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第24話
繁華街でもない町は人もまばらで、通る車も少ない。外灯の灯りと居酒屋のちょうちんに照らされながら、スラリとした長身のシルエットが、車から降りて来た。
俺の心臓はどくどくと過去最高に早鐘を打つ。こちらに向かってゆっくりと歩いて来るスマートな人影は、まるで悪魔のようだ。
「落としましたよ、それ」
それ。と、アスファルトに尻餅をついている岩田さんを指差して、片桐が薄く笑った。
ヤバイ。怖い。あの笑い方は怒っている。
「乗って下さい。帰ります」
「や、あの……岩田さんが……」
「捨てて結構。いい年して自分の限界が分からないのは自己責任です」
「や、あの……」
「ではあなたも捨てて帰ります。引けない所は引かないと言いましたよね。分からないなら帰って来なくて結構です」
怖い。真面目に怒らせた。だけど岩田さんをこのまま放置する訳にもいかないし、俺はどうしたらいいんだ。
考えている間に片桐はさっさと車に戻って運転席に乗り込んでしまう。
困って立ち尽くす俺の方を見ているなとは分かったけれど、どうにも出来ないでいたら、車道に向けてウィンカーが点滅した。
カッチ、カッチと点滅する光は早く来いの合図で、同時にもう待て無いの合図でもある。
アスファルトにしゃがみ込んでいる岩田さんを見れば、半分寝息を立てていた。
なんでこんな……。
泣きそう。
アクセルを空吹かしするエンジン音がして、それでも岩田さんを放置する事が出来ずに立ち尽くしていたら、やがて車はゆっくりと車道に出て俺の横を通り過ぎて行ってしまった。
「厳しい……」
ポツンとつぶやいた声がアスファルトに落ちた。
それから岩田さんを営業所に担いで行って、夜間点呼番の人に事務所を開けて貰って放り込んだ。
「んー、藤堂、一緒に泊まって行くか。明日来る手間がはぶけるぞ」
「やだよ、こんな酒くせぇおっさんとなんか」
どうせ明日には覚えていないだろうと、本音が漏れる。
壁の時計を見ると、もう終電の時間は過ぎていた。
歩いて帰ればいいのか、帰った所で入れて貰えるのか、多分無理だ。なんだかんだ言いつつ甘い片桐が引かないのは、俺が約束を破ったからで、怒ってる。じゃあ謝ればいいかと言えばそれも難しい。何しろ陰険でドロドロのヘドロのような奴なんだから、きっと許してくれないと思う。
最悪だ。
「布団敷けよ、そっちの物置にはいってるから」
「自分で敷けよ」
「んー、水。水持って来い」
半分寝てる人は呑気だ。
アルコール中毒で死なれても困るので、流しからグラスに水を持って来ると、岩田さんはそれを一気飲みしてふぅっとため息を吐く。
「あー、さっぱりした」
「正気じゃねぇかよ、クソジジイ」
「水飲むと覚める」
捨てるのが正解だったんだ。なんてこった、酔っ払いに縁が無かったから、こんな事とは知らなかった。
俺は脱力して床にしゃがみ込んで膝をかかえる。
「何泣いてんだ、お前」
「岩田さんのせいでもう家に帰れない」
「電車終わったか。泊まってけよ、雑魚寝でいいだろ、夏だし」
「そんな事じゃない」
「あ、さっきのお迎えか。なに?兄ちゃん?」
しかも起きてたんじゃねぇかよ。
「もう、ほんとやだ……」
片桐に見捨てられたらどうしたらいいか分からない。
少し前までは自力して自活して行くつもりだったのに、片桐とこんな別れ方じゃその勇気も失せる。片桐がいないと何にも出来ない。俺は状況に流されながらも、片桐を頼りにしてたんだ。
「なんで兄貴に怒られたくらいでそんな顔してんだよ。参ったなぁ……」
岩田さんは困ってしまったようで、俺の前に座り込んだ。
カチコチカチコチ、時計だけが時を刻む。
「なぁ藤堂」
やがて岩田さんが動いた。
「お前、可愛いな」
なに言ってんだこのおっさんは。酔いが抜けて無いらしい。
「この年になると、男でも若くて可愛いのは関係無くなるんだな」
「何がですか」
「イケそうだ」
キラリと光るキツイ眼差しを向けられて、訳も分からずゾッとした。まるで獲物を狙うような目で、見られただけで気味が悪い。
「ちょっと、何考えてんですか、やめて下さいよ」
「一回試させろよ、悪いようにはしないから」
「何がですかっ」
手首を掴まれて引き寄せられそうになり、俺は精一杯抵抗して逆方向に逃げる。
「岩田さんっ、酔ってるから」
「あぁ、酔ってる」
「片桐ーっ!片桐ーっ!」
呼んでも来てくれるはずの無い人の名前を叫んで、叫びついでに酔っ払いの顔にゲンコツを叩き込んで手首を掴む手の力が緩んだ隙に逃げ出した。
事務所のドアを叩き付けるように閉めて駐車場を駆け抜けた所で振り返れば、閉じたままのドアが見える。
追っては来ないらしい。
はぁぁぁ……と大きく息を吐いて途方に暮れる。
さて、どこに行こう。
と、思った時にすっと後ろから来た車のライトがパッシングしたのが分かって振り返ると、片桐だった。
「片桐」
泣きそうになって俺は助手席のドアを開けて飛び乗った。
「片桐、片桐。ごめんなさい」
「どうしたんですか、そんなにお灸がききました?そう来られると、用意していた小言が言えなくて困ります」
まるで縋り付く勢いの俺に、片桐が運転席で目を丸くする。
「言う事聞くから、バイトも辞めるから、だからお願い、早く家に帰ろう」
「何かありましたね。さっきの酔っ払いは岩田さんでしたっけ」
片桐が手を伸ばして俺の頭を抱え込んで来る。もう片方の手がシャツの襟や肩を撫で、ウェストに下りてベルトのバックルを撫でた。
「何やってるの」
「いえ、別に。このまま岩田さんに怒鳴り込む必要が有るか探ってます」
「そんなのいいよ、どうせもう寝てるから。酔っ払い大嫌い」
「そのようですね」
片桐は前に向き直り、すぐに車を発信させてくれた。
マンションに着くと酒臭いとすぐに風呂に追いたてられて、出ると片桐が紅茶を入れてくれた。甘いミルクティーで、俺はやっと身体の力が抜け落ちる。
生活感の無い広い部屋は、それでも最近は馴染んで来て人の気配がするようになった。
「色々謝って頂く事が多そうなんですが」
「ごめんなさい。歓迎会は急に言われて断れなくて」
「反省して下さい。私が門限をつけるのも、酒の席への出席を認めないのも理由があります」
「よく分かった。酔っ払いが絡むからだ」
つまりはその後羽目を外す事になるのを警戒されていた。さすがに会社の集まりで、しかも運送屋で未成年に酒をすすめる人は居なかったし、一次会で解放されたけれど。その後であんな事になるとは思っても無くて、酔っ払い怖い。岩田さんの目付きが今更きもい。あれなら奥さんとか言ってセクハラして来る片桐の方が全然いい。
「そういう事です。最も、親しくなった誰かと友人として遊びに行ってと想定してましたが、アホな営業所で頭が下がります」
「すみませんでした」
ソファの上では正座も効果が半減しそうなので、俺は床に下りて片桐の前に正座する。
「そんな事をやっているようでは、私はあなたを外に出してやれなくなる」
「もうしません」
「せっかく迎えに行ったのに、要りもしない情で下手な事されて」
「すみませんでした」
やっぱりドロドロのヘドロのような陰険な奴だ。ねちっこい小言が多い。
「反省して下さい」
「はい」
「今夜、少し覚悟を決めていただきます」
「はい」
流れで返事をしてしまってから、ん?っと引っかかった。
覚悟?
片桐を見上げれば、ふふんと悪魔のような笑みを浮かべていた。
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