7 / 8

第7話

「葵さんに距離を感じる」 「距離も何もお前、葵さんの何な訳?」 ハーモニーの端の方にあるテーブル席で、真と柊が向き合って座っていた。 柊はランチタイムのバイト上がりなのか、エプロンを外し葵に作ってもらった賄いのパスタを持って図々しくも真の席に座っている。 強制的に相席を強いられた真だったが、丁度いいと言わんばかりに共通の知り合いである葵の話を持ち出したのだった。 「いや、まだ八百屋と客の関係だけどさ」 「エッ?!まだって…お前やっぱ葵さん狙いだった訳?!」 「まぁそうなるな」 あっさりと認めた真に、驚いてあんぐりと口を開けている柊に最近の悩みを相談した。 「葵さんは確かにガードは固いけどなぁ……距離も何もお前そんな親しくないだろ」 「いや、俺的には結構打ち解けて来たと思ったんだけどな…」 流石にこの間キスをしたとは言えず、曖昧な表現になる。 キスを除いてもあの日に至るまでに軽口を叩き会えるくらいに仲良くーーー葵の猫かぶりも剥がれて見せてくれる所までいった筈だった。 所があのキスをした翌日から葵の態度は一変し、出会った時のように完璧な猫かぶりを被り直して来たのだ。 最初は真も照れているのかな、なんて呑気な事を考えていたがあまりにも続くその態度に自分との関係がリセットされてしまったような感覚に陥っている。 「いやまてまて、そもそも俺も葵さん狙いでここのバイト始めたんだからな?」 「そうだったのか?」 「お前なあ……」 くるくるとパスタをフォークに巻きつけながら、柊は思い出すように話し始めた。 「葵さんに一目惚れして、バイトなら一緒にいる時間も多いしオトせるかなってここ入ったんだけど……葵さんあんなフワフワしているように見えて隙が無いんだよなあ」 「分かる」 2人で悶々と葵攻略に向けて悩んでいると、近くからくつくつと笑う男の声が聞こえてきた。 「悩んでるようだな」 そう低く甘い声で話掛けてきたのは、伊佐海だった。 柊と話すのに夢中になっていた所為で、この男が近くに座ったことに気がつかなかったらしい。盗み聞きとは趣味が悪い。 「ゲッ!!」 一応客と店員の関係にも関わらず、思わず出た声を取り繕うともせず対峙する柊に真は苦笑いする。 ガタガタと音を鳴らし椅子だけ真たちのテーブルへ付けると、作戦会議をするように180センチ前後の大男3人が身を寄せ合う。 「なんだよ…伊佐海、くんな!」 「柊、お前…年上は敬えって言ってるだろ」 どうやら柊はいつもこの調子らしい。 強面で堅気の雰囲気とは程遠いこの男に臆さず突っかかれるのも、一種の才能だ。 柊との掛け合いを聞いているとそこまで怖い男ではなさそうだ。かと言ってあの忠告まがいの一件で真の心象が悪くなっているのは確かだ。 「先日はご忠告どうも」 「は?伊佐海なんか言ったのか?」 「あぁ……こいつは気に入られてるみたいだったからな」 俺には無かったじゃないか!と喚く柊を、「お前は全く相手にされてなかったからな」とあしらい、真へ向ける視線は面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりの様子だ。 「お前、圭一に避けられてるんだって?」 「……距離感が前に戻ったようで」 素直に答えるのも癪だったが、途中まで聞かれていたのだから仕方ない。 「そりゃ大層気に入られたんだな」 驚いたように眼を見張る伊佐海に解せないと言わんばかりの視線を送る。 近ずいていた距離感がリセットされたというのに、どうして気に入られたという結論になるんだろうか。 「あっ、俺このあと予定あるから」 時計をチラリと見た柊が慌てて賄いを掻き込む。 「車で送っていってやろうか?」 「お前と車で2人っきりなんて願い下げだ」 ニヤリという効果音がお似合いな伊佐海の色っぽい笑みを一蹴し、辛辣に返すとバタバタを店を出ていった。とことん自由な男だ。 それを見送りながら、残念と言わんばかりに肩を竦める動作も色男に箔がつくようで似合っていた。 「……」 気まずい。先までは柊が居たから良かったものの伊佐海と2人っきりは気まずい。 「まぁ、そんなに硬くなるなよ」 「…はぁ、」 そう言われても、という曖昧な返事しか出来ない。 「この歳になってくるとな、色々怖くなってくるんだよ。自分の感情さえコントロールするのが難しい」 「そんなの誰だってそうじゃないですか」 「ああ、だがアイツはそれが人一倍強いのかもしれないな。仮面を被ってそれを演じていれば傷つかずに済む部分もある」 「でもそれじゃあ……」 「あいつは人を自分の内側に入れるのを拒んでいるんだ」 あまりにも寂しい考え方だーーと真は思った。人は1人では生きていけない。でも確かに理解出来る部分はある。傷つく前にいっそ他人を拒絶すれば、守られる部分もある。 「優しくて、傷つきやすい人なんですね」 「ああ……だれか側で一緒に寄り添ってくれる奴がいたら安心なんだが」 そう言って真を見つめてくる瞳は想像以上に優しいもので、驚いてしまう。 「あのーー、伊佐海さんと葵さんの関係って」 声を潜ませて問いかけた質問に本来の意図を察したのか安心させるようにグリグリを真の頭を撫で回してくる。 「安心しろ、寝てはいない。本当にただの腐れ縁の昔馴染みさ」 「……なんか伊佐海さんの事誤解してたみたいです。すみませんでした」 あいつの事頼むな、と言い去っていった伊佐海を見送り真も仕事へ戻る。 お会計の際の葵はやはり営業スマイルで、必要以上の会話はしないつもりなのか笑顔でにっこり黙殺された。

ともだちにシェアしよう!