他の人の前では装うから分からない。
こんなに少ない人数の中ですら、艶子さんのように蚊帳の外からよく見ている人も居て、大人というのは全く面倒な物だ。裏をかかれないように騙し合い、欺き合う。本当に面倒くさそうで、俺はバカなガキで良かったと思った。
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