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第7話
それから数日経ってのバイト終了後。
先日に続いて灯唯はまた香名の部屋にいた。
食事はバイト終わりに買ったもので軽く済ませたのでお茶だけもらって飲む。
会話の流れで先日の屋上でのやりとりを話したところ彼女はさらりと言ってのけた。
「なんだぁ、環慈君も大概トモ君のこと好きじゃない」
あまりにもあっけらかんと言うもんだから、灯唯は目を見開いた。
「やめてよ、期待しちゃうから」
彼の“好き”が友情からくるものだと分かっていても、それは灯唯にとっては複雑な想いにしか繋がらない。
「ただアイツがあんな顔するの珍しかったから…ちょっと気になっただけだよ」
「愛だねぇ」
香名はまるで自分の事のように嬉しそうな顔をしている。
「まぁそれからは普段通りってゆーか、相変わらずおバカなんだけどさ」
「だったらまた変化があった時にそれとなく聞いてみれば?実は環慈君もトモ君のことが好きだったりして」
「絶対無いから」
笑うしかなくってつい手が伸びた煙草に火を付けた。
独特の、少しだけ甘さを含んだ匂いがふわりと漂う。
「それがいつも吸ってるヤツ?」
「うん」
「フーン、なんか少し甘い匂いだね。こっちのがトモ君っぽいわ」
にっこり笑った顔に、前ここで吸った煙草の匂いは灯唯には似合わないと言われたことを思い出した。
あの時は最終的に環慈を引き合いに出したけど、実のところ香名を悩ます上司の煙草なんか全部吸ってやれという幼い反発心でやったのが本音だったりする。
もしかしたら彼女はそれに気付いてたのかもしれない。
「そーいやさ、俺普通に煙草吸っちゃってるけど、匂い大丈夫?…その、例の上司さんがココに来た時とか」
「大丈夫大丈夫。来る時は前もって連絡してくるし」
意外と気遣い屋さんだね、と笑う声が少し悲しく聞こえる。
一歩も踏み込めない自分より現在進行形の彼女の方が辛いのは当たり前なんだとしみじみ思うのだ。
「香名さぁん…」
煙草を揉み消して細い身体に擦り寄る。
「甘えてもイイ?」
「もう甘えてんじゃん」
髪を撫でる手が優しい。
それは本当に猫を撫でるような、あやすような動きで。
うっかり寝てしまわないように目は閉じないままで静かな時間を過ごす。
……結局、俺たちの関係が一番曖昧でややこしいものなんだよなと、温かい腕に包まれながら灯唯はぼんやり考えた。
それからしばらくの間灯唯は学校では環慈とふざけ合い、バイト先で香名と落合って互いの近況を報告をするという生活を繰り返していた。
いっそこんな感じで一生が過ぎればいいのにと思っていたある日、環慈がおかしな事を言い出した。
「トモ、お前最近雰囲気出てきたな」
「え」
「いや悔しいけど元々イケメン枠ではあるやん?ただ最近それだけじゃねぇっつーか…女子ん中でも色々噂になっとるし」
「噂って…」
「フェロモンが濃くなったのは年上の女と付き合っとるとかどーとか」
フェロモンは別として、年上の女云々があながち外れてないのが怖いところだが…。
つい口から渇いた笑いが零れて、その瞬間、環慈の眉間に皺が寄ったのが目に入る。
「何、マジなの?」
明らかに不機嫌な声に少し驚く。
灯唯は何故か一気に後ろめたい気分になった。
「いや、当たらすとも遠からずってゆーか…確かに最近年上のおねーさんと友達にはなったんだけど、付き合ってるとかじゃ全然ないし。噂ってスゲーなって思っただけ」
「……ふーん…」
「その人好きな人いるしさ」
意味のない言い訳まで付け足してしまう。
まるで妻に浮気を疑われている旦那の気分だ。
「万が一彼女できたら、ちゃんと報告するって言っただろ?何怒ってんの…」
「怒ってない」
「でも不機嫌じゃねーか。…まるでお前が俺の彼女みたい…」
言ってしまって一気に恥ずかしくなったが、とりあえず笑って誤魔化す。
すると環慈は俺以上にハッとした顔になって呟いた。
「ホントやな…」
そして真剣な顔をしたままこちらを向くと、さらに真剣な声で言う。
「お前が結婚なんてしたら多分俺は鬼のように嫁をいびる小姑になってしまうかもしれん!」
何をバカなことを…と思ったがどうやら本気で言ってるらしい。
どうしようかと眼が訴えていた。
「お前はアレだな、可愛い脳ミソしてんな」
小さく息を吐きつつぽんぽん頭を撫でると、環慈はほんの少し目を見開く。
「新しい褒め言葉だなソレ!」
「…まぁ好きなだけいびったってよ。お前なら俺が許す」
駄目な旦那だなと呆れつつも、環慈が満足げな顔をしたのを灯唯は見逃さなかった。
……どうも最近の環慈は複雑な表情が多くなった気がする。
例の前カノからは女の影も無いし。
環慈も灯唯と同じように何かしらの変化があったのかもしれなかった。
きっと伝えたいことがあればその内きちんと報告してくれるだろう。
環慈の全てを渇望しながらも、灯唯には何かを壊してまで現状を変えることはできなかった。
それだけ惚れてるということだ。
想いは溜め息に溶かして、一気に吐き出した。
「なぁトモ、今日ちょっと付き合えん?裾直してもらったパンツ取りに行きたいんよー」
HRが終わるや否や環慈は振り返って切り出す。
「あぁ、いいよ」
彼の誘いはいつも唐突だ。
しかしバイトや用事がある時には無理強いしてこないので、付き合える時はなるべく相手をしてやる。
「やった。ついでに何か食ってこーぜ」
「ゴチになりますー」
「奢るなんて言ってねぇし!」
頭に軽く手刀を落とされた上、早く行くぞと催促された。
学校帰りに歩いて行くには少し距離のあるショッピングモールは時間があればいつも入り浸っている。
田舎にあるからか無駄な広さがあるそこは何となく暇を潰すにはもってこいの場所だ。
今回も環慈のパンツを受け取りに行ってからしばらくフラフラと歩き回った。
「そろそろ何か食わん?腹減った」
「あー、そぉだな~」
手軽なファーストフード店を目指して歩き出すと、灯唯の背中をチョンと続く指が。
「ん?」
つい眉を寄せて振り向くと見知った顔で。
「香名さんっ」
「何よぉ、怖い顔して」
驚いたせいでつい大きな声が出てしまった。
香名は少しむくれて灯唯をたしなめる。
「何やってんの?こんな所で」
「買物に決まってんじゃない。今日休みなの。てゆか制服じゃん」
「学校帰りだもん」
「それより…彼は、例の?」
そこで初めて灯唯は環慈と香名が初対面だということに気が付いた。
香名にはいつも話しているので、とっくに知り合っている気分になっていた。
「あ、あぁ…」
「どーも!何だよトモ、この人が友達っていうおねーさん?めっちゃ美人やんっ」
「やだ、ありがと」
今まで黙ってたのが不思議なほど明るい声で褒めた環慈の言葉に香名は素直に喜んでいる。
しばらく流れに任せて当り障りの無い会話をし、二人の顔合わせはあっけなく終わった。
「あんまり遅くまで遊んでちゃ駄目だよ君たち」
「はーい」
「じゃあ、またコンビニでね」
「うん」
「環慈くんもまたね」
「さいならー」
灯唯の落ち着かない気持ちを察してか香名はアッサリ手を振って去っていった。
「……なんだよ、めっちゃいい女やんか」
彼女をしばらく見送ってから、まるで子供のように唇を突き出して環慈は言う。
なんだかその表情に灯唯はまた誤魔化すような言葉で自分を取り繕った。
「だろ?まぁアレだ、いとこのおねーさんみたいな感じだな、あの人は」
「俺だったら即付き合ってって言っちゃうね」
「ははは、でも言ったろ?彼氏いるって」
ふーん、と納得してないような返事を聞き流す。
二人はどちらからともなく、当初の目的だったファーストフード店を目指して歩き出した。
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