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2.森を出る

 木を伝い川を越える。湧いてくる無限のエネルギーを貪り喰らうように足を止めずに。  空が白んできた。月が薄れ、変化できなくなる。けれどまだ止まるわけにはいかない。  だって見たことのある木がある。知ってる匂いがする。  狩り(ルウ)の仕事を教わっているとき、野営しながら一週間ほどかけて郷の治める森を走り回ったことがあって、楽しかった。まだ、そのとき覚えた匂いがするんだ。  ルウなら僅かでも痕跡があれば追ってくるから、森で食物を求めることも川で水を飲むこともしなかった。  優れたルウなら満月じゃなくても三日三晩走り続けることだってできるって聞いた。だから頑張って走り続けてる。まだダメだ、ここじゃ捕まる。連れ戻されてオメガだと言われる。あのアルファと番えと、それがつとめだと────  足を止めずに目に入った汗をグイッと拭う。 「ふざけるな」  番以外と子作りするなんて、絶対にダメだ。  俺たちの世代は自分を産んだ雌ではなく、子作りできないまま老いた者に育てられてる。けれど本当は、二才まで子狼の姿で母親と暮らすものだって聞いた。  子狼(おれたち)はみんな見ていた。  唯一の番じゃない相手と子作りしたら、歪んで醜くなる。  亡くした番を恋しがりながら他の雄と子作りした雌たちは、みんな歪んで心まで醜くなり、老化が早い。誰だってあんな風になりたくない。だから俺たちは唯一だけを求める。  俺と同じ年は雄と雌が半々だけど、少し上の連中は、十匹のうち八匹くらい雄が産まれてる。だから郷の中で番が見つからない奴が多くて、番を捜す旅に出る奴は後を絶たない。俺もあと少しで十八(せいじん)だから郷を出たいと頼むつもりだった。  だって、郷には俺の唯一がいない。  逆にひどく怖い奴がいる。  序列二番目、アルファの次の位置にいるベータ。アルファとオメガの子。俺と同じオメガから産まれた同腹の兄。あいつは怖い。  子狼の頃、いきなりあいつに抱き上げられて、全身の毛が逆立ち、心臓がひどくドキドキしてものすごく汗が出て、俺は泣きわめいた。  本能があいつを敵だと認めたんだ。  それからなるべく近づかないようにしてた。  匂いがしなくてもゾクッとして振り返ると、遠くからこっちを見ていて、ひどく怖い顔してたからすごくイヤな感じで。  あいつも俺が嫌いなんだ。同じ腹から生まれた俺が目障りなんだ。  七年前の冬。  あいつは成人して、ベータに選ばれた。  アルファの次に強い雄の一匹になった。  顔とかはほとんど見てないからよく分からないけど、同世代の誰よりデカくて逞しい。俺は前と少し変わった気配と匂いを覚えて、やっぱり避けていた。  でも今日がチャンスだと思ったのは、いま郷にいるベータがあいつだけだからだ。  アルファがいたなら、成人前が郷を出ることなど絶対に許さない。けど今日はもう一匹のベータを連れて他の群れとの会合に出かけてる。あいつは俺を嫌っているから絶対に追ってこない。だから逃げられると思った。  アルファにバカなことを言われてから仕事に出るなんてできなくて、俺は成人前が住む集会所の自分の寝床に潜り込んでたから、逃げたことに気付くまでしばらくかかるはず。アルファが戻る前に群れのテリトリーから抜ければ、さらに一日走れば、きっと逃げ切れる。  そう信じて足を止めずに三日進み続け、ようやく森を出た。遠回りしたから時間かかったけど、街道に出てからも、やっぱりひたすら進んだ。  周りは草原が続くだけでひと里らしきものは見えない。  街道といっても馬車でも通れるように、平らに均された道は森の中より歩きやすかった。人通りも少なくて、ひと形のまま急いでも支障なかった。追う者の気配も感じなかった。  郷を出たことは無いけれど、語り部(シグマ)に周囲のことは教わっていた。ここら辺はひと族が少ないんだ。  俺は近くにあるひと里の中で一番遠い所を選んで出てきた。ひと族が郷からこのあたりまで来るなら、一旦森を出て迂回しなければならない。そこから他のひと里には馬車で三日、ひと族なら一週間くらいかかる。  もちろん人狼ならもっと早い。けど、いくら満月でも三日間、道なき道を走り続けるなんて誰も想像しないだろう。だからわざと痕跡を残し、別のひと里へ向かっているように見せておいて、木に登って匂いを消しながらこっちへ向かった。  けれど疲労がどっときて、足を交互に前へ出すのもやっとになってきた。いくら人狼でも飲まず食わず眠らずの三日はきつい。追われてないことにホッとしたというのもある。  とにかく、ひどく喉が渇いて腹が減った。少しの間足を止めるくらい、大丈夫だろう。  道から少し離れ、道沿いに流れる小川に屈み込んで水を飲む。  ひどく旨い。ごくごく飲んでるうちに、ものすごく眠くなった。起き上がって歩くなんて無理。 「……もう、大丈夫だよな。少しくらい」

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