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5.町
体調が悪いと言って小屋に籠もり、眠ったフリをしながらジリジリと夜を待った。神経が尖り、とても眠ることなどできない。
今日は仕上げに村長の家の草刈りをしたし、村長の畑も耕した。もう恩は返せただろう。“あいつ ”が来たなら出て行くだけだ。月は痩せてきたけれど、まだ走れる。
あの後も何度か“あいつ ”の気配を感じた。ゾクッと身が震え、すぐに逃げ出したくなったけど、すぐに気配は消えた。
“あいつ ”がすぐそばにいて、機会を伺っている。俺を連れ戻そうと見張っている。
ここ数年追いはぎが増えたと、ひと族が言っているのを良く聞いた。
俺も追いはぎに身ぐるみ剥がされたと思われてるから、みんなそういう話をしてきたんだろう。
「前ここら辺に蔓延ってた盗賊がいつの間にかいなくなって、ようやくホッとしたら追いはぎが出るようになってなあ。あんたも災難だったなあ」
歪んだ雄たちが郷から追い出され、ひと族と馴染めずに追いはぎに落ちぶれているというのは、郷の皆が知っていることだ。
「連中は乱暴だ。女は犯すし、馬車なんて馬ごと奪っていくが、殺されたもんはいねえからなあ、盗賊に比べりゃあ、まあマシなんだろうがなあ」
馬鹿なことを。人狼が殺すのは食うためだけだ。喰らいもしないものを殺しはしない。まして、いかにもまずそうなひと族を殺すわけがない。
ともかく、そんな雄たちも正体を晒すようなこと、人狼の郷に繋がるようなことはしていないのだ。
郷の語り部 は、子狼たちへ語り聞かせる。
俺たちはひと族とは相容れないのだと。ひと族は人狼を受け容れない。郷が見つかったなら、必ず郷の平和は破られる。
だからみな身の奥に染みている。
郷を、同胞を守るのだという意識は、どんなに落ちぶれたとしても消えない。歪んだ雄 も郷を危険に晒すような真似はしていないということだ。
夜半。
村でもらった農夫の服とウサギのベストを着てブーツを履き、俺の服を布に巻いて背中にくくりつけ、密かに小屋を出た。
「ルーカスの持ち物ってこれだけだもの。なにか思い出すと良いね」
服はリリが洗ってのしを掛けてあったけど、目立つ格好らしいから身につけるのはやめておく。月が細ってきて変化はできないから、農夫の服で支障ない。
もしかしたら二度と着ることは無いかも知れないけれど、持って行く。これを捨て置く気にはなれない。
村は寝静まっていた。ひと族は夜になると色々鈍くなる。
けれど俺たちは、月が天空にある間こそ感覚が研ぎ澄まされ、身体も軽くなる。それに、これ以上月が細ったら身体が重くなり、長く走ることは無理になる。
“あいつ ”も同じだと分かっていたけれど、動くなら少しでも早いほうが良いと判断した。
俺は狩り だ。
“あいつ ”より身が軽い。“あいつ ”より長く走れる。“あいつ ”より気配を消すのに長けている。
俺は意識を集中し、気配を消して夜陰を走る。
月が細って衰える前に逃げるんだ。ひと族の多いところへ。紛れて分からなくなるほどひと族がたむろするところへ。そうなれば“あいつ ”に俺は探せない。
きっと逃げ切れる。逃げ切ってやる。
少しでも早くひと族に紛れたい。なので馬車で三日という町へ向かうことにした。俺は昼歩いて夜走り、二日で着いた。
朝になるのを待って町に入ったけれど、そこはすごいところだった。
まず、いろんな匂いが溢れていてクラッとした。息を詰めるようにしながら歩いたけど、それでも匂う。
というかバカみたいにたくさんひと族がいて、どんどん臭くなっていく。なんで糞尿の匂いがこんなにするんだ。ひと族は自分で糞の始末をしないのか。
良くこんなところで暮らせるなとイライラしながら歩く。匂いに耐えきれなくなった頃、大きな川に行き着いた。
流れる川からは水の匂い。魚の匂いもする。ここは少し楽だ。
鼻をケアしながら川縁に立ってたら、舟が近づいてきた。郷にも川を渡る舟はあるけれど、二人しか乗れない小さなものだ。それと比べるとずいぶん立派な舟だと思った。
何人かのひと族が川岸にある板に舟を着け、荷を上げ始めて、ぷんと魚の匂いがした。この舟は魚を捕る舟らしい。
魚の匂いが鼻を癒す。魚はあまり食べないけど、匂いはさっきまでよりずっと良い。荷揚げしてるひと族からも魚の匂いがしていて、なんだかホッとした。
痕跡を残さないよう、なにも食わずに走ってここまで来た。村の雌たちがおいしいお店がたくさんあると言っていたから、町に入ればなにか食うものを手に入れられると思っていた。けれど匂いにやられた。腹は減っていたけれど、食う気分になれない。
「どうしよう」
呟いて、頭をくしゃくしゃ乱す。
こんな臭いところでこれからやっていけるだろうか。けれどここなら“あいつ ”に見つかることはないだろう。いや、優れた“狩り ”が来たって大丈夫だ。町じゅうがこんな匂いじゃ、俺を見つけるなんてできるわけがない。
隠れるならここが良い。
「……そうだ。思い出せ」
気配を消す訓練をした時、感覚を抑えるやり方は学んだ。ひと族や他の郷から攻撃を受けるようなとき、狩りに出た先で察知したなら、感覚を殺して存在を薄め、郷へ危険を知らせる。それも“狩り ”の大切な役目だと教えられた。
それを思い出してみる。
耳を閉ざす。鼻を閉ざす。気配だけは感じ取るように。
(……なんとかなるかな……)
夜になって自分で魚を捕って食べ、そっと川で水浴びをして、臭さを紛らわせた。村で貰った服も臭くなっているような気がして洗った。
次の日も、そのまた次の日も川縁にいた。少しずつ身体を慣らそうと町に入り、また川縁に戻る。
月が痩せていき鼻が鈍くなってくると、だいぶ楽になったので、街を歩く時間を増やした。あちこちで雌たちが発情していて、飲み物や食い物をくれる。ときどき雄も発情していたのが不思議だったけどメシは貰った。
俺は学んだ。発情に付き合うつもりは無いけれど、利用はできる。発情しているひと族は、頼みを聞いてくれるのだ。
これで生きていけるかも知れないけれど、ひと族の町で暮らすにはカネが必要だということが分かった。寝るところもカネがないとダメだし、食べるのも飲むのもいちいちカネがかかる。発情している奴は言うことを聞くけど、カネはなかなかくれなかった。
なら奪うのが手っ取り早い、けれど目立つのはマズイ。
ただでさえ、俺はひと族の中にいると目立ってしまうらしいから、これ以上目立つような真似はしたくない。
ある雌にカネをくれと言ったら、怒った顔で言った。
「ひとにそんなこと言ってないで働きなさいよ」
なるほど、働くとカネを貰えるのかと分かった。ひと族がみんなしていることなら目立たずにカネを手に入れられる。
できそうな仕事があったら「働きたい」と言ってみたけれど、仕事をするには誰かの紹介が必要だと断られ続けた。
月が満ちてくると、やっぱり町中には居られなくなる。
俺はまた川縁に戻った。魚を捕るひと族は毎日来るので、ぼんやりと見てた。
「兄ちゃんしょっちゅうここに居るけど、仕事は」
「探してるけど」
「見つからないのか」
「ほんじゃあ、少し手伝ってくれ」
魚を捕る仕事は、あまり臭くなくて助かった。
「兄ちゃん細っこいのに力あるなあ。少ないけど、これ持ってけ」
魚を少しと、カネも少しだけ貰った。
「どこに住んでるんだ?」
「家は無いんだ」
「ああ? 男前がなに言ってんだよ」
「おめえさんなら、女がほっとかねえだろ」
メシを食わせてもらうことはあると言ったら、ゲラゲラ笑われた。
「メシだけじゃねえだろーが!」
「他のモンもたんまり食ってんだろ!」
どういうことか聞いて、雌と子作りすることを『食う』と言うのだと知ったけれど、そんなことはしてないと言っても信じて貰えなかった。
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