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第23話

 翌日も残業かと思えば、他の従業員がバラバラと帰り始めた頃に赤坂さんに呼ばれた。 「歓迎会するから帰る用意して来て」 「歓迎会?」  俺は首を傾げる。 「今日は別の人が夜間変わってくれるから大丈夫、着いて来て」  見れば他の人達も帰ったのでは無くて、駐車場でたむろして待っていた。開放的な空気を醸し出していて、みんな普段とは違うプライベートな顔になっている。 「どこ行くんですか?」 「近くの居酒屋。そんな大した物無いけどさ、よく使ってるから融通効くんだよ」  それは困る。片桐との約束は業務終了から三十分が門限で、酒の席には行くな、だ。 「でも俺、未成年なんですけど」 「別に呑ませやしないよ。ジュース有るし、奢りだから大丈夫。藤堂の歓迎会なんだぜ?」  困る。当たり前のようにそんな事言われても困る。  あたふたしている間に赤坂さんに引っ張られて、他の人達と一緒にすぐ近くの居酒屋まで連れて行かれてしまった。  小さな店の暖簾を潜ればいらっしゃいと声がかかり、いつもの場所に用意してあるから上がってと、勝手知ったるで案内も無いまま二階に上がった。 「後から岩田さん来るから、上座は空けといて。先に始めてていいそうです」 「じゃあ、藤堂の入社……じゃ無いな、バイトを祝って、今日もお疲れでしたー。かんぱーい」  呑めれば理由はなんでもいいらしい。一斉にビールのグラスを合わせて飲み会が始まってしまった。  気付けば赤坂さんがそばに着いて焼酎の作り方を教えてくれる。 「みんなビールの後は好きな酒になってるだろ、誰が何飲んでるか見てついで来な。焼酎はこれ持って」 「え、俺どうしたら……」 「よろしくお願いしますって言ってくればいいんだよ。酒返されたら断って大丈夫」  片桐に電話をしないといけないと思いつつも、その時間が無い。主役のはずなのに酒をつぎ回り、料理の追加注文をして、座っている時間が無い。下っ端とはこういう物らしい。そのうちに岩田さんが業務を終えて合流し、また乾杯から始まった。 「ほら、岩田さん冷酒だから持って行って。刺身の皿が遠いからさりげなく近付けて、無理なら取り分けろ」  赤坂さんに言われた通り冷酒を持って岩田さんのそばにいき、お疲れ様でしたと注ぐ。 「岩田さん、可愛いのが入って良かったですね。素直に言う事きくし、頑張ってるなぁ」  適当におだててくれたセリフに岩田さんが頷いた。  片桐に電話が出来たのはもうお開きになろうかという頃で、二次会に行く人達がそわそわし出した頃だった。  階段下のトイレの前で隠れてコールすれば、三回で繋がった。 「片桐」 『どうしました?何かありました?』 「そうじゃないけど」  出てすぐ言われる言葉がそれとか、どんなだ。  ちょっとごめんねと、トイレに行く人が俺を避けて通路を通る。  カウンターで呑んでいるおじさん集団の喋り声や、それに合わせて笑う女将の声も筒抜けで、店内が狭い。 『朝霞様、今どちらにいらっしゃいます』  電話の向こうで片桐の潜められた声がして、それを聞いた瞬間に、バレたと悟った。居酒屋の喧騒が電話で分からないわけない。  三十分以内に帰る事、酒の席に行かない事。この二つを破った事はもう隠せない。 「えと、みんなに歓迎会開いて貰って、営業所の近くの居酒屋。あの、違うんだ。帰り際に言われて断れ無くて」 『なんて店ですか』  聞かれて店の名前を探して店内に視線を巡らせる。カウンターの横に掲げてあるメニューにあったのでそれを読み上げた。 『状況は分かりました。帰って来れますか?』 「大丈夫、もう帰る気配だし」  良かった。  怒っている風も無い片桐の声に俺は安堵する。片桐だって会社員だし、付き合いとかは分かってくれるんだ。  じゃあそういう事でと電話を切ってから、二階に戻る途中で営業所の人とすれ違った。みんな帰るらしい。  お疲れ様でしたと挨拶を交わして、俺は部屋に置いて来てしまった荷物を取りに戻った。  部屋の戸を開けると、中には岩田さんと赤坂さんが残ってまだ呑んでいた。 「藤堂ちょっと。岩田さんと話してたんだけど、お前運行管理補助者の資格取って来れないかな」 「なんですか?それ」 「今、岩田さんに夜間点呼教わってるだろ。あれ本当は資格がいるんだよ。管理者か補助者しか出来ないの。補助者は三日講習に行けば貰えるから、ちょっと行って来て」  さらっと言われたけれど、それを取ったらどうなるのだろう。夜に決まりって事じゃないかな。  深夜は深夜番の人がいるので今の所終電までだけれど、資格を取ったら夜通しもあり得るって事じゃないかな。 「えーと……」 「いずれの話な、免許もねぇしすぐには無理だけど、藤堂が一人で置けるようになったら、岩田さんが帰れるだろ。バイト時間なら夜からにずらすから」 「や、それは困ります」  勝手に決められそうな話に俺は首を横に振る。 「稼げた方がいいなら今まで通り午後出勤にしよっか」  そうじゃない。稼ぎたいとかではなくて、夜が困るのだ。早く帰らないと片桐との時間も無いし、勉強の時間も減る。それを反対されている訳で。 「岩田さんが労働時間オーバーなんだよね、このままだと労働局に突っ込まれる。そうなったら大変よ」 「や、でもあの……」 「バイトは時間契約だからさ、オーバーし過ぎるなら契約社員にって手も有るし。契約なれりゃ都合いいだろ」  都合悪いです。  そりゃ稼げる方が嬉しいけど、それより怖い者がいる。  はっきり断り切れないままに、終わった席で長居をするわけにも行かず帰る事になった。  階段を降りる所で岩田さんがふらついて、壁に手をついた。 「あれ、岩田さん飲み過ぎですか」  最後の方口数が少なかったのはそのせいなのか。 「藤堂、任せた。俺は会計して行くから、先に外出てろ」  赤坂さんが岩田さんから財布を預かって、その岩田さん本人を俺の背中にどっしり乗せてくる。 「重たいっ」 「頑張れよー。おっさん階段から落とすと大変よ」  だったら手伝ってくれればいいのに、俺は岩田さんを担いでゆっくりゆっくり階段を下りた。 「重たいですよ。しっかり歩いて下さいよ」 「いやー、身長差がいい。楽だ。藤堂って肘掛けに良さそう」 「そんなにミニチュアじゃない……」  レジの前でお金を払う赤坂さんの後ろを、岩田さんを担いで通り抜けた。  店の前で少し待っていると、出て来た赤坂さんにそれよろしくと、岩田さんを示される。 「どうしたらいいのかわかんないです」 「営業所に担いでって捨てて来ればいい。鍵は岩田さんが持ってるから、藤堂はもう帰れ。電車無くなるぞ」  言われてそんな時間かと気付いた。  困る。外泊なんて事になったら、今度こそ片桐がキレる。  なのに赤坂さんは、じゃあなとさっさとタクシーを止めて乗り込んで行った。 「そんなぁ……岩田さん家どこなんですか」  背中に覆い被さっている岩田さんに聞けば、天国とか生まれる前の実家を教えられた。 「んー、藤堂いい匂い。シャンプー何使ってんだ」 「それ女の子の口説き文句だから」 「変わんねぇだろ、お前なんか」  クンクンクンクン、岩田さんが後頭部に鼻を寄せて来る。  知らないよ、シャンプーなんか。きっと片桐が高いの買ってるんだよ。  半泣きで歩道を営業所に向けて振り返れば、道路にウィンカーを出して止まっている一台の車が目に入った。  ヤバイ。  その瞬間に、俺は背中の岩田さんをアスファルトの上に落としてしまった。  あの車は、片桐だ。

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