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18.お気に入り ー1

颯天は関口組の組員から車で送られ、凛堂会の事務所がある最寄りの駅付近で降ろされた。 夕方というよりは夜に近い夕闇のなか、凛堂会へと心持ちゆっくりと歩きながら関口組の車が通りすぎるのを待って、颯天は歩道の脇に寄った。 少しでも姿が隠れる場所を探していると、パン屋の脇に置かれた観葉植物が目につく。 颯天はモンステラの大きな葉の陰に紛れた。 スマホを取りだして『事務所』と登録した電話番号を呼びだした。 料亭の地下にある娼館の番号の一つだが、接続して耳に当てると呼びだし音が二回繰り返されたあと、音が切り替わってまた呼びだしが続く。 転送されてまもなく繋がった。 「祐仁、颯天です。聞いてましたよね」 『ああ。関口から云われたとおりにしろ。ただし、危険を冒す必要はない』 「はい。祐仁、一つ確認させてください。永礼組長には関口組の計画が伝わってるんですよね?」 颯天にはすべて報告させるが、祐仁はどうするつもりか少しも打ち明けてくれない。 それは立場を考えれば当然のことかもしれないが、颯天にも忠臣として祐仁の心配をする権利はあるはずだ。 『何も伝えてない』 質問というよりは確認を求めたはずが返事は思ったものではなく、颯天は目を見開いてすっと息を呑んだ。 祐仁と会えば、会話の主導権を握られたうえ快楽にごまかされる。 いつも訊きそびれていた答えをやっと聞けたにもかかわらず、求めていた安堵は得られないどころか颯天は一気に不安に脅かされた。 「けど、それじゃ、永礼組長に祐仁を裏切り者だと誤解させてしまう!」 声をひそめつつも叫ぶように颯天は訴えた。 対して祐仁は鼻先で笑って、颯天の心配を軽くあしらう。 『云っただろう、一連のことを知っている者は必要最低限だ。おれは自分の身は自分で守る。永礼組長も然り、バカじゃないし、組内の裏切り者の話は寝耳に水ってこともないはずだ。加えて、永礼組長は人からの情報を鵜呑みにする、浅はかな人間でもない。それに、こっちにとっても裏切り者か否か、はっきりさせる必要がある』 「工藤さんのことですか」 『春馬なんてどうだっていい』 それなら緋咲のことか。 春馬が関口と話していたことも祐仁は聞き遂げたはずだ。 そのうえでどうでもいいと云いきるほど、春馬の野心は些細なこととして片づけられている。 おれは――と祐仁は念を押すように云い、『本意を知りたいだけだ』と続けた。 そして。 『颯天』 「はい」 改まった祐仁の呼びかけに畏まった返事をして颯天は耳を澄ました。 『云われたとおりにしろと云ったが、おまえが身の危険を察したときはその限りじゃない。本来の目的が失敗に終わったとしても、凛堂会に貸しをつくることはできる。どのみち秘密裡でやってることだ、次がある。だから、これ以降は何よりも自分を優先しろ。いいな』 再び、危険を避けるよう颯天に云い聞かせた祐仁の本音はなんだろう。 春馬より遥かに大事にされているのは当然かもしれないが、忠臣以上にそうでありたいという颯天の期待を煽る。 「はい。祐仁も気をつけてください。約束してもらわなければやり通せる自信がありません」 『もちろんだ。おれの野心を知ってるだろう』 そう云って電話は切られた。 かすかに笑っているような声音だった。 ほっとするようでその実、颯天の心底では裏腹に予感めいた(おそれ)が同居する。 けれどそう感じることは、祐仁の力量を信用していないことにもなる。 そんな反意でもって颯天は自分のやるべきことをやるだけだと自分を奮い立たせた。 凛堂会の本部前に来て、颯天は一つ深呼吸をした。 本部の建物はガレージハウスタイプで、一階部分はほぼ駐車スペースとなっている。 そこに入りこむと先回りをしていた関口組の組員が四人、建物の陰から出てきた。 颯天は中央部分に設けられた階段をわざと靴音を響かせながらのぼり、そのあとから靴音をひそめた男たちがついてくる。 一度折り返して二階のフロアに出ると、四人の男たちは壁の陰に隠れて待機した。 颯天は、外から見ればベランダのように見える部分を進む。 凛堂会の玄関には二人の組員が立ち、警備に当たっていた。 ここは監視塔としても適しているだろう。 暗闇という視覚的障害さえなければ。 俄に緊張しながら、颯天は男たちの傍で足を止めた。 いかにも番人といったふうの屈強な男たちがじろりと颯天を見やる。 ここにやって来たのはEタンクから引き渡されたとき以来だ。 凛堂会の組員の顔など限られた者しか知らない。 「高井戸颯天です。永礼組長と約束しています」 颯天が名乗ると男の一人がわずかにうなずいた。 「入れ」 と、顎をしゃくって颯天を促し、もう一人の男が観音開きのドアを開け、客人だ、となかに向かって声をかけた。 刹那、いきなり背後で足音が複数聞こえ―― 「なんだ、てめぇら……っ」 正面から怒鳴り声が響くなか、振り向きかけた颯天の横を通りすぎ、関口組の男たちが警備の二人を襲う。 不意を突かれた二人の男は身をかまえるが、それぞれが一度に二人を相手にするには間に合わず、頭を壁に叩きつけられたすえ、ずるずるとそのままコンクリートの床にくずおれた。 ぴくりともしないのを見ながら、それが脳震盪(のうしんとう)であるように颯天は願う。 「おい、どうした」 なかから声が飛んでくるのと同時に、颯天はぐいと両側から肩をつかまれた。 「じっとしてろよ」 その声と同時に脇腹がちくりとする。 思わずそこを見下ろすと先の尖った刃物が押し当てられていた。 計画上のこととはいえ、颯天の躰がこわばるのは防ぎきれない。 もっとも、芝居を打つためにはこのほうがいいのだろう。 そうして関口組の男がドアを支えるなか、肩から押しやられるようにしながら、颯天はなかに進んだ。 事務所には二人の男がいて、一人の男は声をかけたほうだろう、こっちに向かいかけていて、颯天たちが目につくとぴたりと足を止めた。 もう一人、ソファにのけ反って煙草を吸っていた男は一瞬だけ動きを止め、それから煙草を灰皿の上で(ひね)りつぶした。 「なんだ、おまえら……その(つら)は関口組か!?」 「黙りやがれっ。こいつを()っていいのか。永礼組長のお気に入りだぞ」 あっ。 脇腹に当てられた刃物がシャツの上から皮膚に喰いこんで、颯天の口から無意識に短い悲鳴が漏れる。 「ほら呼べよ。愛しの直樹さんだろ」 凛堂会の男たちがためらっている間に、颯天は揶揄されて口を開いた。 「直樹さんっ、気をつけてくださいっ」 精いっぱいで叫んだか否かのうちに、騒々しさを察していたに違いなく奥のドアが開いた。

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