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第12話

「トモ起きろ!もう昼過ぎてんぞっ」 「…んぁ…?」 「いつまで寝てんだよ!」 「ぇ……かん、じ…?」 「寝ぼけてんじゃねーっての。起きろって」 「あ、あぁ…」 とりあえず引っ張られるままに身体を起こし、勝手に灯唯の服を出し始めた環慈をボンヤリ見やる。 「早く顔洗ってこいよ」 「…うん…」 言われるがままに洗面台に向かい顔や髪を整える。 ふと通りがけにリビングを見ると、やけに量の多い食事が用意されていた。 一緒に置いてあったメモには『お母さんは仕事に行くので、カンちゃんと一緒に食べなさい』と書いてある。 (アイツいつからウチにいたんだ…?) 頭を捻りつつも、サッパリして徐々に空腹を自覚してきた灯唯は階段下から環慈を呼んだ。 少し遅めの昼食だ。 「相変わらずトモのかーちゃん、メシ美味いなぁ」 もぐもぐと遠慮無く頬張る環慈を真っ直ぐ見れない灯唯。 「…まぁな」 「何だよ、まだ寝ぼけてんのかぁ?」 昨日のやりとりが無かったかのようにいつもと変わらぬ様子である。 灯唯の気持ちを知るわけではないので、当たり前といえば当たり前の反応ではあるのだが。 しかしこのまま無言でいることもできず、とりあえず当たり障りなく会話を振る。 「今日はいきなりどうしたんだよ?どっか行きたいんか?」 「いや、話あってさ」 「ふーん…」 程なくして皿が綺麗になると、環慈はシッシッと灯唯を追いやった。 「俺が洗っておくから着替えてこいよ」 「いいのか?お前意外と甲斐甲斐しいな…」 「あったりめーだろ」 楽しそうに皿を洗い始めた姿に、つい灯唯の口許が緩む。 言われた通りまず着替えを優先することにした。 しかし話とは何だろうか。 「まさか男と付き合ってみる、とか言うんじゃないよな…」 自分の言葉に灯唯は自身の瞼が重たくなった気がした。 いやいやと頭を振っていつの間にやら用意されていた環慈コーディネートの服を着る。 そこで何気なくスマホを手に取ると、ホーム画面に通知があるのに気付く。 開いてみると香名からの着信が4件も入っていた。 途端に嫌な予感がした。 慌ててリダイヤルするとすぐに応答がある。 「もしもし香名さんっ、どうしたの?」 『トモ君、良かった気付いてもらえて…っ』 香名の声はすでに震えて涙を含んでいるようだ。 「何かあった?」 『彼が来てるの…!居留守使ってるんだけど、扉の前から離れなくて…』 「分かった、すぐに行く。鍵は絶対に開けちゃ駄目だよ?」 『うん…』 電話を切るや否や、鍵だけ引っ掴んで部屋を出る。 丁度リビングから出てきた環慈が、灯唯の慌てた様子に驚き目を見張った。 「どうした?」 「香名さんとこにアイツが来たらしいっ」 「マジかよ…っ」 玄関前に置いてあった自転車に飛び乗って、二人は全速力で香名の所に向かう。 今までに無いスピードで突っ走り、いつもの半分ほどの時間でマンションに到着した。 入口前に自転車を乗り捨て階段を駆け上がる。 二人にエレベーターを待っている余裕はなかった。 電話の通り、香名の部屋の前には30代半ば程の男が扉にもたれて立っている。 息を整えて睨んでいる灯唯達に気が付いて、男は眉を寄せた。 「…人ん家の前で、何してるんですか?」 灯唯は自分でも驚くくらい低い声が出た。 「君は…」 一瞬男は目を見開いたがすぐに落ち着いた声でを返してくる。 「知り合いが留守のようなので帰りを待っているだけだが?」 「そこからどけよ」 「何…?」 微動だにしないその男に二人の苛付きが募るばかりだ。 しかしそれを顔に出さないようにして、灯唯は携帯を取り出し香名に電話する。 『…もしもし?』 「香名?今お前ん家の前に来たよ。まだ帰るまで時間かかる?」 わざと呼び捨てにすると、男の顔が険しくなったのが横目に見えた。 『まだ居るよね…?』 「うん、しばらく待ってようか?あ、変なオッサンが家の前にいるんだけどさ、警察呼んだ方がいいよね?」 香名の質問に答えつつ、家の中にいることを悟られないよう脅しをかける。 「!?」 『えっ?』 「だって香名が帰ってくるの待ってるとか言ってるんだよ?危なくね?」 「ちょっと君!私は香名と付き合ってるんだぞ!警察だなんてそんな…っ」 「……香名と付き合ってるのは俺だけど?」 男の口から『付き合ってる』という言葉が零れた瞬間、灯唯だけでなく環慈も憤怒した。 妻子ある男が言っていい言葉ではない。 しかし思わず返した灯唯の言葉に男もカッと怒りを覚えたようだ。 「やっぱりお前あの時の…!」 いつだか灯唯を香名の新しい恋人だと勘違いしたことを思い出し確信に変えたらしい。 更に顔付きが険しくなる。 『トモ君、…彼が何かするようだったら…本当に警察呼んでいいから…』 繋がったままの電話から男の苛立った声が聞こえたのか、震えた声で香名は言った。 「分かった。じゃあ、また後で…」 きっと中で様子を伺っているであろう彼女があまり嫌な思いをしない内に事を済ませたい。 「…アンタだよな、香名殴ったの」 「…ッ!」 「別れたいって言われてキレたって?でもさ、アンタはもっと酷いことしてんじゃん。香名にも…奥さんや子供にも」 ハッと息を飲むように男が固まる。 彼女が誰かに話すとは思っていなかったんだろうか。 「アンタ最低だよ。自分のことばっかりで、人のことは平気で傷付けて」 「…暴力なんて振るうつもりはなかったんだ……ただ、つい…」 「つい…?」 後ろで黙っていた環慈が低い声を出した。 「ついで女殴るのかよ?アンタ好きな女も大事にできないのかよ?ふざけんな!!」 「……」 拳が白くなるくらい握り締めて、環慈は男を睨み付けていた。 その気迫に男はうなだれてか細く言葉を漏らす。 「私は…私は…、香名が好きなんだ…。別れたくないんだよ…」 そんな勝手は無いと灯唯は首を振る。 「香名がアンタみたいな最低男に会いたいと思うか?好きな女なら、ちゃんとケジメつけてやれよ」 「……」 「…帰れ」 「……」 「帰れよッ!!」 灯唯の怒声に男の身体が跳ねた。 表情に濃い影を落として、男はゆっくり扉から離れる。 「……二度と来るな…!」 力無い足取りでゆっくりエレベーターに消えていく背中。 男が完全にマンションを去ったのを確認して、灯唯はインターホンを鳴らした。 『…はい』 「香名さん、俺。アイツ帰ったよ」 『…今開けるね』 すぐにドアが開かれる。 中には疲れた顔をした香名が立っていた。 「香名さん、もう大丈夫だよ」 「うん…ありがと」 彼女の頰に涙が伝い、ぐしゃりと歪んだ。 灯唯の服を掴んで肩を震わす。 「良かった、何もなくて…」 「うん」 柔らかな髪を撫でると香名の身体からはようやく力が抜けた。

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