8 / 38
Please say yes:眠れる森の王子様3
***
あれから一週間が経った。アンディはずっと眠ったままだった。自責の念よりも俺が傍にいれば、ひょっこり目覚めるかもしれないという、淡い期待を抱いたので毎日通っている。
俺が病室に行くとアンディの代わりみたいに、とても喜んでくれた初老の執事。毎回美味しい紅茶をちゃっかりご馳走になりながら、ぼんやりとアンディの傍らに座った。
「いつも申し訳ありませんが用事を足してきますので、アンドリュー様を宜しくお願いします」
初老の執事はそう言って、俺に気を遣いながら出かけてくれる。
――病室に、二人きりの空間――
いつも戯れてくるアンディが横たわっているだけなので、とても静かだった。
アンディの右手をそっと取り、両手でぎゅっと握りしめる。どんなに強く握りしめても、その手から返ってくる圧力はなかった。
「お前の心は、今どこに行ってんだ? どうしたらまた、あの笑顔が見られるんだよ……」
時折見せた、してやったりな悪戯っぽい笑顔が、結構好きだった。空の色と同じキレイな青い瞳を細めて、俺を見つめるお前の真剣な顔も、結構好きだったんだぜ。
『俺のこと、愛してる?』
そう俺に聞いたよな。あのときは全然、気がつかなかったよ。自分の気持ちが、見えていなかった。傍にいるお前に、無性にイライラしていた理由――自分のペースが乱されて、いつも通りに過ごせなかったからだと思ってた。
お前のことが気になって、気が乱されたからなんだよな。
「俺がお前に好きだと言ったところで、この状況が好転するとは思えないけど……」
アンディは王子様で、俺はただの日本人。しかも男同士なんだ。相思相愛になっても、何も生まれはしない。なのにどうして俺に、何度も愛していると言ったんだ? どうして俺のことを愛してる? って、しつこく訊ねたんだよ。
「アンディ……目を覚ましてくれ。答えを教えてくれないか?」
自分の頬にアンディの右手をそっと押し当てたとき、病室の扉が静かに開いた。
てっきり初老の執事が帰ってきたと思って振り返ると、そこにいたのは栗色のおかっぱ頭に、ブルーグレーの瞳を持つ少年が、呆然とした様子で立ち尽くしていた。
「貴様……和馬だな?」
流暢な日本語でズバリ名前を当てられ、ビビりまくるしかない。
「汚い手で、兄上に触るんじゃねぇよ!」
俺が答える間もなく病室にズカズカ入ってきて、引きちぎるように手を離された。そしていきなり拳で頬を殴られる。
静かだった病室に、椅子がガチャンと倒れる音が響いた。無様に尻もちをついた俺は、口元をそっと拭う――少しだけ血が出ていた。
(兄上……? もしかしてアンディの弟なのか!?)
「ジェームズ兄(にぃ)は、馬から落ちて死んじゃうし、アンドリュー兄は、日本の馬を追っかけた揚句に、階段から落ちて、ずっと目を覚まさない。どうして俺の好きな人は、こぞって馬にやられてしまうんだ!」
(――そんなこと、俺に言われてもなぁ)
困った顔して見上げると、チッと舌打ちされた。
「こんなヤツのどこがいいのか、さっぱり分からんぞ!」
やっぱり兄弟なんだな、口調と声の質が似ている。
アンディの弟はポカンとしている俺の胸ぐらを強引に掴み、イライラしながら言い放つ。
「なあお前、アンドリュー兄が階段から落ちる前に、傍にいたんだよな? お前が突き落としたんだろ?」
「違うっ! アンディの体が急にふらついて、慌てて手を伸ばしたんだけど、掴み切れなかった……感じ」
「何だよそれ、鈍くさいにも程があるぞ!」
そう言って、再び拳を振り上げる。
また殴られると思い、ぎゅっと両目をつぶり、歯を食いしばった。実際助けられなかったのは事実なので、殴られるのは覚悟の上だった。
しかし――
「……あ、れ?」
いつまで経っても、拳が振り下ろされない。
恐るおそる目を開けると、俺の目の前で睨み合う透馬とアンディの弟がいて、透馬が拳を受け止めていた。
「俺の兄ちゃんに、手を出すんじゃねぇ!」
そう言うと左足でアンディの弟の腹を、思いっきり蹴飛ばした。病室の壁に吹っ飛んでいった姿を見て、俺は青ざめるしかない。
「と、透馬……やべぇぞ、おい」
「何だよ、助けてやったのに」
「有難いんだけど、相手がな……」
顔を引きつらせながら透馬を見ると、眉間にシワを寄せて誰なんだよと聞いてきた。
「アンドリュー王子の、弟君だ……」
「は? 全然似てないじゃないか」
呆れた声を出して、指を差す。フラフラしてお腹を押さえながら立ち上がった、アンディの弟。
「我が名はローランド。俺を蹴った罪は大きいぞ、そこのバカ者」
「自分の兄ちゃんが殴られて、助けない弟がいるかよ。バカ王子!」
「何だと貴様、無礼なっ!」
まさに一触即発の状態である。ここは一番冷静で年長である俺が、進んで止めなければ――
「止めないか、ふたりとも。ここは病院なんだから、静かにしろよ」
「ちょっ、兄ちゃんの為を思って、俺はコイツと喧嘩してるんだぜ」
「そうだ。これからって時に、どうして止めに入るのだ?」
「だからっ! ここは病室なんだってば。アンディの体にさわるだろう?」
必死な俺の説得に、ふたり揃って白い目で見る。どうして俺が、責められなきゃならないんだ?
「騒がしくした方が、アンドリュー兄の目が覚めるかもしれないだろ。空気の読めないヤツだな、本当に」
「昔からそういう人なんだ。目を瞑ってやって欲しい」
あれ、何かふたりして、意気投合してないか?
「兄ちゃんの鈍くささで、助けられなかった事について、俺からも詫びを入れる。すまなかった」
「透馬……」
「兄ちゃんは責任を感じて、毎日こうして病院に通ってるんだ。それに免じて、許してあげて欲しい。頼むっ!」
ローランド王子に向かって、45度に頭をきっちり下げる。言われてる事は難だが、胸がじんわり熱くなった。
「その件に関して、許してやってもいい。だが俺を蹴り飛ばした事について、謝れよバカ者」
「それは俺から謝る! 弟の躾がなっていなくて、申し訳なかった」
両腕を組んで偉そうにしているローランド王子に向かって、土下座をして謝った。
「兄ちゃん!?」
「透馬にはあとで、キツく言って叱っておくから。本当にごめんなさいっ!」
「やめてくれよ、俺が悪いのに……みっともない事、しないでくれって」
「はん、美しき兄弟愛を見せつけようってか。これじゃあ俺が、悪者になるじゃないか」
悔しそうにチッと舌打ちして、アンディが眠るベットにそっと腰かけた。
「兄上なら、どう裁く? アイツ等を見てると羨ましいを通り越して妬ましくなって、まともな判断が出来ないんだよ……」
そう言って、ポロポロ涙をこぼした。
「聞きたい事がある、和馬。兄上はずっとこんな安らかに、幸せそうな顔をして眠っているのか?」
「はい、ずっとこの状態です。まるで、いい夢を見ているような感じで」
俺は立ち上がってアンディの足元から、その寝顔を見やる。僅かに微笑みをたたえるその顔は、本当に幸せそうに見えるのだ。
「本国に連れ帰ると、その顔はきっとなくなってしまうだろうと、ジャンが言ってな」
「ジャン?」
「兄上の執事だ。ずっと傍にいて面倒を見ていたから、一番の理解者でもある。この顔を見るまでは、強制的に連れて帰ろうと思っていたんだが……」
涙を袖で拭い、俺の顔を見る。
「どうやら無理そうだ。俺になり代わり、見舞いに来てやってはくれないだろうか、和馬」
「ああ、分かった」
ローランド王子は寂しそうに微笑み、ブルーグレーの瞳にぶわっと涙をためた。
「あのっ、ローランド王子、ごめんっ!」
突如顔を赤らめた透馬が、頭を下げた。
「何だ、バカ者」
「自分の兄ちゃんが同じ事になったら、やっぱ辛いよなって思って。殴りたくなる気持ち、すっごく分かるから……だから謝る、本当にごめんっ!」
シュバッと音がしそうな勢いで、何度も頭を下げる。
「もういい。呆れ果てて、どうでもよくなったわ。お前の名、とうまとか言ったな?」
「うん、透明の透に、馬っていう字使うんだけど、分かる?」
頭を上げて、丁寧に説明する優しい透馬。
「――透き通る馬か。存在感あり過ぎるお前の名には、相応しくないな」
さりげなく酷い事を言い放ち、もう一度涙を拭って俺たちの元に歩いてきた、ローランド王子。
「こちらこそ、世話になっているというのに、お前の兄を殴って悪かった」
そう言って、右手を差し出す。透馬はどうしていいか分からず、俺の顔を見上げた。
「仲直りの握手だろ、素直にしてやれよ」
俺が苦笑いしながら言うと、さっきよりも顔を赤らめて、そっと右手を差し出し、しっかりと握手をする。
「入ってきた時と、えらい別人だな。透馬」
透馬の顔を見て女のコのように栗色の髪を揺らしながら、くすくす笑う。
ふたりの微笑ましい様子に、久しぶりに俺の心がホッとしたのだった。
ともだちにシェアしよう!