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第14話
やがて艶子さんが杏奈さんと勝海さんを屋敷から追い出して、静まり返った自分の部屋で俺は震えていた。
見回せば資産価値が計れない年代物の屋敷。土地も不動産価値が俺には見当もつかない。ここで働く従業員。そればかりでは無い、どんな会社か知らないが、二郎さんはもっともっと沢山の従業員を使っている。その人達やその家族の生活。後継者になるとはそれら全部を引き継いで守るということで、出来る訳が無い。
帰りたい。
いや、帰る場所は無いのだから逃げたい。逃げよう。無理な物は無理なんだよ。俺がいなくなればきっと本家の誰かが継ぐわけで、かわりなんか幾らだって居る。むしろその方がいいに決まっている。よし、逃げよう。
そう決めた時、部屋のドアがノックされる音が聞こえて、俺はビクッと飛び上がった。
やって来たのは片桐で、銀のトレイの上にティーポットを持っていた。
「醜態をお見せ致しました。申し訳ございませんでした」
片桐はまず初めにそう言って頭を下げたけれど、醜態を晒したのは杏奈さんで片桐じゃない。
「あなたを選ぶ事で、仙波さんの時を含めて言われなくていい中傷をさせてしまった。すみませんでした」
「そんなの別に。びっくりしただけ」
テーブルの上にトレイを置いた片桐が、悼む目で俺を見るけれど、問題はそこじゃない。どうして俺を選んだのかだ。
「震えてました」
すいと伸びて来た手が俺の頬を撫で、髪に触れる。片桐は安心させるように一度微笑んでから、お茶を入れてくれた。
「今後の予定ですが、下山しますよ」
「え、あの。それよりなんで俺を選んだのか教えて」
「家族になる約束でしたから」
「は?」
意味が分からない。家族がどうとかなら昨日そんな話をしたけど、要は財布貰っただけだし。
「後継者は誰でも良かったんですよ。あなた方全員揃って能無しなんで、誰がなっても見事に会社を潰して下さるでしょう。それでいいんです」
「はいー?」
ますます意味が分からない。酷い言われようだけれど、思い返せば候補として集まった全員、なんでこれを集めたのかと聞きたくなる程芽の無い連中揃いなのが否定出来ない。
「じゃあ、初めから潰すつもりで?」
「そうですね」
「そんな会社を二郎さんは守っているの」
「そうですね」
「それは、二郎さんの意思なの?」
「かなり長い……執念だと思いますよ」
どういう事なんだろう。子供の無い二郎さんが後継者として兄の落とし種を探し集めて、継がせる。
ここまでは分かる。親族経営のグループ企業なのだから、身内に引き渡すという意味だ。けれど二郎さんは会社を潰したがっている。自分でそれをせず、執念をかけて兄の子供に潰させたがっている。
「一郎さんと二郎さんは仲が悪い?」
つぶやいた俺に、片桐は笑った。
「いえ、別に。普通でしょうね。二郎様を一番理解してらっしゃるのは一郎様でしょうし、そのことを二郎様も分かってる。仲が悪い訳では無いと思いますよ」
じゃあ何故なんだろう。
「親から引き継いでグループの一番偉い人になったお兄さんに嫉妬している?」
「まさか」
ははっと、片桐は笑い飛ばした。
「一郎様が総帥になったのは長男だからという理由だけでは無く、その能力もお持ちだったからです。それは二郎様を含め、重要ポストにいらっしゃる皆様納得してます」
では執念で潰したい理由が分からない。なんなんだ。二郎さんの持ち会社を潰して何が有るんだ。しかも自分で潰すのでは無くて、兄の子供に潰させたい。
兄弟仲が悪いとか、そんな小さな事しか想像のつかない俺の頭が悪いのか。バカだバカだとは昔から言われてたけど。三流大学浪人だけど。
考え込んだ俺に片桐は苦笑する。
「明日、出発します」
「俺まだ行くなんて言って無い」
「ではここに残りますか?屋敷の管理は艶子様にお願いしますので、不自由は無いと思いますが」
「え?じゃあ片桐は?」
片桐はここの執事で管理者じゃないのだろうか。
見上げると、やっぱり少し困ったように片桐は笑っていた。
「朝霞様を連れて上京するのは私の都合です。嫌ですか?」
片桐の都合で、俺を連れて上京する?
本当に何がなんだが分からなくて、俺はただ片桐を見つめるばかりだ。
「朝霞様はここで生活されてもいいんです。もちろんどこかの大学に滑り込むために勉強はしていただきますが、その場所はどこでも構わない。それを申し上げた上でもう一度お願いします。私と一緒に来てくれませんか」
上京と言ったから、行き先は東京なんだろう。なんで片桐がそんな所に行くのか。どうして艶子さんがお留守番なのか。そして、俺を連れて行きたいって。
勝海さんに向かって、私のものに金輪際触れるなと怒鳴った声を思い出した。それから殴られそうになった俺を庇った時の怒った顔。
「分からない事がいっぱいあって、どうしたらいいか分からない」
「そうですね。では言い方を変えましょう。朝霞様、私は本来の仕事に戻るためにここには居られない。あなたと離れたく無いので、一緒に来て下さい」
「なんかそれ、プロポーズみたいだ。変なの」
「変ですか?」
「変だよ」
だけど見つめる片桐の瞳が真剣で、そしていつになく心細そうに揺れている。
「一人で行くのが不安なの?」
「えっ?」
「東京に一人で行くのが不安で、俺に着いて来て欲しいの?」
そう尋ねると、片桐は一瞬黙り込んでしげしげと俺を見つめた。その瞳になんだろう、呆れたような光が宿った気がする。
「そう来たか……なんでこれで通じないのか、ここまでガキだと本当に……」
はぁぁぁと大きく溜息を吐かれた。
「行ってやってもいいよ」
頭を抱えた片桐が、うつむいた顔の中で視線だけ上げて俺を見た。
「片桐は本当は二郎さん所の社員かなんかなんでしょう?で、今回の件でここに居た。頻繁にヘリで出かけてたのは会社かどこかじゃないの?」
俺が入院している時も病室にはずっとパソコンの音がしていたから、本当は執事としてではなく、会社員として忙しかったんだと思う。
「え?えぇ……まぁ」
曖昧に頷いた片桐に、やっぱりなと俺は満足した。これで片桐の謎は解けた。きっと秘書か何かなんだろう。石頭でクソ真面目だから向いてる。陰険で嫌味でヘドロのような奴なのは性格だから仕方ない。それに少々寂しがりや。
「荷物はまとめる程無いからいつでもいいよ」
「そうですか、助かります」
すっと背筋を伸ばした片桐が、にっこり綺麗に微笑んだ。それは表の愛想笑いだと慣れて来た俺にはすぐに分かる。片桐は何か言いたい事を飲み込んだらしい。
「では、明日のお昼にヘリでそのまま。高い所は平気ですよね?バカとヤギは高い所が好きだと聞きますし」
「何それ、一言余計。片桐といつも喧嘩になるのって片桐が喧嘩売ってるからじゃん」
「今頃気付いたんですか?すぐムキになるのが可愛いので、つい。では明日は慣れない飛行をしますので、ゆっくりお休みくださいませ」
言うだけ言って片桐はさっさと部屋を出て行ってしまった。
なんだあいつ。一人が不安だって言うから着いて行ってやるのに。失礼な。
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