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9.忠実であるべき主 -3

ハッとして起きあがろうとしたが、その直前、手のひらに背中を押さえつけられた。 上体を起こすことはかなわず、颯天は顔だけを上向けて窓ガラス越しに室内を見渡した。 すると、リビングのソファからゆっくりと立ちあがる人物に気づいた。今日の客、清道竜雅(りゅうが)だった。 この部屋は、颯天の住まいでありながら男娼として充てがわれた仕事場だ。 出入りなど厳重に管理されたタワーマンションの三十階にあるが、本来の持ち主は永礼であり、合い鍵も持っている。 例えば、風呂に入ってリビングに戻れば永礼がいたなど、日常茶飯事といってもいい。 母からの電話の最中、永礼が入ってきてもなんら意外なことではなかった。 けれど、同伴者がいるとは思ってもいない。 大抵は永礼が単独で行動することはなく、少なくとも用心棒は付き添っているが部屋のなかには入らず、廊下で待機している。 客を伴って来ることもなくはないが、それはここに一緒に来た目的のため――密談をやるためだ。 こんな(だま)し討ちのようなことははじめてで、ましてや客のいる前で永礼に襲われたこともなかった。 世間体上、永礼と一緒にいるところを目撃されるわけにはいかない。 颯天の客は、そういった立場の男たちだ。 客同士も然り、それゆえにセックスを第三者に見られることもなかった。 現在、五十五歳という清道は、理事長の立場においては異例の抜擢(ばってき)といっていいほど若い頃に就任している。 精悍(せいかん)な顔立ちには温和そうな気品が覗くも、いざ裸体になれば刃向かう気力を奪われるほど、意外にも企業家というよりは格闘家のようにがっしりとした体格だ。 清道とはじめて会ったのはおよそ一年前だ。 それから少なくともひと月に一度は颯天を買う。 かつて、祐仁は清道の愛人だったというが、清道は祐仁についてひと言も触れない。 颯天が祐仁によって清道大学に推薦合格したことを知っているのか否か、その後、祐仁によって男娼として調教されたことを知っているのか否か、颯天は何もわからない。 それは、人に漏らしてはいけない秘密だとほのめかされ、颯天は守秘義務を守れるかどうか試されているような気もしていた。 実際に、五年前に口にしてしまったのは油断であり、それが祐仁との関係を引き裂くことになった。 そもそも、祐仁と清道の愛人関係はEタンクによって生じたものだと颯天は認識していたが、このふたり――清道と、Eタンクの対極にあるという永礼が通じ合っているのがまったく理解できていない。 だからこそ、颯天から清道に祐仁のことを訊ねるなど無鉄砲すぎる。 歩み寄ってきた清道を、颯天は窓ガラス越しに半ば呆然と見つめながら、その動揺を隠すべく笑みを浮かべた。 「清道理事長、見られてたんですか」 「ああ。嫉妬するね。きみが忠実なのは私にだけではなかったようだ」 清道は残念だと付け加えられそうな言葉とは裏腹に、表情も声音も満足そうだ。 今日はなんだろう。 永礼といい清道といい、ちぐはぐな言葉を放って颯天を称した。 それぞれの発言に気を取られ、永礼の手が離れて自由になったことに気づかず、颯天は戸惑ったまま清道が真後ろに立つのを見守っていた。 その清道が横を向いたかと思うとまたすぐ正面に向き直って目を伏せた。 ひぁっ。 颯天は短く悲鳴を漏らして、同時に、躰をうねるようにびくっとさせた。 臀部に冷たい液体がぼとりと落ち、それが双丘の間に添って陰嚢(いんのう)へ、そして果てたばかりの杭に絡む。 先端からひと筋の(しずく)が垂れたとき、双丘の割れ目に添わせていた指が後孔に滑ってきた。 あうっ。 孔をふさぐように指の腹を押しつけて、清道は緩々と揉みこんだ。 やさしく触れ、気づいたときは引き返せず、力尽きるまでとことん快楽漬けにするのが清道のやり方だ。 粘液性のローションはぬちゃぬちゃとした音を立て、まるで颯天自らが発しているかのような羞恥心を覚える。 快楽を享受しながら避けようとするのは本能か、颯天は爪先立ち、背中を丸めて清道の指から逃れようとした。 だが、指はしつこく追ってくる。 後孔に少しだけ指先が潜ると、拡張するようにぐるりと縁をまわった。 孔がひくひくとうごめいているのが感じとれ、清道の指を咥えたがっているように見えるかもしれない。 いや、実際、颯天はもどかしくてたまらない。 半ば怯えながら永礼に(もてあそ)ばれているうちに、いつの間にか颯天は自ら快楽を求める男娼に成り果てていた。 永礼や清道だけではなく、颯天はすべての買い主の癖を見いだして忠実になった。 そうやって生き延びて、颯天は祐仁と会える日を待っている。 保証のない夢だ。 手放され、もっといえば保身のために売られたというのに、時間がたつにつれ、祐仁の本意は違うところにあったのではないかと思うようになった。 祐仁といた時間よりも永礼といる時間のほうが圧倒的に長い。 それでもその存在は(かす)まない。 その存在を忘れられない。 欲しくてたまらないものができた。 そう云った祐仁が、はっきりそれが颯天だと口にしなかったからこそ、本心だったのだと思う。 颯天を懐柔するためだけなら良心などそもそも存在せず、嘘など造作ないはずだ。 そうしたほうがずっと簡単にすむ。 おまえのことはおれが守る。 そう云った祐仁は、永礼に引き渡すことで颯天を守ったのかもしれなかった。 Eタンクから。 愚かな勘違いでもいい。 祐仁が何を望んでいたか、それは丸裸の颯天だ。 その颯天が変わるわけにはいかない。 祐仁。 内心でつぶやいたとたん、顔をうつむけていた颯天は顎をつかまれ上向けさせられた。 窓ガラスを見ると、そうしているのは脇に立った永礼だった。 ぐっと顔を近づけてきて、窓ガラスにふたりの顔が並んで映る。 「おまえはだれのために従順でいる?」 見透かしたような問いかけで、鋭い眼差しは嘘など許さないといわんばかりだが、こんな情事の合間にそぐわない。 だからこそ、本音を漏らすかもしれないと思って、あえて訊ねているのか。 なんと応えればいい。 颯天は自分に問う。 「颯天」 催促する呼びかけと同時に永礼はもう一方の手で颯天のオスをすくうようにつかんだ。 申し合わせたように清道の指が隘路へと侵入した。 あ、ああっ。 叫び声に紛れて粘液を硬い面に叩きつけたような音がした。 颯天は軽く達したのかもしれない。 清道の動きは単調であり、技巧がなさそうに見えて、その実、追いつめられていることが多い。 昇りつめるのではなく、不意打ちで逝かされる。 清道は颯天の反応にも永礼が加わったことにもかまわず、指先をうごめかし、難なく体内の快楽点を探しだした。 「あ、そこはっ……う、ああっ……漏れるっ……く、ぁあっ」 「清道さんの前では我慢するのか」 永礼は、放つのを堪えて身悶える颯天に眺め入る。 清道の相手をするには我慢をしなければ身が持たない。 永礼は、枯れたすえに吐精感だけが続く怖さを知らないのだ。 それを配慮することなく、永礼はオスの突端をゆるりと摩撫し始める。 清道は、ともすれば痛みになる場所を刺激して快楽のみを引きだす。 颯天の性感を熟知したふたりが同時に責めてくればひと溜まりもなかった。 あ、あっあっあっ……。 嬌声は止まらず、脳内はだらしなく快楽に痺れて颯天の腰がぶるぶるとふるえだす。 「颯天、おまえはだれのためにこうしているんだ?」 再び永礼が問う。最適な答えも永礼が望む答えも見つからないままで、快楽に侵された思考では探しだせるはずもない。 「あふっ、もぅ……あ、ぅあっ……」 「答えろ。だれのためだ」 懲らしめるように清道の指先が弱点をくすぐり、永礼の手が先端を包みこみ撫でまわす。 吐精はもう止められなかった。 「颯天」 「う、ぁあああ――っ、だれのっ、あぅっ……ため、でも、ない――っんあああっ……おれのため、だっ、……く、ふっ、は、あああ――――っ」 嘘じゃない。 その答えしかなかった。 祐仁が欲しい。 だれのためでもない。 淫水をまき散らしながら足ががくがくと揺れるなか、清道が指を引き抜く。 颯天はぶるっとひと際大きく躰をびくつかせ、力尽きて床に崩れ落ちた。 自分が吐きだした快楽の証しがひんやりと所々に触れる。 その不快さを感じないほど、快感はおさまる気配がない。 そんな颯天を汚いとは思わないのか、永礼が抱き起こし、背後から颯天の躰を支えた。 正面には腿を跨がって清道がじっと颯天の目を見据えた。 「これから云うことをちゃんと聞くんだ。颯天、きみが忠実であるべきなのは永礼と私に対してだ。きみを見込んで頼みがある。Eタンクにきみを潜入させる。任務はアンダーサービスエリアのフィクサーの監視だ」 頼みと云っておきながら、拒むことはかなわず、射貫くような眼差しは絶対命令だと警告していた。

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