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4.ファミリー -2
「ご家族がいらっしゃるんですか」
隣に並んで颯天よりも早く靴を脱ぎ始めた祐仁に訊ねた。
その声は自分でもほっとして聞こえたが、露骨ではなかったかと恥じ入る。
考えたくないことを放置したすえ、いまに至っているわけだが、家族がいるのならあの妖しい出来事が繰り返されることはない、とそう思ったせいだ。
「ファミリーならいる。さっさとあがれ」
ファミリー?
家族という単語にしては、特殊な響きを持って聞こえた。
それを追及する余地は与えられず、祐仁が奥に進んでいくのを見て颯天は急いでスニーカーを脱いであとを追った。
幅のある廊下を通ってまもなく、ドアを開けて入ったのはLDK一体型の部屋だ。
「おかえりなさい」
「ただいま。ゲストを連れてきた」
「準備はできています」
それらの短い会話が終わったとき、颯天は祐仁がファミリーと称する二人と対面した。
その瞬間に、安堵した気持ちは頼りなく薄れていく。
ファミリーは颯天が云った家族という単純な言葉とは違う。
二人を見てなんとなくそう察した。
クーラーが効いているのだからスーツ姿でも暑いことはないが、一人は室内にいるというのに黒ずくめといったダークスーツを着込んだまま、不似合いにも料理が盛られたプレートをダイニングテーブルに置くところだった。
もう一人は対面式のキッチンにいて、カウンター越しに上半身しか見えないものの、ホワイトシャツを着ている。
まず、家族に対して――それが両親に対してならともかく、黒ずくめの男よりも祐仁のほうが明らかに年下なのにもかかわらず、“です、ます”口調は使わない。
ホームヘルパーがスーツ姿のはずはなく、それなら執事みたいなものか。
きっとそうだ。
キッチンにいる男は颯天とかわらない歳に見えて、彼こそは祐仁の弟かもしれない。
ふくらむ不安はそんな解釈を見いだして颯天をなぐさめる。
「こんにちは。高井戸颯天です。お邪魔します」
怯 えてしまうのは本能が何かを察知しているからか、けれどそれをおくびにも出さず、颯天は会釈した。
即座に反応したのは黒ずくめの男で、いらっしゃいませ、と軽く会釈した応じ方は物静かで穏やかであり、やはり執事という雰囲気だ。
日本の家庭にはなかなか執事などいないということは頭の片隅に押しやった。
キッチンの男が反応したのかどうかはわからない。
「料理ができたところなので、どうぞおかけになってください」
「はい、ありがとうございます」
颯天は答えながら、祐仁を問うように見やった。
「いつもよりちょっと早いけどな、夕食の時間だ。付き合ってくれるだろう? それとも腹減ってない?」
「いえ、そんなことはありません」
「だったら座れよ」
祐仁はダイニングチェアを指差した。
「はい」
リビングの入り口に立っていた颯天はダイニングのほうに向かう。
ダイニングテーブルは、重厚なブラックウォールナットの天板に脚は大理石だ。
椅子は肘掛けも付いていて黒い革が張られている。
いちいち自分の家と比べるのは不毛だともうわかっていながら、颯天は格差を感じてしまう。
バッグをテーブルの脚もとに置いて、颯天はキッチンを背にして椅子に座った。
適度に腰もとが包みこまれて座り心地がいい。
祐仁は背後に消え、キッチンに行ったのだろう、三人の足音が重なったり単独になったりした。
後ろを振り返るのはあからさまではばかられ、颯天は必然的にリビングのほうを見渡した。
リビングはずいぶんと殺風景だった。
いちばん奥の壁につけられた大画面のテレビが大きく感じないほど広くて、あとはコの字型に置かれたソファがあるだけで棚もない。
生活感のなさを奇妙に思いながら、眺める場所もなくなってテーブルに並んだ料理に目を落とす。
キッチンにいた若い男が作ったのか、スペアリブの入ったパエリアに、素揚げしたレンコンやカボチャののったサラダと、そしてまたポタージュが運ばれてきた。
「もういい。あとはおれがするから帰ってくれ」
祐仁が話しかけたのはもちろん黒ずくめの男かキッチンの男のはずだ。
「ですが……」
「大丈夫だと何度云えばいい?」
祐仁の云い方は、苛立 ちはなくとも尊大だった。
「わかりました。では」
「デザートはシャーベットです。パーシャル室に入れてますから。コーヒーもセットしています」
「わかった」
失礼します、という言葉を最後に男たちはふたりともが帰っていった。
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