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第31話
その日は契約通りの勤務時間で上がれた。
ドライバーの人が教えてくれたけれど、内部監査というのは営業所の全体を全て調べる事らしい。それは売り上げから顧客から、従業員の労働からそれこそ全部。
「おかしいと思ってたんだよな、こんな狭い営業所を集積場にするの。普通もっと大型が何台も止まれて中で回れる所だろ、俺らが居たら入れないから道路で待ってるとか」
たまに早く上がったんだから、晩飯を奢ってやると言われて、俺は数人のドライバーといつかの居酒屋に居た。
今日は人数が少ないので一階のテーブル席で、俺の前には定食が有る。
「岩田さんが所長になってからですよね、集めるようになったの。しかも小口ばっかのくせに配車からおかしいですよ」
誰かが言って、誰かが返す。
相変わらず常連に愛されているらしいアットホームな店で、賑やかな店内は女将の笑い声と料理の匂いで溢れていた。
「赤坂が取って来た荷主ばっかだろ。しかも社長が出て来たんだから、あの二人終わったな」
「藤堂に夜勤させたいのはさ、何にも知らないからだよ。知らなきゃ言われた通りにするしか無いだろ、知らないうちに横領の片棒担がせられる所だったんだぜ。あぶなったなー、お前」
やっぱ横領ですかと話が進んで行き、一緒に働いているのにもう犯罪者扱いだった。おかしいと思っていたならこうなる前に止めればいいのに、人のやってる事に口は出さないのが上手くやって行くコツで、転んだ人間からさっさと切られる。
この世は灰色だ。バレたら真っ黒。ばれるまでは白。
ご飯を奢って貰って、みんなまだ呑むと言うので先に上がらせて貰った。
これに懲りずに出で来いよと声をかけられて、曖昧に俺は笑う。
ショックだった。岩田さんは口は悪いけど、仕事は一生懸命で悪い人じゃないと思っていた。赤坂さんなんか明るくて優しい面倒見のいい人で、そんな気配全くわからなかった。
人は怖い。大人は化かし合う。
いつもよりずっと早い電車に揺られて窓の外を見れば、ガラスに疲れた自分の顔が写っている。体は痛むけどバイトに行こうとやる気に満ちていた今朝とはえらい違い。
なんだか体の中心から芯が一本抜けたみたいに疲れてしまって、だけどなんでなのか自分でも分からない。
マンションに帰ると、片桐の方が先に戻っていて、怒った顔で出迎えられた。
「おかしいですよね、私よりも先に帰ったのに」
「ごめん、ドライバーの人達と少し話してた」
また約束を破ったのだけれど、それで怒られるのもどうでもいい気がする。
ご飯はと聞かれ、奢ってもらった事を話すと片桐は小さくため息を吐いた。
「やっぱり、落ち込んでしまいましたか?ドライバーの方々と御一緒だったのなら聞きましたでしょう。そういう事です」
「……うん」
岩田さんと赤坂さんの事がショックなのは確かだ。
「いつも伝票の無い荷主が幾つかあります。運賃はおそらく二人の口座に振り込まれているはずです。そのせいでドライバーが無理な稼動を強いられているのに運行は法律に違反が無い。ここにも細工が有ります」
「伝票の整理もチャート紙のチェックも俺がしてた」
「使われてたんですよ」
そんな事言われなくても分かってる。
「俺はバカだから、いつも気付かずいいように使われるんだ」
「朝霞様」
「片桐にも」
そういう事だ。
使い勝手がいいと黙って俺を利用していた岩田さんや赤坂さんと、片桐の何が違うのだろう。片桐は何も教えてくれなかった。最初から利用するつもりで俺を送り込んで、圧力に戸惑い悩みながらバイトに行くのをずっと見ていた。
バカは使い易い。みんなそう思ってる。
「約束破ってごめんなさい。お風呂入って寝ます」
「朝霞様」
「ごめんなさい」
今日は話したくない。
俺は片桐の横をすり抜けて風呂場に逃げ込んだ。
熱いシャワーを頭から浴びて、何を信じたらいいのか分からない気分を変えようと躍起になる。
岩田さんとか赤坂さんとかどうでも良くて、片桐に使われていた事、これが一番ショックだ。キスより先は良く考えろと忠告されたのはきっとこういう意味で、男に掘られてからコマの一つでしたじゃ俺の人生救えない。
なんで昨日の今日なのか。
片桐にやられた尻が痛い。
なんで先に教えてくれなかったのか。そうすれば裏切られたなんて失望しなくても良かったのに。
なんでなんて簡単な理由。所詮その程度って事だ。片桐という人を見た時、相手に不自由しないのは分かり切ってる。一時の気まぐれで、だから好きだとも言って貰えない。だから本名も役職も教えくれない。
なのに一人で舞い上がって俺はバカみたいだ。みたいじゃなくてバカだった。
シャワーの湯を止めて濡れた髪をかきあげながら鏡を見れば、そこに居たのは肌を上気させたただのガキで情けない。
こんなガキを本気にさせて都合良く動かすのは簡単だっただろう。もう用が無いから名前をバラしたのかな。
さっき一言もその事に触れない片桐は汚い。俺を利用してほくそ笑んでいた片桐は汚い。
俺は騙されてたんだ。
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