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6.絶対服従 -1
大学生になって以来はじめての試験を終え、八月からおよそ二カ月の夏季休講に入ろうが、週の半分はEAの活動で大学に出てくる日々が続いている。
その当初は、面倒くさいと思うことが無きにしも非ず、八月も末になるとすっかり習慣化して苦にもならない。
いまは、万殊祭の実行委員会からあがってきた企画書を項目別に纏め、リストアップしていくのが颯天と時生の仕事だ。
「ボルダリングサークルは危機管理面が改善されてない」
うんざりとため息をついた春馬は、企画書を斜め向かいに座った時生に差しだしながら
「配置人数がまだ足りてないって実行委員会に伝えてきてくれ」
と命じた。
「わかりました」
時生は企画書を持ってすぐさま立ちあがり、颯天を一瞥したあと出ていった。
資料室は颯天と春馬の二人きりだ。
さっきの時生のしぐさが警告だというのは颯天も見当がついている。
颯天は春馬に快く思われていない。
原因が何か、この頃は薄々感づいている。
祐仁のせいだ。
祐仁と春馬の口論を盗み聞きしたのは、忘れもしない、一カ月前のことだった。
祐仁から快楽を無理強いされたことは強烈で、生涯、忘れ得ないだろう。
颯天を拘束して、子供に、あるいは囲った動物に餌を与えるようにパエリアを食べさせたのは、庇護下 にあるような依頼心を植えつけ、従順にさせるためだったのではないかと思う。
祐仁は拘束したことを口実になるだろうと云った。
確かに、逃げられずしかたなかったとなぐさめにはなった。
結局は、あれから何度も祐仁のいいようにされ、もう縛られることもなく抵抗を口にしながらも颯天は快楽を貪って、いまや姑息 な云い訳にしかなっていない。
弟の広希に段田からの接触は一切ない。
一方で、颯天はどれくらい祐仁のものでいなければならないのか、まったくさきが見えない。
ただ、薄らとわかったのは、颯天は春馬の後釜ではないかということだ。
それなら、いつか颯天の後釜も現れる。
そんなモヤモヤした気持ちが湧けば、自ずと春馬の心境もわかった気がしたのだ。
「颯天、おまえ、祐仁さんからどこまで聞いてる?」
春馬は直球で問いかけてきた。
あの日、春馬は祐仁を『ブレーン・ユー』と呼んでいたが、二度めを耳にしたことはない。
その呼び方を含めて、春馬は颯天が『どこまで』かを祐仁から聞かされていると思いこんでいるのだろう。
「え、どこまでって何をですか」
ごまかしたわけではなくそのまま口にしたのだが、春馬は嘘を探しているかのようにつぶさに颯天を観察している。
春馬は二重のくっきりした目に小振りの鼻と口をして、整ってはいるものの颯天よりも年下に見えるほど童顔だ。
可愛がられるタイプだと思うが、いま颯天に対する様相は、生まれて間もないライオンの子が牙を剥いているようだ。
子供とはいえ手を差しだして近寄るには無用心すぎる。
颯天が春馬の返答を待っていると、ふっとほくそ笑むような嘲笑が返ってきた。
「何も聞いてないのか」
「なんのことかさっぱりです」
これが同級生なら颯天も突っかかったかもしれないが、春馬は一年先輩だ。
ここは素直に応じた。
なあんだと云わんばかりに、春馬はがっかりしたのではなく優越感に浸ったような様で、ふふんと鼻を鳴らした。
「祐仁さんが自分について話さないんなら、おまえはただの玩具 だな。おれは祐仁さんがどういう人か知ってる。おまえは足下へも寄りつけない人だ。けど、役には立てる。よかったな」
人の幸せを喜ぶのではなく、どう見ても春馬は人の不幸を喜んでいる感じだ。
「役に立てるって……どういうことですか」
「祐仁さん、うまいだろう。一度に何回、逝かせられる?」
いざはっきりと春馬から祐仁との関係をほのめかされると、颯天はあらためてショックを受けた。
想像はついていたのに、なぜこうも大打撃になる?
そんな疑問がさらに颯天を打ちのめす。
おれは……。
そのさきは言葉にできず、颯天は自分の内心をも欺 く。
ざまあ見ろとばかりに悦に入った春馬は、沈黙した颯天を覗きこんだ。
「颯天、おまえが受けているのは調教だ。従順な男娼 になるためのな。おれが知っているだけで、颯天は十人めくらいか? けど、おれは違う。おれは祐仁さんのパートナーだ」
してやったり、と春馬は締め括った。
その刹那。
「口を慎め。おれはそう云ったはずだが」
だれに向けた言葉か。
颯天も春馬も答えは一致している。
通常の心理状態であれば、颯天は独り哄笑 していたかもしれない。
それほど春馬の顔は嘲笑から驚きへ、呆 けて蒼白に、そして泣きべそを掻くように七変化した。
祐仁はいつからそこにいたのだろう。
振り向くと、颯天たちには背を向ける恰好で腕を組み、入り口から近い『6』とある資料棚に寄りかかっていた。
振り返って一瞥をした祐仁は、棚から背中を起こすと、颯天たちがいるテーブルへとやってくる。
「春馬、最後の警告だ。颯天のことは放っておけ。おまえが口出しをすることはあってはならない」
春馬へと冷ややかに云い渡し、それから祐仁はため息をつき、
「颯天、行くぞ」
と颯天を見やった。
庇護を受けた捨て犬のように、無防備に喜んでしまう。
そんな気分にさせられて祐仁を恨むべきか自分を蔑 むべきか、結論を出す間もなく颯天は立ちあがっていた。
資料室からミーティング室へ出ると、ちらほらと視線が颯天に向いては見てはならないものを見てしまったとばかりに顔が背けられる。
あまり露骨ではなかったが颯天はそんな気配を感じとった。
「区切りのいいところで切りあげろ。次は来週だ」
はい、といくつもの声が返事をするなか、祐仁はうなずいて
「颯天、おまえはついて来い」
と口にした。
はい、という従順な返事が無自覚に口をついて出る。
「おさきに失礼します」
颯天は残っているメンバーたちに軽く会釈をしてから、部室を出ていく祐仁のあとに続いた。
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