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6.働く
時々漁師の手伝いをして、少しだけカネをもらい、川縁で寝起きした。
月が痩せてきたら町へ入って、仕事は無いか探しながら発情してる奴にメシを食わせて貰う生活に戻る。
新月。
感覚が鈍くなり、町中でも楽に過ごせるようになる。
漁師たちが、家がある方が仕事が見つかると言っていたから、少したまったカネで宿に泊まってみた。けど、川縁の方が安心して寝られると分かっただけだった。すぐ隣の部屋にひと族の気配がするし、やっぱり臭い。
翌朝、こんなんで、暮らしていけるのか不安になりつつ宿を出た。
とりあえず、カネの使い道が無くなったので、肉の匂いがする店に入る。
そこにいた四十過ぎくらいの雌が、俺を見てちょっと発情したので近寄ると、メシを食わせてくれた。
その雌の周りには何人か雄がいて発情しているのもいたけど、雌は発情してなかった。俺に対しても、無くなっていた。
その代わり、ひどく甘いようなヘンな匂いがした。
けど新月だったからなんとか耐えられたし、久しぶりにたっぷり肉を食って、身体に力が戻るような気がした。
ニッコリ礼を言うと、雌もニコニコした。
「あなた、惜しいわね。着るものに気を遣えばもっと良くなるのに」
「カネがないんだ」
「あら、じゃあ買ってあげる。いらっしゃいな」
いうままに雌の所有らしい馬車に乗り、町の奥にある、高い塔のような建物に近づいていく。
俺は驚いた。その辺りは臭くなかったんだ。
その雌は俺に服を買ってくれたけど、それどころじゃあない。この辺なら感覚を殺すのにそこまで頑張らなくて済む。満月になる前にここにねぐらが欲しい。
肉の店でも服の店でも、この雌は偉そうで、馬車を操る雄もこの雌に従っているようだから力を持っていると思い、「このあたりで働けないかな」と言ってみた。
「あら、それならうちに来なさいよ」
「あんたと子作りする気は無いよ。ねぐらが欲しいんだ」
雌はとても楽しそうに笑って言った。
「わたしも今さら子供なんて欲しくないわ。あなた面白いわね。良い虫除けになりそう」
俺はその雌に雇われることになった。
みながレディ・アグネッサと呼んでいたのでそう呼ぶと、「アグネッサでいいわ」と言われて名前を聞かれた。
名は無い、ルーカスと呼ばれていたと教えて、物忘れの病だと言ったら、アグネッサはニンマリと笑った。
「あら、なにも覚えてないの。だったらずっとあなたを帰さなくても良いって事よね」
「……思い出さなければ」
あのアルファさえいなければ、郷に戻りたい。
あいつ はいるだろうけれど、俺は狩り の仕事をちゃんとやれる。オメガになるのが嫌なだけだ。だからいつか郷に戻りたいと思っている。あのアルファが死んで、次のアルファが立ち、オメガが決まれば郷に戻れる。
「……思ったより賢い子ね。いいわ、思い出したら言いなさい」
アグネッサは歌姫という仕事をしている三十五才だった。他のひと族にも年を聞いてみて、ひと族は育つのが遅いのに老けるのは早いようだと分かった。
とにかく、ここはあまり臭くない。
時々雌が花の香りを濃くしたようなヘンな匂いをさせていたけれど、耐えられる範囲と思って我慢した。糞尿の臭いよりはずっとマシだ。
上等な服や靴を与えられ、屋敷の部屋のひとつを使うよう言われた。食事には肉も出るし、身ぎれいにしろと風呂も使える。郷にいた頃より快適だ。その上カネもくれる。といってもカネが欲しかったのは住まいを得るためで、ここに住めて食うに困らなくなったので使い道は無い。
屋敷で働く雌たちが良く発情していたけれど気にしなかった。
ようやく分かった。ひと族は簡単に発情するんだ。不思議なことに、発情したから子作りしたいというわけじゃ無いようだったから、無視しても失礼じゃない。
屋敷で振る舞いや言葉遣いを教えられ、髪型や身だしなみを整えるやり方も教わった。覚えが良いと言われたけれど当たり前だ。俺は語り部 の子。郷では隠していたけど本当は賢いんだ。
不思議な訓練もした。
アグネッサのすぐ後ろに従うというやつだ。
「練習よ。つかず離れずの距離感を保って」
ただついて歩いて、立ち止まれば後ろか横に立つ。
「こんなのでいいのですか」
「いいのよ、虫除けなんだから。後はそうねえ、危なそうなのやシツコイのを適当に散らして。ああでも怪我させちゃダメよ」
よく分からなかったけど、アグネッサが嫌だと思うのを近寄らせなければ良いのだと理解した。
「ルーカス、出番よ」
何日か経って言われた。
「パーティーがあるから、あなたを連れて行くわね」
訓練の通りにした。
アグネッサは小さいから、俺の胸くらいに頭がある。他のひと族も小さいのが多かった。人狼なら雌でももっと大きい。
けれど、俺は不思議になった。ただ立っているだけ。ついて歩くだけ。
「本当にこれだけで良いのですか」
「いいのよ」
アグネッサは満足そうだった。
そしてそういう場では、結構な数の雄が発情してアグネッサに近づこうとした。
子供なんて欲しくないらしいので、発情している雄が近寄ってきたときは、身体を間に入れたり、飲み物を渡したり、そっと耳打ちして他へ誘導したりして邪魔した。
相手が発情して無くても、アグネッサから嫌がってる匂いがしたら同じようにした。怪我はさせないように、さりげなく。
「あなた、いいわね。空気が読めてる」
アグネッサは俺を褒めて、ひと族が多く集まる場所へ俺を連れて行くようになった。
「おい、いい気になるなよ」
睨んできたのは、屋敷で働く若い雄。攻撃的な匂いがぷんぷんする。
「ああ、聞いてるよ、あんたのことは」
こいつは俺が来るまでアグネッサにひたすらくっついて、どこへでも、寝室や風呂までついて行った。そんな風につきまとって子作りを迫っていたらしい。
雇い主を落として主人の椅子に座ろうとしてたらしい、けれどうまく行かなくて、結果そこら辺の雌と子作りしまくっていた、とか。
そんな噂を屋敷の雌たちから聞いてたけれど、だから? と思っていた。
なんでそんな話を俺に聞かせるんだろう。関係ないのに。
けど分かった。こういうことになるだろうと、雌たちは分かってたんだ。
与えられた仕事をきちんとやりきるのは当然のこと。それで優秀だと認められれば重要な仕事を任せられるようになる。少なくとも郷のために働くというのはそういうことだ。序列を決めるのはアルファであり、同じ階位の序列が上の者だ。自分で決めることじゃない。
「アグネッサが呆れるのも当然だなと思ってたよ」
まして上位にある者へ子作りを迫るなんて、頭を疑う。
「はっ、イイコぶりやがって! どうせおまえだって女食ってるんだろ」
なんでそうなる。やっぱりこいつは頭がおかしいに違いない。
「……俺はあんたと違うよ」
「ずいぶんやり方が上手いんだな。いけすかねえ真面目野郎に見えるぜ? そんなわけないよなあ? そのツラで女食ってねえわけねえよな? 白状しろよ、どうやってんだ?」
「なにを言ってるんだ」
「教えてくれよ。俺も教えてやるからよ」
「なにを」
ニヤッと笑ったそいつは、俺の胸元を掴んでグイッと顔を近づけてきた。
「この間、ゲイル様の屋敷に用心棒が雇われたんだってよ。お前よりデカくて強い奴らしいぞ」
「それがなにか?」
ゲイルというのは貴族で、いつもアグネッサに発情してる。だから俺はゲイルが近寄らないようにしてた。
「ゲイル様は、ずっと前からレディ・アグネッサを狙ってる。おまえだって知ってるだろ」
「だからそれが?」
「いいところまで行ったのに、おまえが邪魔するってお腹立ちなんだと」
そんなわけがない。アグネッサは誰にも発情していない。
匂いが分からなくても、それくらい分かるんじゃないのか。ましてこいつは今でもアグネッサに発情してるのに、他の雄と番わせようというのか。意味が分からない。
「ゲイル様はおまえを潰すって言ってるんだってよ。せいぜい怯えてりゃいい。その澄まし顔で、潰されるのを待ってろ、クソが」
どうしてそうなる。発情と序列を混同しているのか?
吐きそうになり、思わず顔をしかめていた。
ひと族には恋の病というのがあると聞いた。それは運命の番を見つけた俺たちに近いと思った。
けどこいつにそんな気配はない。ところ構わず発情してるだけだ。
それにひどく嫌な匂いがする。糞よりもっと嫌な匂い。
ああ、こいつ……
「……気持ち悪い」
「ああ? なに言った? もう一回言ってみろ」
「嫌だ。くちが腐る」
「ああ!?」
怒鳴りながらこぶしを振り上げたので、蹴りを入れて身体を離した。まだ近づいてきそうなので気持ち悪くて目一杯腕を伸ばし、のど元を抑えて床に押さえつける。これ以上近づきたくない。触れてる手も腐りそうで気持ち悪い。
「はっ……! 離せっ!!」
じたばたして触っちゃいそうで嫌だ。踏んじゃおうかな。でもその隙に動いたら面倒くさいな。
「おまえなんか……っ! 俺をなんだと思って……!」
「そっちこそいい気になるな」
意識して威嚇する。
やられたことはあるけど、やるのは初めてだ。でもなんとなく分かる。牙を剥くイメージだ。
「……ひっ」
雄は怯えたような目になって、身体の力が抜けた。すぐに手を離す。ああ、腐りそう。
「あんたが俺に勝てるわけないだろ」
ひと族に人狼が負けるわけがない。まして糞より臭い匂いがぷんぷんする、こんな奴に。
「……おまえ……っ、いったいなにもんだ……」
「さあね。物忘れの病なんだ」
ニッと、牙を剥くように笑ってやった。
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