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第27話

 俺が休みの日は二人で話す時間が持てる。だけどバイトの日は夜まで引っ張られるのでろくに話も出来ない。  あの晩辞めると口走ってしまったので急かされるかと思えば、片桐は何も言わなかった。自分で決めろという事なんだと思う。 「だから、夜は無理です。寝るのが遅くなるから朝起きるのも遅くなって、勉強出来ないんです」  出勤してまず始めにするのは伝票分けで、教わった通りに荷主別に分けてぽんぽん放り込んでいる俺に、岩田さんが来月のシフト予定表を渡して来た。遠慮無く俺の時間が夜に回されている。最近では夜残っている間に、みんなの日報を見て運行チェック任せられたりしていて、何気に夜の仕事量が増えてる。 「困ったなぁ、それじゃあ別の人雇うしか無いかな」  ちょうどその時二トンが一台戻って来たので、それをきっかけにして俺は倉庫に駆け出した。 「藤堂、坊主。よろしくね」 「はーい」  これはいつも伝票が無いので、もう慣れた。出る時は数も多い荷物なのに伝票無しで飛ぶのだからお得意様とは凄い。  いや、待てよ。  俺は積み替えにかかっていた手をふと止める。  伝票が無い。  それらは売り上げ計算に使われるはずなのでまとめて本部に送られる。その伝票が無いとは、どういう事だろう。 「そうですか」  マンションに帰ってから片桐に一日の報告がてら言ってみると、片桐はにっこりと微笑んだ。 「他は何か気になる事は有りませんでした?」 「他って言われても、あとはチャート紙のチェック位しかしてないからなぁ。そっちは大丈夫だよ、みんな速度制限守ってる」 「そんなに慌ただしいのに?」 「うん。線の内側だもん。あ、でも岩田さんが労働時間オーバーでヤバイっていうのは聞いた」 「そうですか。で、その後岩田さんとはどうですか」  どうもこうも無い。  やっぱり夜に引っ張りたいみたいで圧力が凄い。 「触られたりします?」 「それは無いよ。この間のは酔ってただけで、けろっと忘れてる」  何をされた訳でもないし、酔っ払いの戯言だろう。そこは気にならないけど。  すっと片桐の手が伸びて来て、俺の後頭部に触れた。ドキッとして片桐を見れば薄く笑って引き寄せられる。  場所はソファーだ。もう風呂にも入って後は寝るだけで、そうなってから毎日の報告をする。俺を待たなければ片桐はもっと早く寝られるだろうに、報告という義務にして会話をする時間を作ってくれているのだと分かった。 「私だけのあなたなら、このままずっとしまっておけるのに」  何て返せばいいのだろう。素直に頷こうにも、もうちょっとキザッたらしく無いセリフを言って欲しいもんだ。  腰にも腕が回って抱え込まれて、片桐の胸元が間近に迫る。開いたパジャマの襟から喉の筋と鎖骨が見えて、そんなどうって事の無い場所なのに何故か目が釘付けにされる。  片桐は綺麗だ。首が長くて肩幅が広い。日本人離れしたスタイルの良さで何を着ても様になるし、片桐はどうなんだろう。俺みたいなちんちくりんのどこがいいのかな。  そう思ったら、急に不安になってきた。 「なに?」  黙ったままの俺の気配を察して、穏やかに聞いてくれる。 「いや、別に。片桐の好みってどんな感じのかなと思って」 「目の前に居ますね」 「そうか、完璧だと思っても趣味が悪かったんだな」 「いいえ。趣味の良さは自信が有ります。高望みするから手に入れるのが大変で。あなたはまるで塔の上のラプンツェルのよう」  クサイ。セリフがクサイ。片桐は時々、翻訳でも読んでるんじゃないかと思うようなくさいセリフを吐く。屋敷に大量の本があったけれど、あれを読み漁るとこうなるのかな。外国人だと言ってたけど、発揮される不自由な口説き文句はそのせいだと思う。俺の前でだけにしてくれたら問題無いからいいけどさ。  笑っちゃう口説き文句は、恥ずかしいから俺専用にして欲しい。  髪を撫でられ額に口付けられて、ベタベタに甘やかされる。そうされるのは気持ちいいから好きだけど、その唇が次にどこに触れるのか気になって仕方ない。まぶたに、頬に、順番に下がって来て期待したら何故か手に飛んだ。 「え」 「なにか?」 「いやぁ、別に」  片桐は俺の片手を取って、手の甲に唇を寄せる。  ガードが硬い。  もしかしたら、こっちから攻めて来いという事なのだろうか。いやいやいやいや、経験値ゼロでどうやったらいいか分からないのに、十も年上の男を攻めるとか俺には無理だ。 「……ウォ、アィニー……」 「え?」  耳ともで何か囁かれて、聞き取れず俺は首を傾げた。 「なんでも有りません。寝ましょうか」  笑ってかわされた。  翌朝起きるともう片桐は出かけた後で居なかった。  ダイニングのテーブルの上に朝食が用意されている。  欲求不満になりそう。  片桐のベッドで一緒に寝てるのに、あれ以来キスもしてくれない。自分から行こうにも経験値の差でどうにも出来ない。  片桐を組み敷く事を想像してみれば、想像の中でさえ簡単にひっくり返されて笑われる。 「藤堂、どうしたんだよ。なんか鼻息荒いぞ」  かけっぱなしのエンジンがウォンウォン唸る駐車場で、スーツの赤坂さんが倉庫で働く俺を見て笑っている。  近くの自販機に飲み物を買いに出たのか、俺に缶ジュースを一本投げてよこした。 「ごちそうさまです」  真夏の太陽は眩しく、風は欠片も吹かない。 「あちーな」  流石に外ではサマースーツは着ていられなくなった赤坂さんが、上着を脱いで作業台の上に放った。俺はジュースを貰ったお礼のつもりでシワにならないようそれの形を整えて、ふと指を止めた。  随分物がいい。  スーツの生地とかよく分からないけど、片桐もこんな感じの物を着ている。片桐クラスのスーツなんか早々買えないと思うけど。  営業という仕事柄、身なりはブルジョワなのだろうか。 「赤坂さんって営業なんですよね。運送屋の営業ってどんな事するんですか」 「ん?普通に仕事取って来るんだよ。専属は本社が藤堂の……あ、関連企業が藤堂ってデッカイ所でな、そこの工場に入れるから、専属外の運送契約取って来るの。泊まってる車が無い方がいいだろ」 「ふーん」  全然分からん。 「じゃあ、赤坂さんって彼女いるんですか?」 「俺くらいになると幾らでも集まるから、固定の人は要らないね」  はっはっはっと大きく笑い飛ばされて、つまりいないらしいと分かった。  俺クラスがどのクラスなのかは知らないけど、ちょっと見てみろよと赤坂さんが名刺入れを出す。 「この店がいい子揃えてんだけどさ、藤堂いつ誕生日なの?誕生日祝いはキャバ行こうぜ」  なんかピンクだのブルーだの、カラフルな名刺がいっぱい入っていて、随分景気がいいなと思った。それも職種だからだろうか。 「大学かぁ、そんなに行きたい?行って何するの?」 「うーん。それ言われると痛いんですけど、とりあえず」 「とりあえずで行くなら、遠回りしている間にもっと人生楽しむ方法有るけどな」  赤坂さんが飲み終わった缶をゴミ箱に投げる。的を外したそれはコンクリの床に落ちて、倉庫の中に乾いた音を響かせた。

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