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『ペンギンは翼を広げ』あいま
「おかえり、待ってたよ。」
帰宅すると、リビングのソファーで兄:春樹 がくつろいでいた。
整った顔立ちにフレームの細い銀縁眼鏡をかけており、その綺麗な顔をニコリとこちらへ向ける。
春樹は4歳年上の大学3年生だ。
福祉系の私立大学に実家から通っているので、基本毎日顔を合わせる。
両親は共働きで家にいない時間のが多い為、兄弟で夜を過ごすことも多い。
文武両道、容姿端麗、そして面倒見の良い兄は両親からも信頼されていて、昔から兄弟でお留守番をさせられていたっけ。
「こっちへおいで、和樹 。」
春樹は優しい声でオレの名を呼びながら、隣のスペースをポンポンと叩いていた。
これは、隣に座れという合図。
少しためらいながらも、オレは春樹の元へと近づき腰を下ろした。
途端、肩にドンッと衝撃が与えられ……抵抗もできないままソファーに背を沈める。
それから、春樹は素早い動きで上にまたがり、覆いかぶさって。
気付いた時にはもう、押し倒されてしまっていた。
「……和樹、」
レンズの向こう側から、翡翠色の瞳がまっすぐオレを見つめていて。
その翡翠色がふわりと細まり、「ふふっ」と優しく笑みを浮かべ、冷たい手がオレの頬をそっとひと撫でした。
文武両道、容姿端麗、完璧そうに聞こえる春樹には、ひとつだけ欠点がある。
いや、これを欠点と呼んだら、春樹はきっと怒るのだろうけれど。
「今日もたっぷり可愛がってあげる。」
それは、愛情表現が他人と少し違うということ。
春樹の両手が、するするとオレの首へを撫でて。
優しく包んで、それから……グゥッと絞めた。
「ぅ、……ッ!!」
声帯と気道を、じんわり…じんわり…と圧迫し、爪が皮膚に食い込んでそこに痛みを与えていく。
「大好きだよ、和樹。」
「ッ、あ、……!!」
酸素が吸えなくて、クラリクラリと脳が揺れたような感覚に陥る。
頭が痛い。眩暈がする。そんな症状に襲われながら、喉の隙間から必死に酸素を求めた。
春樹の愛情表現は、痛みを与えることだ。
「いいねぇ、その顔。もっと見せて、和樹。」
苦しくて、痛くて、しばらくすると生理的な涙がボロボロと零れていた。
痛みに耐えながら浮かべる苦悶の表情を、春樹は愛おしそうに見つめてくる。
つらいし、くるしいし、今日こそ死ぬかもと何度も思った。
だけど、抵抗はしない。
だってこれが、春樹の『愛情表現』だから。
*
「なに、これ……」
恋人の辺々古 和樹が、兄から受けている暴力をカミングアウトしたのは、付き合い始めて5ヶ月が経った頃だった。
冬服から夏服に衣替えが行われて、肌色の露出が増えてきた時期。
それなのに、和樹の服がいつまでも長袖なのが気になって。
聞いても返事はあやふやで、我慢できず……気づいたらその袖を無理矢理まくり上げていた。
高校3年生の僕は生徒会に所属していて、その多忙に追われていたこともあり、気づく事ができず……ようやく、その事実を知ったのだ。
同じクラスなのに、いつも一緒にいるのに…どうして気づいてあげられなかったのだろう。
和樹の腕には、青紫色の痣が広がっていた。
「オレの兄貴は、愛情表現が下手なだけだから。気にしないで、銀。」
和樹は、僕の名前を呼びながら落ち着いた声でそう言う。
銀羽 未来 ……周りの人は銀と呼んでくれる。
銀髪の長髪を上でお団子にくくっているので、よく女子に間違われるのだが、れっきとした男だ。
「聞いてる? 銀、離して。」
「……っ、」
思わずその痣や傷に見入ってしまっていて。
再び和樹に声をかけられハッとした僕は、更にその服を下からまくり、胸の上までその肌を露出させてやった。
「ッ!!!」
慌てたような声を出していたが、もう遅い。
僕は、全身の痣をしっかりと見てしまい……そして声を失った。
和樹とは、まだ身体の関係をもったことはなかった。
それは、互いに知識不足ということもあったし、和樹がそういったことに消極的だったからでもある。
だから、気づけなかったんだ。
…その身体中の痣に。
ハグも、スキンシップも、セックスも、すべて拒んできたのは……
身体中の傷が痛むからだった。
和樹の兄に会ったことはないが、写真を見せてもらったことがある。柔らかい微笑みを浮かべる、ものすごく優しそうな人で…あの人が暴力をふるうなんて想像できなかった。
いや、そういう人ほど実は裏の顔があるパターンも多い。
その典型的なパターンなのだろう。
「かずき……」
「本当に、大丈夫だから……ほおっておいて。」
和樹は僕にまくり上げられた服をパンパンと戻して、それから、冷たい表情のままプイっと顔を逸らした。
周りからはクールで不愛想で、なにを考えているかわからないと言われてる和樹が。
兄から暴力を振るわれ…それを誰にも相談せず、抱え込んでいたなんて……。
「そんなこと言わないで。恋人が傷つけられてる姿見て、黙ってられないよ!」
思わず、そう叫んでいた。
傷つけているのが誰であれ、恋人が苦しむ姿は見たくない。
「僕は、お前を守りたい。守らせてよ、和樹。」
和樹の手を両手で包み、顔をずいっと近づけると…和樹は薄い翡翠色の瞳を少しだけ大きく見開いて。
目を逸らしながら、苦しそうな顔をコクリとひとつ頷かせたのだった。
*
「もう、和樹を傷つけるのをやめてくださいませんか。」
『守らせて』と言った銀羽の取った行動は、極端だった。
その日の放課後、拒むオレを無視した銀羽は、ウチへ押しかけてきて。
いつものようにリビングでソファーに座り、オレの帰りを待っていた兄:春樹へ直談判を持ち掛けたのだ。
友人を家に招くのだって珍しいのに、銀羽は「和樹くんとお付き合いさせていただいてる銀羽未来です。」なんて自己紹介したもんだから、兄の顔がぴくっと引き攣った。
「へーぇ? 和樹、お前彼女居たんだぁ?」
春樹はそう煽りながら、冷たい視線を向けてくる。
銀羽は、小柄だ。
身長も165センチ程で、華奢な体つき、そして銀色の長髪をくるりとまるめたお団子頭は、女の子にしか見えない。
「こーんな可愛い彼女がいるなんて。もっと早く紹介してくれればよかったのに。」
「僕は男です。和樹から話はすべて聞きました。」
春樹はニコニコとした笑みで銀羽を煽り、しかし彼はそれに対しても負けじと煽り返した。
女の子のような外見とは裏腹に、芯が強く、不屈の精神をもつ漢 である。
すると、春樹は「ふふっ」と笑みを零しながらソファーに沈めていた腰を持ち上げて。
銀羽と向き合い……ゆっくりと、その距離を縮めていった。
そして、15センチほどある身長差で、上から銀羽を見下ろして。
彼の顎を、片手でガッと鷲掴む。
「ぜんぶ? ほんとうに?」
クスクスと零れる笑みは止まらない。
銀羽は無言で春樹を睨みつける。
でも春樹は、全く動じずにチラっとオレへ視線を寄越した。
冷たい翡翠色の視線に、なんだか自分がとても悪いことをしているような罪悪感にかられてしまい、思わず後ろへ退いてしまう。
「ねえ、ほんとうに全部話したの?」
春樹はオレにそう問いてきた。
しかし、頷くことはできなかった。
視線を床に逸らし俯くオレに、銀羽が「和樹!」と呼びかける。
「こんなお兄さんを庇わなくていいんだよ、和樹! 僕がこの人から和樹を救ってあげ……ッあああ!!」
突然、ドンッという音と共に、銀羽が悲鳴を上げた。
ハッとして顔をあげると、春樹が銀羽を壁に叩きつけ、その首を片手で圧迫し始めていて。
見る見るうちに春樹の爪が、白い首に食い込んでいく。
「ッは、離、して!」
「君さぁ。大人しくしれてば可愛いんだから、余計な事しない方がいいと思うよ。」
銀羽は、春樹の手を自身から剥がそうと、その手首を掴んだ。
だけど春樹の手は離れるどころか、より一層その首を絞めていく。
「ッあ、がっ……」
「和樹はね、お兄ちゃんっ子なんだ。俺のことが大好きで、逆らえないの。いつも兄弟で愛し合っている。……だから、君は邪魔だよ。」
怖くて、足が震えた。
どうしたらいいのか分からなくて……
いや、春樹を止めて銀羽を救わなきゃ、と分かっていたのに。
動けなかった。
動けないまま、数秒間、銀羽が苦しむのをただ立ち尽くして傍観する。
次第に、銀羽の抵抗が弱弱しくなった。
春樹の腕を掴んでいた細い腕から力が抜けて、ぶらん、と重力に従い垂れて。
「あーあ、気絶しちゃった。」
春樹の手が離され、ドサリ、と銀羽の身体が床に崩れ落ちていく。
同時につまらなそうな声が聞こえて、オレもその場に崩れ落ち、床にへたり込んだ。
「ぎ、ん……銀……!」
「あっははは。そんな顔すんなって。……興奮しちゃうじゃん。」
春樹は楽しそうに笑いながら、今度はオレを見下ろしていた。
本当は今すぐ銀羽の元へ駆け寄って、身体をゆすってあげたいのに。
恐怖に支配された身体は、まったく言う事を聞かない。
「でもさ、この子ほんとに和樹の恋人なの?」
「…え?」
「未来ちゃんがお前の恋人だってゆうなら、それを証明してみせてよ、和樹。」
そう言って、春樹はどこからかローションを取り、オレに差し出した。
「証明しろ」とは、つまり、今ここで銀羽を犯せ、という事らしい。
「できないなら、お前の事ぜんぶ公表しちゃおうか。未来ちゃんだけじゃなくって、世間にさ。そしたらお前、もう社会で生きていけないね。」
ふふっと他人事のように笑う春樹からローションを受け取り……。
意識のない銀羽に近づいて「……ごめん、銀。」と、呟くように謝罪をした。
*
和樹は、過去に万引き歴がある。
1度や2度ではない。今では出入禁止になったコンビニも多くある。
和樹が万引きをしたのは、決まって俺と買い物に出かけた時だった。
両親は共働きで家にいない時間のが多い為、兄弟で夜を過ごすことも多く、夕飯の弁当を買いに行った時に御菓子や飲み物を盗ってきてしまうのだ。
だけど、これら全ての万引きは、俺の指示である。
『店員さんに見つかったら、お兄ちゃんが助けてあげるから。』
両親の愛情をまともに知らない和樹にとって、兄である俺の存在がすべてだったのだろう。
大好きなお兄ちゃんがそういうなら、と和樹はなんでも言う事を聞いた。
でも、俺はそんな和樹が大っ嫌いだ。
兄なのだから、弟の面倒を見て当然だと思ってる両親も。
俺の言う事を素直に聞く馬鹿な弟も。
みんな、みんな、大っ嫌いだ。
中学生になっても、高校生になっても、それは変わらなかった。
和樹の夕飯、面倒、それらをすべて押し付けられた俺は、もちろん、友達と遊びに行く余裕なんてなくて。
だけど、万引きをした和樹は、過去の犯罪を自覚するようになると俺を恐れた。
……好都合なことに、それは和樹を脅す材料になる。
「お前がしたことは、犯罪だよ。母さん達にバラされたくないだろ?」
最初はそう言って和樹の首を絞めた。
それから、段々と愛に託 けていくようになって。
「愛してるよ、和樹。」
俺は、和樹に偽りの愛を囁くようになっていた。
その愛を信じ込む和樹は、俺の愛を大人しく受け入れる。
美しい兄弟愛の出来上がりだった。
そんな弟は、今、意識のない恋人と繋がっていた。
「ごめん、銀、ごめん、ゆるして。」と泣きながら、その孔に自身を突き立て、身体を揺らしていく。
(ああ、いいな。その泣き顔。すっげぇ興奮する。)
もっと、もっと、苦しめばいい。
苦しんで、泣いて、絶望に落ちてしまえばいい。
そう思えば思う程、ニヤリ、と口角が吊り上がる。
この二人が居れば、しばらくは退屈しないだろう。
俺は、大嫌いな弟とその恋人の行為を、しっかりとカメラに収めてやったのだった。
ーENDー
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