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二
それからアロガは、家の人間の目をごまかしては、週末ごとにビドンに通い詰めた。
プログラムの流れはすぐに暗記してしまった。あの黒髪の少年の出番に至っては、登場の前から、胸の動悸と手汗を抑えきれなくなる。
繰り返し自身を実験にかけるように、アロガは少年を見詰めた。時には一切彼の方に視線をやらないように試みもした。結果はいつも同じだった。アロガの意識は必ず、あの子に引っ張られていく。
成程、ファンになってしまったことは、認めざるを得ないようだった。
(今度は花束でも持って来るべきか、なんて。……はは)
のぼせ上がっている自分から、虚勢と空笑いで何とか距離を取り、客観的に眺めようとする。しかし、滑稽だ、どう見ても。のぼせるならのぼせたっていい。まっすぐ、ただのファンであるのならば。
後ろめたさを纏った半端な微熱が、余計に不道徳的で、堪らない。
(……堪らないと言えば)
周りに座っている、他の観客たちの中にも。アロガと同様に熱の篭もったまなざしを円形舞台(ピスト)に向けている者がいるような気がして、その妄想も、彼を静かに追い詰めていた。雁首を並べているのは大人の男ばかり。いかにも物見遊山の団体客もいる。けれど。
客席に沈む仄暗い熱情を、アロガはずっと感じていた。それぞれの、贔屓はあるのだろう。が、あの少年に、アロガ以外の誰の目も向かない、なんてことは、有り得ないと思う。……そう、そんなことは、有り得ない。あれだけ魅力的なのだから。
ここは、でたらめ島(ビドン)だ。遠慮などしている方が、莫迦なのかもしれない。
つまらない常識だの倫理観だのに足を取られているうち、他のファンに出し抜かれるようなことがあれば――具体的に誰が何をどうすることかは想像できないが――耐えられる気がしなかった。
何がどういうふうに辛いのか、具体的に表現できないけれども、現象として、辛いに決まっている。
あの子の身体に我が物顔で手を触れさせる者がいたら、頭に血がのぼって、自分が何をしてしまうかわからない。
無為な学校生活の合間に、アロガは時折そんなことを想像してみては、やりきれない気持ちになったものだった。
女相手にはこんなにコントロールの行き届かない、みっともない状態になることはないのに。――いや、だから、それとこれとを比べるのが、おそらく間違っているのでは、と言いたい。
アロガが鬱屈に煮詰まる前に、試すきっかけは向こうから転がり落ちてきた。
毎週欠かさず訪れ、それなりに高額な席のチケットを購入する、世間ずれしない若造というので、アロガはそれなりに目立っていたのかもしれない。
御しやすい獲物だと、思われたのか。
終演後の喧騒の中、人の流れから外れたところで煙草を吸っていると、背の低い道化(オーギュスト)がそっと横に寄り添い、おどけた顔と仕草で灰皿を差し出した。
くすりと笑いながら、灰を落としてやると、純朴な田舎者といった感のある道化はふ、ら、ら、と体を横に揺らし、吃り気味にアロガに囁きかける。
「ご、ご贔屓、買える、ご、存じ? 段取り、……こちら」
「……いや、……」
やはり、この島はそういうところなのだ、という、疑念が確信に変わる瞬間。
買春などしたくはない、という反発心。
――そこに、ささくれのように、試してみたい気持ちが湧き起こる。
自分は同性愛者なのか、そうでないのか。揺らぐ自分自身にこそ、示したい。
(……試す必要なんてない)
そうも思う。アロガに恋人はいた。数えきれないくらい。それなりの容貌と金と地位があれば、女は向こうから寄ってくる。しかし、この島に通い始めてから、学校以外では誰とも会っていない。パーティの招待状と恋文の山が、封も切られないまま、自宅のデスクの上で雪崩を起こしている。
(……いや。試してみれば、良い、どうせ男となんて、そんな気にならない、無理に決まってる……)
と、言い切れるのか。
深みにはまる可能性が少しでもあるなら、無理をせず、煩悩を断ち切り、あの少年の存在など忘れて、今まで通り優等生を続けるべきではないのか。そちらの方が余程安全で……、ああ、でも。
自問自答には、既に飽いていた。
俯き、しばらく砂地を見詰め、――やがてアロガは、溜息混じりに、口を開く。
「こんばんは」
呼び鈴の音がして、ホテルの部屋のドアを開けると、あの黒髪の少年が立っていた。
首元のあいたカットソーの上に、黒い羽飾りのある外套を着て、寒々しく映る恰好だったが、表情に緊張はなく、ゆるりと微笑んでいる。
そう。――微笑んでいた。
少年神のような美しさは、メークを落として、少し幼げで無防備な貌に変わっている。年はアロガのひとつかふたつ、下かもしれない。学校の後輩を思い浮かべれば、親近感は増したが、しかしこんなに膚のきめ細かな後輩なんて有り得ないだろう。屈折する遊色の粒を宿すような瞳。吸い込まれそうだ。
彼の後ろには褐色肌の、骨格のしっかりした二十代くらいの男が立っていた。おそらくサーカスの団員のひとりなのだろう。自分の役割を心得ているためか、アロガと視線を合わせもしない。
とりあえず、アロガはふたりを部屋に招き入れた。
(本当に……来るとは……)
出迎えまではまだ想像の範疇だったけれど、ここから先はどうしたらいいのか。いかにも遊び慣れない体(てい)を晒して、莫迦にされたくはなかった。アロガが黙っていると、少年は肩から外套を滑り落として、後ろにいる男に渡す。男はそれを持って、ウォークインクローゼットに向かった。
「準備しても、いいですか。……あなたも一緒に?」
「いや……俺は……」
「じゃ、シャワールーム借りますね」
「……ああ」
アロガの要望は、道化からちゃんと聞いているようだ。
少年の振る舞いは堂々としており、夜を鬻(ひさ)ぐ者にありがちな媚や卑屈とは縁遠かった。ざらりとしているような、粘度のあるような、不思議に低く響く声がアロガの思考を停止させる。触れたと思った瞬間溶ける、その声をもっと聞きたいと思う間に、いつの間にか、浴室から水音が響き始めていた。
アロガはひとり寝室に行き、ソファを動かした。天蓋つきの広いベッド、そこで行われる行為がよく見えるだろう位置に移動させ、腰を落とす。
ホテルは元は由緒ある人の別荘だったという。洋梨の皮の色とクリーム、少しの金色で調和の取られた、華奢(かしゃ)な作りの部屋の、ベッドの枕は二種類が三つ、その頭上に飾られた抽象画も、三。
落ち着きなく、アロガは立ったり座ったり、特に意味もなく正方形の枕を拾い上げて小脇に抱えてみたりする。それなりに考えて決めたことの筈が、また、迷い始めていた。
しかし間もなくして、黒いローブを着たふたりが寝室にやって来る。
褐色肌の男がベッドを整える間、黒髪の少年は飲みものを作ろうかと申し出た。アロガは備え付けの戸棚を見遣り、ブランデーが良い、と呟く。とろ火で焦がしたワインのような色が、一番、少年の瞳の色に似ているような気がしたから。
ぐい、と喉に流し込む。熱と芳香だけが喉の粘膜を灼いて、味はわからなかった。
「……ああ……」
男の上に跨って、膨張した性器を半ばまで体の中に迎え入れ、黒髪の少年は陶然とした息を吐く。
ふわり、と所在なく泳いだ少年の腕を拾い上げて、褐色肌のパートナーは、まるでワルツに誘う所作のように、官能的で意味深なくちづけを手の甲に贈った。
少年はそれに対し、慈悲深い貴婦人のように、仄かに笑み返す。
(……痛く、ないのか……?)
あんなことを、して。と、アロガは少年の身体を苛んでいるだろう苦痛に思いを馳せながら、ソファの肘置きに背中を預け、行為を斜視している。
男同士の性行為。しかし、アロガのしていた想像ほどには、グロテスクではなかった。
ひどくプライベートな行為の中から、何を見せ、何を秘めると観客の意に沿うのか、観られることに慣れた彼らは知っているようだった。互いの手に、頬に、唇に、唇を触れ合わせる前戯は、役者同士のする挨拶のように湿り気がなく、観客に嫉妬心を抱かせないよう、心配りがされている。それでいて、フェラチオもセックスも、直接的に艶めかしい。
外部からの視線に、慣れ過ぎている。そんな気もした。こんな奇特な申し入れをするのはアロガくらいのものかと思っていたが、存外、多い要望なのかもしれない。観るだけでいい。なんて。――変態ばかりだ。自身を棚上げにして、アロガは思う。
次の瞬間、思った。少年も、アロガのことを変態と、内心蔑んでいるだろうか?
それなら、とアロガにも言い分がある。見られて平気なあんたはどうなんだ。
しかし役割に徹し、演じきっている彼よりも、何度も目をそらしながらそれでも盗み見てしまう自分の方が、より陰湿で罪深い存在のような気がして、居たたまれない。
四柱に囲まれたベッドの中も。
もしかすると少年にとってはただ単に、サーカスの一部であるのかもしれない。
慣らした肉体で着々と、人のやらないことを成し遂げ、見せつける。
観客が蠱惑に灼かれ、帰り路を見失うような、美しい幻夢を、
ひらり、と、軽やかに。
「……っ……ふ……」
拍を刻むのとは違うやり方で揺れる薄い腰。
より深いところまで男を招き入れるために立てた膝の鋭角、
性器の根本まで足の間に呑み込みきった時、脹脛にすうっと浮かぶなだらかな筋。
ジェルをかき混ぜるような音が、縺れるふたつの身体の接点で、溶けていく。
少年の吐息の混ざった部屋の空気を吸っているだけで、頭の芯がぼうっとしてくるようだった。
「じゃあ……これ」
「ありがとう」
少年はアロガから金を受け取る際、訪れた時のようには微笑わなかった。再度シャワーを浴びた彼の顔からは、情欲の滲みはすっかり洗い落とされている。
「……また、頼んでも……?」
問いかけに、少年はまなざしの角度を一度静止させた。液体のように澄んだ瞳に、軽蔑が浮かぶのを恐れるアロガの眼前で、彼はゆるりと首を傾げ、淡く答える。
「もちろん」
内心どう思っているのかはともかく、それを隠し切る辺り、彼はプロフェッショナルだった。
後から考えれば、嬌声や高まり方ひとつ取っても、彼は密かにアロガの様子を伺い、期待から逸脱しないよう抑制していた感がある。
相手に与える印象すら、彼は彼自身を支配下に置いているのだと。
(得体の、知れない……こんな男、見たことがない)
自分の身の周りにいる大人や学校の生徒たちを次々に思い浮かべては、打ち消す、
彼は、どれとも似ていない。
水面下を見せない感じはむしろ、アロガが女性たちに感じてきた部分だった。それぞれに魅力的な、宝石のような個性。あやを纏うことを日常とした生き物、けれど似ているなら彼女たちでいい筈だ。
(また……あれを、観る、つもりなのか、俺は……)
観たいのか、と、
自身の言葉に、アロガが一番、驚いている。
自らの足場をわざと崩して、試すようなこの遊戯を、まだ続ける気なのか。
(……試すと言うなら、結論はひとつ、出た筈なのに)
刺激の受け口はもっぱら視覚による。
充血し、痛んで潤みそうになる目の痺れに反し、抜け殻めいて血の集まらない下半身、
やはり自分は異性が好きなのだと安心して良い筈なのに、どうしてだか、それでは気持ちがおさまらなかった。
(俺は、何なんだ……)
二度目の呼び出しで名前を訊いた。
五度目の呼び出しで食事に誘った。
彼――カースの同伴者は、毎回違う人間だった。
明らかにサーカス関係者ではなさそうな小肥りの男を連れて来たこともあり、しかしアロガはそれが誰なのか追及することができなかった。不快感はそれまでに比べて強く残り、その夜、夢にまで見た。
その次の回で、アロガはカースに、ルームサーヴィスで夕食を共にしないかと持ちかけた。
喜んで、とカースは言った。
シャワーの済んだ同伴者を当然のように先に帰し、居間に準備されたテーブルの対岸につく。彼はマナーも銀器の扱いも完璧だった。服もさりげなく良いものを身に着けている気がする。あの奔放なサーカス広場からふらりと出てきたようにはとても思えなかった。
誰か、色々なことを教える者があった筈だ。アロガはその男――彼が島の外に出たことがないのであれば、それは男に限定される――に嫉妬する。しながら、カースと自分が本土のアーケード街で仲良く買い物する想像をし、それは自分には無理だと思い直す。……いや、無理ではないが……、しかし、もう、不自然だ。
(ただでさえ……同年代の男に買われるなんて……爺ぃより、厭な、筈だ。俺なら、吐き気がする……しかも相手は……高みの見物だなんて……)
毎週の呼び出しに応じてくれるだけ、有り難いと思うべきだった。彼らに支払う礼金とホテル代を合わせると、一度で下層使用人の一月分の給料にもなったが、それでも彼の心中を慮れば、少なすぎる気がしている。
ふたり、粛々と、運ばれてくる料理を片づけた。
会話は、ない。
下世話な身辺調査や心無げな賛美の言葉、つまらない自己開示を間引けば、彼に話しかける言葉はほとんど残っていなかった。興味本位がほとんど自分のすべてなのだと、アロガは思い知らされる。
サーカス芸やセックスを観るのと同じようなやり方で、
彼の心の中までは、覗いてしまいたくなくて、
できることは黙って、葡萄の蔦模様が彫り込まれたナイフフォークを動かすこと、くらいだ。
一雫の救いは、このホテルの出す料理が美味なことだった。特にスープ(ビスク)は、海老の風味とトマトの酸味をフレッシュミルクがまろやかに纏めあげていて、ごりごりに凝り固まっていたアロガの緊張を解きほぐした。メインの牛ほほ肉の赤ワイン煮も、肉がしっとり、とろける柔らかさで、ソースは軽やかでくどくなく、定番料理なのに、驚くほどうまく仕上がっている。
カースを見遣れば、彼は純白のソースに沈んだ舌平目をフィッシュスプーンでほどいては口元に運んでいた。
目が合った瞬間、彼は話しかけられるのを待つように微笑んだが、アロガはそれに見惚れかけたのが恥ずかしく、つい無愛想に視線を落としてしまう。
旨いな、とか。何でもいいから一言、言えば、会話が始まっていたかもしれないのに、
それすら、考え過ぎる所為か、叶わない。後悔が、胸を埋める。
白い磁器の皿と銀器の先端がかすかに立てる、不快にきららかな摩擦音、の二重奏が響く中、
「……アロガ、さん」
名前を呼ばれ、手を止めた。
「あまり、お喋りは、お好きじゃないんですね」
「…………」
カースの言葉に、アロガは徒労感を覚えた。色々気を揉んで、忙しく出方を窺ったところで、相手にはこれっぽっちも伝わっていないのだ。
何気ない会話を。気の置けない食事を。さりげない気遣いを。一緒の時間を過ごして、彼のことを普通に知りたい。ひとつひとつ分解すれば、きっとその程度のことだったのに、
「ぼくは、あなたの愉しみに、ちゃんと貢献できているでしょうか……?」
彼はこれを、支払いの発生する仕事として、義務として、乾いた手つきで切り取るのだ。
(……わかっちゃ、いたけど)
彼にしてみれば、この行為をそう捉えるのは当然なのかもしれないが、アロガの中で、真正、だと思っているものまで刃を入れられたような気がして、突如、不満が膨れ上がる。
気を遣うなんて、莫迦らしい。これは遊戯だ。
アロガは愉しみを得て、彼は金を得る。それだけの。
その前提をわざわざ提示することで、恥をかかされた、ような気分の仕返しに、アロガは感情的になって吐き棄てた。
「……ああ。ちゃんと愉しいから、安心してくれ。ケツを掘られて悦ぶ変態が、自分とおんなじに食事をしているのを見るのは……ぞくぞくするほど、愉しいよ」
「……良かった」
カースは健気に、何かを諦めるように微笑んだ。けれどアロガにしてみれば、それすら作った表情という感が拭えない。
あざとい、男。
アロガは冷ややかに笑った。
「……好きでやってるのか」
「ええ」
「女とするより、いいのか」
「男の人しか知りません」
「金さえ受け取れれば、何だってするんだな」
「そうです」
自尊心の見られない淡々とした肯定に、気力を削り取られていく気がするのは、アロガの方だった。
「……もういい……」
アロガは絞り出すように告げると、銀器を皿の上に置く。あんなに美味だと思ったものが、今となっては不愉快な後味しか残していなかった。給仕を呼んで下げさせるつもりが、投げやりな手の所為で、ナイフがくるりと反転し、白いクロスに汚れをつけて床に転がる。
失態に、アロガの頭の中はかぁっと白くなった。
カースの視線に、きつく奥歯を噛んで顔を上げる。
何も考えられない。――考えたくなかった。
アロガは床を顎で示し、傲慢に命令する。
「……拾えよ」
己の羞恥心を薄める為に、目の前にいる相手を人として扱わない、という惨めな方法しか。
その時のアロガは、取れなかった。
カースは表情を変えないままそんなアロガを見返すと、スプーンを置いた。立ち上がり、膝に置いていたナプキンを椅子に落とす。
視線でナイフの位置を確かめると、彼はそこに歩み寄り、屈もうとした。
「手は使うな。……這い蹲れ」
何でもすると、言ったんだろう? と。
従順な相手に、告げる要望はエスカレートする。
アロガは、カースを怒らせたかったのだ。彼が怒り、顔色を変えて暴言を吐き返してきたら、そして部屋から出て行きでもすれば、きっと心に平安が戻って来るとともに、彼への謝罪も浮かんだだろう。屑のような己の自尊心を省み、以後自らを律する基とできたかもしれない。
もう少しまともな人間。優等生(いいこ)として――少なくとも自己認識の中で――やり直す為には、アロガの秩序を乱す誤ちの恋擬き(オム・ファタール)を、ここで断ち切る必要があった。
アロガ自ら、彼から伸びる魅惑の糸を切ることはできそうになく、とすると、向こうから切ってもらう他はない。会いたくても、会えない、そんな状態に持って行く――。
しかしカースは、そんなアロガの内心などどこ吹く風、たいした抵抗もなさそうな顔で、背中で腕を組み、膝を折り、毛長のカーペットに口づける。
自分で命じた手前、アロガは目をそらせない――しかし、心苦しさで正視はできない。焦点をわざとぼかしたアロガの視界の中で、カースは頭を動かす。柄の部分を前歯で噛んで持ち上げかけ、一度取り落とし、今度は刃の部分を唇の内側に吸い上げるようにして、拾った。
顔を上げたカースの、その、上目遣いの虚無めいた美貌に、
挑発、侮蔑、恍惚、哀れみ、
見たい感情(もの)をアロガは妄想して映し込み、その幻視のあまりの引力に震え、
また一段焦がれが深まってしまったのを感じて、絶望しそうになる。
まだ怒りが消えていないように装いながら、
もう止めてくれと泣きを入れてしまいそうになりながら、
間抜けた易しさで、彼の顔を、サーカスでの舞を、ベッドでの痴態を、ぐるぐると反芻してしまって、焦る。
(どうか……しているんだ、本当に……)
ナイフを咥えたまま、カースが膝でいざり寄る。
アロガは半分自棄になりながら、彼に向かって右手を差し出した。
やがて冷たい銀器の感触とともに、とろりと湿った吐息が滴り落ちて、
何もかもがどうでも良く、覆るのを知る。
どうしてだか、惹か(イカ)れてゆくのを、止められない。
多分、おそらく、
近い概念を探すなら、
ともだちになりたかったのだ。
サンサシオン。
恍惚に――さあ、喝采を。
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