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第22話
その日くたくたになってマンションに帰ると、片桐の方が先に帰って来ていて夕食の支度が出来ていた。しかも肉に野菜に魚にと凄い。ケーキまである。
「どうしたの、これ。何のお祝い?」
「初バイトのお祝いです。お腹すきましたでしょう、座って下さい」
にこにこにこにこ。
素で微笑む片桐が嬉しそう。生成りのシャツに細身のグレイのパンツ姿は軽やかで、笑顔の片桐によく似合う。スーツ姿が多いので、ラフな格好になるとなんとなく目のやり場に困ってしまう。
それから二人でダイニングテーブルに向かい合って夕食にした。
話は約束通りバイトの事で、やらかした失敗を話しながら気が重くなってしまう。
「まぁそんなもんでしょうね。落ち込む程の事では無いです」
「でも仕事以前の事から怒られてる」
「それはこの先何度でも注意されると思って下さい。事故が起きてからでは遅いので、注意喚起ですよ。岩田さんという方はしっかりなさってると思いますよ、ちょろちょろしてるのには叩き込まないと危ないですから」
そういう物なんだろうか。
片桐が言うんだからそうなんだろうけど、最初から怒鳴り飛ばされていた俺は不満だ。
唇を尖らせてる俺を片桐は笑って見ていた。
「けれど、集積場所としては駐車場が狭い気がします。何故そこに集めるのか……」
「だいたい何時に何台来るとか決まってるっぽいけど、今日は俺が手間取ったから予定通り行かなかったみたい。延着するからどんくせーことやってんなって怒られた」
「そんなにギリギリなんですか?」
「わかんないよ。延着が何かもわかんないし、俺に分かるのはいつも怒られるって事だけ」
片桐が笑いながらテーブルの上で手を組み、視線だけを斜め下に向けた。その仕草で何か考えた事が分かったけど、すぐに俺に戻された視線は優しかった。
「他の方はどうですか」
「赤坂さんって人が優しくてよく教えてくれるから助かる。一番年が近くて、身体もしっかりしてて、俺もあそこで働けばああなれるのかな」
「ほーぅ」
「それに優しいし、普通に喋ってくれるし一番優しいし。赤坂さんが指導担当だったら良かったのになぁ」
「ふーん」
けど別に担当じゃなくても誰でも捕まえて聞けばいいんだから、事務所に赤坂さんが居る時を狙って質問しよう。
お腹も膨れてお風呂に入れば、疲れきった体と精神が眠くなって来た。ソファでウトウトしていると、風邪をひくからと片桐が肩を揺すって起こしてくれる。
ああ、そうだ。バイトの事ですっかり後回しになっていたけれど、二郎さんの養子になったってどういう事なのか聞かないと。一日藤堂と呼ばれ続けても慣れない。
「朝霞様、ベッドに行きましょう」
片桐に起こされて自分でベッドに入った記憶まではあるけれど、目が覚めると朝でもう片桐は居なかった。
俺は午前中に勉強をして、午後からはバイトに行く。今日は怒られないように頑張らないと。
「藤堂、これから毎日、来たらまず倉庫から伝票持って来い」
着いた早々岩田さんに言われて倉庫に走り、隅に有る伝票箱から言われた物を持って事務所に戻った。
「そしたら、それを荷主ごとに分けておく。この箱に荷主の名前が有るだろ、そのまま入れときゃいい」
「はい」
「そしてこれは本部に上がる荷を持ったドライバーがついでに持って行く。運賃請求は本部の仕事だから」
なるほど。
「それからお前今日残業な、夜間点呼の取り方教えるから」
「えっ」
バイトに残業が有るとは思わなかったので、思わず驚きの声を漏らしてしまった俺を岩田さんが振り返って睨む。
「なんだよ、倉庫番で入ったんだから当然だろ。嫌なら辞めていいから」
「いえ、教えて下さい」
夜間点呼ってなんだ?それよりも残業になって片桐は怒らないだろうか。確か門限は業務終了から三十分で、これは寄り道しないで帰って来いって意味だと思う。じゃあ、残業はいいのかな。
疑問に思ったけどやらないなら辞めろという言い方に、メールで帰宅が遅れる事を連絡するしか方法が無かった。
その日も通常業務中はさんざん岩田さんに絞られた。夜になると他の従業員がパラパラと帰ってしまい、気付けば蛍光灯が照らす事務所の中で、俺と岩田さんだけが残っていた。
音一つ無い静まり帰った夜の事務所は、やる事が無い。岩田さんはみんなの日報を見たりしているけれど、俺は何をしたらいいんだろう。
「藤堂、チャート紙にチェック入れて」
「え、は、はい」
チャート紙ってなんだ?
「お前呼ばれると必ず戸惑うけど、バカなのか?」
事務机に座っている岩田さんが見ている日報から視線だけ上げた。
ほらと渡されたのは丸い円盤のような紙で、折れ線グラフが細い線で引っ張ってある。
「走行メーターみたいなもんだ。ここに線がある時はこの車は停車してる。走り出して、こっちの線を越えたら速度オーバー。停車時間と速度オーバーチェックして持って来い。四時間以上走ってるのも持って来い」
これが一体何になるのか分からないけれど、言われた通りにすると岩田さんは無言でチャート紙を受け取り、俺はまたやる事がなくなった。
カチコチカチコチ、時計の音だけがやけに大きく聞こえる。
「腹減ったな。ちょっとそこのコンビニ行って弁当買ってきて。お前もなんか食え」
そんなこんなで気詰まりな時間が過ぎて点呼の取り方を教えて貰い、この日、俺が帰宅したのは終電だった。
片桐は起きて待っていてくれたけど、風呂に入れば疲れと緊張が一気に解けて眠くなる。そしてまた朝が来る。
「最近のバイト内容はどうなってるんですか」
そんなすれ違いの日が数日続いた頃、やっと入った休みの日に片桐に聞かれた。
「毎晩遅くてごめんなさい」
「全くですね、こういう契約にはなっていないはずです」
「けどやらないとクビだし」
「契約無視で圧力をかけてやらせてる訳ですか。誰です?岩田さん?」
「そうだけど、実際聞いた内容と入ってからの内容が違うとか有るじゃん。出来ない事じゃないから別に」
「あなたの本分は勉強です、差し障りのある働き方は困ります」
ピシッと言われて、片桐が怒っているのが分かった。
けど辞めたらまたあの息が詰まる日々だ。
「やだ」
「今回のわがままは認められません。朝霞様の生活がバイト中心になって勉強から逸れてる。続けたいなら契約通りお願いするか、ダメだと言うなら潔く。私も譲れない事は譲りませんので」
取りつく島も無い言い方に俺はため息を吐く。
分かる。片桐の言う事の方が正しい。息抜きのつもりで始めたバイトが足枷になって受験に失敗したら、その先が困ってしまう。
だけどあの怖い岩田さんにどう言えばいいんだろう。
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