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覚悟して下さい
今夜覚悟を決めろなんて、使い古された口説き文句じゃないか。
そうだった。バイトが忙しくてすっかり後回しになっていた上に、セクハラがナチュラルで気にならなくなっていたけど、片桐は俺を奥さんとか言って楽しんでいる変態だった。
「ちょっと、無理。かなぁ……あははははは」
とりあえず笑ってみたけど、悪魔のような片桐の笑みは崩れない。岩田さんも嫌だけどこっちの方がもっと怖い。
「大事に育ててる間に他に刈られるのは我慢出来ません」
「や、それは考え方が間違ってると思う……」
「ちょっとでいいです。少しで」
ちょっととか少しとか、有るのだろうか。
疑う目で片桐を見上げれば、今度はふわりと優しい笑顔になる。
「私に捨てられたら、嫌でしょう?」
言うセリフは優しく無い。
自分が知らない間にどれだけ片桐を頼りにしていたか、今日思い知った。
「わかんない。片桐は居ないと困るけど、片桐が思う意味でなのか分からない」
「それを少し試します」
奥さんとか言われてからかわれても、片桐が冗談だけでそんな事を言っているのでは無い事は、微妙に感じていた。けど男同士の恋愛ってなんだろう。
今だに俺の布団は届かず、片桐のベッドで一緒に寝て、片桐に触られても気にならなくて、片桐が待ってるから夜勤はしたくない。俺にとってそれは友達の家で雑魚寝と同じ感覚だったのだけれど、それではいけないのだろうか。年の離れた友人ではいけないのだろうか。
友情と愛情の差は何なのだろう。
「恋愛じゃなくても片桐の事はとても好きだよ」
「私は恋愛じゃなければ要らない」
スパンと迷い無く言われて、俺は黙った。今のセリフって……。
手を引かれて立ち上がらされ、寝室に誘導される。困る。足が動かなくなりそう。そこで何をどうするのか分からない。怖い。
「大丈夫、嫌な事も痛い事も怖い事もしないから」
違う物のように見えるいつものベッドに座らされて、動きの鈍い俺の耳元で片桐が囁いた。
ヤバイ。片桐の醸し出す雰囲気がいつもよりも濃厚で、俺に不埒な事をしようとしている。ヤバイ。困った。どうしよう。緊張で動けない。
「もう既に、怖いし嫌なんだけど……」
「我慢して下さい」
なんだそれ、さっきと言う事が違う。
「待って、本当に。困る」
「知らないから分からないんですよ。恋愛も好きの意味も、知らないから困ってる。知ってしまえば結論が出ます。その時あなたが私を選ばなかったら……」
「たら?」
「どうしましょうか」
ひどく困ったように、片桐は笑った。
それからゆっくり押し倒されて、ふかふかの布団に身を任せれば、体重をかけないようにして片桐が上に被さって来た。
至近距離で重なった視線の強さにヒヤリとする。なんだかんだとひっついていたから、いつの間にか触られる事には慣れた。けど今夜のは何かが違う。
すいと細まった瞳に、キスされるなと思った時には唇にふわりと落ちて来て、すぐに離れた片桐が俺の反応を探る。固まって動かない表情に何を見たのか、もう一度重なった唇は、今度は体温が伝わって来るまで離れない。
人の唇が温かいのだと初めて知った。
「大丈夫?」
聞かれて俺はコクコクと頷く。穏やかで優しいキスに不快感は無かった。
「では、もう少し」
また唇が触れて、今度は片桐の舌先に下唇をつつかれビクリと肩が震えた。けれどどうしてか自分の唇が開いてしまい、濡れた舌が口の中に侵入して来た。
そこからは凄かった。歯列を割って入って来た片桐の舌が生き物のように絡んで、舐めて来る。呼吸を奪われて顔を横向けようとすれば、逃がさないと頬を手で軽く押さえられ、もっと口を開くよう促される。頬の内側から舐められ吸われ、尖らせた舌先に上顎の内側をくすぐられた時、身体が震えた。
唾液の絡む濡れた音がする。頬に伝う冷たさに、唇からこぼれた唾液を知る。枕を汚してしまうと戸惑っていると、奥まで深く入って来た舌先に喉を開かれ飲みこまされた。
ヤバイ。
鼓動がキリキリと音を立てる。
「……かた、もぅ……」
キスの合間に訴えるのに片桐はやめてくれなくて、気付けば俺も自然と片桐の舌を追っていた。
誘うように引いて行く舌を追って今度は自分から舌を伸ばす。やっと触れるかどうかまで離れた唇は、気まぐれに俺の舌を舐めてまた絡まる。
ヤバイ。
「ん……」
俺は片桐の口から唾液を貪るように舐めとる。
上顎の内側を辿られるとくすぐったさにビクビク震えが来る。なんでそんな所がくすぐったいのか。
濡れた音と互いの息使いに興奮する。口を塞がれているから鼻でする呼吸の音が恥ずかしいくらい荒くなってる。
ヤバイ。
イキそう。
たまらなくなった時、ぱっと片桐が離れた。
「なんで……」
俺は名残惜しく片桐に手を伸ばす。
「考えて。もし違ったらこの先は後悔します。それともう一つ、私は日本人ではありません、中国人です。そこも考えて下さい」
ここで終わりって事だ。
はあ……と、俺は深く息を吐く。
「そうなんだ……片桐が片桐なら、そこはどうでもいいみたい」
ドキドキする。痛いくらいに鼓動が激しい。股間は既に猛っていて、恥ずかしい。隠すために横を向くと、後ろに寝転んで来た片桐がそっと抱きしめて来る。
何気に鬼だと思う。こうなると何処かで一人で処理したいのに、それも許さないって事で、優しいふりで酷い。
耳たぶを後ろから食まれて、俺は首をすくめる。そのまま息を吹きかけられて泣きたくなった。
ヤバイ。何をされても股間に直結する。
「疲れたでしょ、もうお休み下さい」
鬼。
翌朝目覚めると、片桐はいつもの片桐だった。
新聞を読みながら朝食を食べる、その動きを向かい合った席から俺はじっと見つめる。
サラダを噛む口の動き、コーヒーのカップにつける唇。真っ赤なミニトマトを頬張ろうと口を開けた時にちらりと見えた白い歯がたまらない。
「どうしました?」
俺の視線に気付いて不思議そうに新聞から視線を上げる。
「いや、別に」
「今日、バイト休みですよね」
「うん」
「早く帰って来ます」
そんな事を言って微笑むのがたまらない。唇が横に引かれるのがたまらない。
「……うん」
見ていられなくて俺はうつむいた。
おかしい。片桐の動き一つが妙に鮮やかに見える。表情の変化一つ妙に焼きつく。
仕事に出て行くのをドアまで見送ろうと着いて行くと、靴を履いた片桐がくるりと俺を振り返った。
「朝霞様」
名前を呼ばれて片桐の顔を見れば、自分の舌先で唇をちらりと舐めていて、ドキッとした。斜めに俺を見下ろす視線が笑ってる。
「行ってまいります」
「行って、らっしゃい……」
見抜かれてる。朝からおかしい俺の思考はバレバレらしい。
なんだあいつ性格悪い、意地悪い。
閉まるドアを睨んで、それでも完全に閉まってしまうと切なくなった。
早く帰って来ないかな。昨日ので気付いた。俺は片桐に触られる事が嫌じゃない。好きだ。俺は片桐が好きなんだ。
俺はキス一つで片桐に気付かされたらしい。
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