63 / 64

22.走破~無自覚の求愛~ ‐5

祐仁は颯天の躰の下から手を抜くと両脇に肘をつき、自分の躰で颯天を拘束した。 「なんで……」 颯天は云いながら頭上の照明を見上げてまた祐仁に目を戻した。 「あれしきでおれを本気で拘束したつもりか? 起こさないようにって慎重にした結果だろうが、ちょっと手を動かせば容易にほどける」 「……なんで……」 颯天は目を見開きながら、同じ言葉で問いかけたが質問の意味は違う。 祐仁は、ああ、とその違いは先刻承知とばかりに肯定した。 「最初から逃れようと思えば逃れられた。なんで逃げなかったのか、それはおれの贖罪(しょくざい)だ」 「……贖罪?」 思ってもみなかった言葉が祐仁の口からこぼれ、颯天にはただ意外だった。 「おれはおまえを男娼にするつもりはなかった。少なくとも、おまえを本当の意味で抱いた日から。油断して嵌められたあの日、おまえを守るために方法がなかったとはいえ、取り戻すまでに六年近くかかったことを悪かったと思ってる。おまえに対しても組織に対しても、二度の失態は許されない。おれは確実におまえをおれのものとして手に入れたかった」 祐仁は歯痒さを覗かせながら、その声にも顔にも苦渋を滲ませている。 「そのために今回の……工藤さんの裏切りをきっかけにしたってことですか」 「そうだ。春馬はおれの情報網を甘く見ていた。関口組は中国マフィアと親密な関係にある。その関口組に春馬が必要以上に接触しているとわかった。情報が漏れることがあってはならない。内偵した結果、関口組は凛堂会の組員に薬物の取引を持ちかけていることが判明した。その頃だ。永礼組長から調査依頼と情報提供が求められたのは」 「やっぱり永礼組長は知っていたんだ」 永礼が抜かることはなく、それ以上にすべてを冷静に見越して動いていたのではないかと思った。 おそらくは清道と緋咲のことを慮りながら。 颯天と永礼の関係を気にしていた祐仁は、颯天の『やっぱり』という言葉を穿って捉えたかもしれない。 その面持ちは皮肉っぽくもあり焦燥も宿っている。 颯天に向けたものではなく、颯天を永礼に差しだした自分に対するものに違いなく、憂えた祐仁の気持ちをほぐすにも適当な言葉を見いだせず、颯天は手を上げて祐仁の前髪を掻きあげた。 その手を祐仁がつかみ、手のひらに口づける。 くすぐったさに手を閉じながら引いた。 すると、祐仁はかすかに興じた様に変わった。 「永礼組長はおれが提供するまでもなく勘づいていた。いずれ、その情報を提供する引き換えとして条件を出すつもりだった。条件はおまえの引き渡しだ。ただし、あっさりとおまえを返してもらうだけでは春馬が勘繰る。それを、おれが仕掛けるまでもなく、永礼組長からその機会をつくった」 「永礼組長がわざと越境したんじゃないかって祐仁は疑ってた」 祐仁はうなずいたが永礼の策略を渡りに船と捉えているわけではなく、どこか納得がいかない、あるいは(しゃく)に障るといった様子だ。 「お()びとして男娼を一体差しだすと云われたときに試されているように感じていた。おれが間違っておまえと違う奴を選んだとしても、永礼組長はおまえを引き渡したはずだ。けど――」 「間違ってない」 颯天が即座に引き継ぐと、祐仁は当然だとばかりに口角を上げる。 「おまえに対して証明しなければならなかった。間違うわけにはいかない。けど、おまえの感じ方も、おまえの形も、おまえの気配も、おれは憶えていた。遊戯以前にひと目見て直感した」 「おれも、足音でわかったかもしれない」 「忠実だな」 「あたりまえだ」 即答した颯天をじっと見下ろし、祐仁はふと突かれたように顔を近づけかけた。 が、自らぱっと顔を背けて逃れる。 そうして衝動をリセットするかのようにゆっくりと目を戻した。 「おまえは永礼組長から何を頼まれていた」 「祐仁を……正確には、アンダーサービスエリアのフィクサーの監視を頼まれた」 颯天は云いながら、その本質は祐仁を守るための監視だったかもしれないと思った。 颯天が祐仁に忠実であることを見越して。 一方で、疑問が浮かぶ。 「祐仁、永礼組長と清道理事長の関係は知ってたんですか」 「ああ。だからこそ、おまえの弟は助けられた。おれはあの頃、単に清道理事長は顔が広いと思っていただけだったが、まえに云ったとおり、管理者(エリート)になってEタンクの会長だと知った。Eタンクではトップと対面するにはそれ相応の地位が必要だ。昨日、車の中で聞かされたのは、永礼組長がかつてEタンクの所員だったことだ」 「Eタンクの? やめられたんですか」 「いや、アンダーサービスでフィクサーとして務め、清道理事長がヘッドから身を引くと同時に、やめたというよりは独立したらしい。Eタンクのような絶対的組織は、それがかえって弊害を生むときがある。絶対だからこそ逆らえず、よって末端の連中は結託して口を噤み、結果、情報が上がってこないときもある。正統派としての清道大学、闇の道を行く凛堂会が外から支えることによって、その弊害が取り除かれる。Eタンクに残ったのは緋咲ヘッドだ。Eタンクには三位一体(さんみいったい)と伝説のように噂されているチームがある。ここ十数年で世界のシステムは劇的に変化した。それに先駆けて彼らがEタンクを近未来化した」 「それが、緋咲ヘッドと清道理事長と永礼組長ですか」 「そうだ」 「けど、緋咲ヘッドは昨日、自分を除け者だって感じてるように見えた……」 「三人が別の観点に立ち一体であることを当時は納得したんだろう。時間がたつにつれて、緋咲ヘッドは孤立していったかもしれない。常に判断を迫られ、指揮を取らなければならず、それをいちいち相談するわけにもいかない。トップとはそういうものだ。相談せずとも傍にいるだけで心強い。そういうこともある」 「けど、緋咲ヘッドって結婚してるんじゃないんですか。祐仁の父親なんだろう……」 と云いかけて、颯天は矛盾に気づいた。 「違う。祐仁は施設育ちだって聞いた」 「そうだ。緋咲ヘッドは独身で、おれはデザイナーベイビーだ。体外授精で金で雇った女から生まれたらしい。有働はおれと同じで、永礼組長の息子として生まれた。子供を産むことに関してはどうやっても男にはできないからな」 いきなり出てきたデザイナーベイビーという言葉に颯天は目を丸くする。 「もしかして、Eタンクにはそういう人間が多いんですか」 「自分の遺伝子を残したいっていうのは動物の本能だろう。それを望む者に対しては叶える。ただし、厳密にはだれが自分の子か、それは知らされない。Eタンクの掟として、任務第一という忠誠が揺るがないよう家族不要の一文があるのはわかっているはずだ。知れれば元も子もない」 「けど、緋咲ヘッドは、ずっと祐仁を息子だとわかってたんだろう? だから、清道理事長は有働さんじゃなくて祐仁を自分の身近に置いて力を持たせた。そうやって緋咲ヘッドに、大事な存在だって伝えてた」 「まわりくどいけどな」 「けど、緋咲ヘッドは祐仁を陥れようとしてたって……」 「本気でそうしようとしていたんなら、おれはどうやってもフィクサーになれてない。それだけの権限をヘッドは持っている。車のなかでヘッドが云った理由がそのまんまだろう」 「おれは祐仁がだれかに――緋咲ヘッドに嵌められて、蹴落とされるかもしれないって思ってた」 こうなっても心配を消し去れない颯天と違って、祐仁は失笑する。 「痴話げんかの巻き添えにすぎない。別れさせられた日、有働が立ち会っていただろう。有働によればおれの救済措置を講じるための緋咲ヘッドの計らいだった。あのとき、おまえは負けなければならなかったんだ」 「……よかった」 颯天は心底から安堵して力が抜け、ベッドに沈んだ感覚に陥る。 さっき颯天がしたように、今度は祐仁が颯天の前髪を掻きあげてなだめた。 「おれのことは心配いらない。自分のことは自分で――」 「――どうにかできる。それはわかってる。けど、心配しないことなんて永久にない」 祐仁をさえぎって、颯天は自分の存在を主張した。 力尽きたように祐仁は吐息を漏らす。 「……おれもそうだ。凛堂会に引き渡したときも案じていたが、永礼組長が無下におまえを扱うとは思っていなかった。けど、今回は違う。おまえの状況が把握できなくなって、昨日ほど自制が必要だったことはない」 その言葉で昨夜のことが鮮明に甦る。 「昨日は……どういうことだったんです? どうなったんだ?」

ともだちにシェアしよう!