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7.自由

 カネがたまったので、自分で部屋を借りることにした。  アグネッサの屋敷に近い建物の四階、一番高いところにある部屋。  暖炉と木の寝台があって、新しい藁と敷布は屋敷から貰えた。毛布は自分で買えと言われたけど、人狼に毛布は要らない。  風呂は屋敷で使えるしメシも屋敷で食える。足りなければ町へ出れば店がある。店のある辺りは臭いけど、鼻を閉ざすのも慣れてきて、なんとか耐えられるようになってる。アグネッサからもらうカネは最初よりだいぶ増えていて、部屋を借りても使い切れそうにない。  屋敷で暮らすのは大変だった。  たくさんのひと族がいて、夜でも働いてて月が満ちてくると気配が気になった。なにより発情した雌が食い物や飲み物を持って勝手に部屋へ来るのが嫌だった。  この部屋なら鍵を掛けられる。俺がカネを払ってるから誰も勝手に入れない。  (ここ)は夜でも起きているひと族がいるけど、この部屋は高いところにあるし、道行く何者かの足音や声や、馬車の音も遠いから、あまり耳を閉ざさなくて済む。四階に住みたがるひと族は少ないらしくて、隣は倉庫の様に使われて住んでいないので、ひと族の匂いや気配が遠い。  ずっと鼻や耳を閉ざしているのは疲れるし、鼻が効くってのが俺の優れたところなのに、ずっと閉ざしてたら弱まる気がして心配だったんだ。それに本来の自分でいられるのは凄く楽だし安心する。  そして、この部屋が気に入った理由は他にもあった。  この部屋の窓には、小さなテラスがある。  煙突掃除のためのはしごがあって、屋根に上がることができるんだ。煙突掃除の時期は部屋に掃除夫がが入るからと言って部屋代は安かった。そのせいで四階の部屋は人気が無いらしいけど、俺には好都合だ。夜中、屋根に上がっても、道にある明かりは届かず、誰も気付かない。  だから俺は、満月の夜、屋根に上がって変化(へんげ)した。  狼になって月光を浴びると力が湧いてくる。全身に漲る力を抑えきれなくて、屋根から屋根へと飛んで走った。全身の毛が、髭が、風になびくのが最高に気持ち良い。抑えきれずに遠吠えしてしまったこともある。  最高に良い気分になったけど、すぐにマズイと思って喉を閉ざし、我慢した。聞かれたら見つかってしまう。人狼(おれたち)は、遠吠えを聞けば誰なのか分かるのだ。  だけど人狼なら、下町のあの匂いに耐えられるはずがない。  そうだ、郷の連中が(ここ)に来るなんて考えられない。なら吼えても大丈夫かなと思ったけど、ひと族の町で狼が吠えたら犬や馬は怯えるし、絶対に目立つ。  ひと族は何でもすぐ噂するんだ。夜に聞こえてくる、あれはなんだって噂になったらまずい。  目立っちゃいけない。時期が来るまで、ひと族に紛れてここで過ごすと決めたんだ。  あのアルファが生きているうちは、絶対に郷へ帰らない。  いつからか、アグネッサが外出するときには必ず呼ばれるようになり、部屋で仕事をするとき以外、俺がビッシリ付く感じになってた。 「お気に入りは大変だねえ」  とか言われたけど、なんのことか分からない。  アグネッサが来いと言えば行く。居ろと言えば居る。それが俺の仕事だ。たいしたことじゃ無いと油断してはいけない。アグネッサに発情する雄はどこにでもいる。望まぬ子作りは不幸を呼ぶと俺たちは知っている。  ひと族だって同じだろうと思えば、雇い主であるアグネッサを不幸にはしたくない。  このあたりのことを下町の連中は『上町』と言ってる。金持ちや貴族なんかが住むところ。服や宝飾品の店はあるけど、上町に食いもんの店は無い。  アグネッサは好きなものを食べたくなったときや、あんまり高級じゃ無いものが欲しいとき、下町へ行く。警護を兼ねた俺たちを引き連れて。  下町へ行くと、臭いのを耐えなきゃならないって必死になるから、俺は口数少なくなるし注意力も散漫になってしまう。それを具合悪くなってると思ったやつがアグネッサに言って、下町へ行く時は置いて行かれるようになった。  それまでびっしりだった分ヒマになって、屋敷の掃除や庭の手入れなんか手伝おうかと思ったけど、めちゃくちゃ嫌がられた。 「やめてください」 「私の仕事を取らないで」 「このお屋敷でずっと働きたいんです」  アグネッサの屋敷は、かなり良い働き口らしい。  いつまでいるか分からない俺に、そういうやつの邪魔する資格なんて無いと引き下がった。 「遊んでて良いわよ。あなたの仕事は虫除けなんだから」  アグネッサも言ったから、ヒマな時間が増えて、借りてる部屋で過ごすことが多くなった。けど部屋でじっとしてるなんて拷問と一緒だ。  だから外へ出た。  本当は町を出て近くの森で狩りをしたかったけど、見つかったらと思うと行けない。なので結局、川縁に行って、カネはいらないからやらせてと漁師を手伝ったりした。  屋敷の料理人は前から言ってたらしい。 「内臓は下賤だとか言う貴族共には、この味は分かるまい」  俺も内臓は旨いと思うからそう言ったら、すごく喜んで食わせてくれた。夕飯で俺が食ってるの見たアグネッサも食べたいと言った。  料理人が張り切って作った内臓料理をメインのテーブルに出したらアグネッサは喜んだ。 「懐かしい味ね」  それから屋敷のテーブルには内臓料理が並ぶようになった。  ほんとは新鮮なナマの内臓の方が好きだけど、それでも食えるだけイイと思ってガツガツ食ってたら、内臓料理を食べたがらないやつらがくれたので、俺は毎日たらふく肉を食えるようになった。  屋敷に住みこみしないで下町から通ってるやつらは、屋敷で貰ったパンや肉を家へ持って帰ったりしてる。兄弟や親に喰わせるんだと聞いたから、俺のパンもあげた。だって屋敷のパンはあまり食った気がしないんだ。フワフワして柔らかくて、郷で食う平べったくて硬いパンとはまるで違う。俺は肉をたらふく食ってるし、あまり旨くないとはいえパンを余したらもったいない。  外へ出ても、上町には食い物の店が無い。川も遠いし、ウロウロしてもあんまり面白くない。  だから感覚が鈍い時期は下町へ行って、いろんな店を見て回った。  店が並んでいるところも色々だ。メシ屋の多い道、服屋の多い道、道具屋の多い道などさまざまある。特に臭いのはメシ屋の多い辺り。  ちっさい緑地というか広場では屋台とかが商売してるけど、匂いが酷いのであんまり行かない。  川はやっぱり安心するのでよく行った。 「おう兄ちゃん」 「男ぶりが上がったじゃねえか」  仲良くなった漁師と喋ったり、漁をちょっと手伝ったり。  教会も行った。ちょっと臭いけど、教会には本があった。  ひと族の神様なんて知らないけど、本を読んでひと族のことを知るのは良いことに思えたから、教会にも通うようになった。 「いいじゃないの、好きなことを好きなだけやりなさいな。どこの誰でもないルーカス。あなたは自由なんだから」  アグネッサは言った。 「好きなように生きられて、わたしは毎日楽しいわよ」  ────楽しい。好きなこと。  考えたことも無かった。  子狼の頃、遊んだ記憶はある。おっかけっこや木登り、チェスをしたり、相撲をしたり。二組に分かれて作戦を立て、相手の陣の宝物を取ったりとか。  みんなで力を合わせて狩ったウサギを自分たちで捌いて新鮮な内臓を食べるのは、楽しくておいしくて、最高のおやつだった。  とても楽しかったけれど、あれは群れの決まりや狩りのやり方を覚えるためのようなものだったと、今は分かる。純粋な遊び、楽しむための行動なんて、俺たちの意識にあるだろうか。  人狼は森を治める。  俺たちが生気に溢れると精霊が元気になり、精霊は森を、水を、風を健やかにする。重要なのは森を守り育み、子狼を健やかに育てて群れを保つこと。  人狼を初めとするあらゆる生き物、森にあるさまざまな木や草、川や泉、山や谷、全てまとめて郷だ。それを治める人狼が健やかで無ければ、森も生気を失ってしまう。  アルファが群れを統率し、その命を受けベータがさまざまな階位(クラス)を導く。他の人狼の郷との交渉はベータの仕事だ。シグマはひと里や他郷と上手く付き合うための、郷をより良く治めるための知恵を磨き、アルファやベータに伝える。  群れの一員となった俺たちは序列に従い、与えられた森や精霊のために必要な仕事を、それぞれしっかりこなす。仕事を与えられることは歓びだ。きちんと役目を果たすことは楽しい。楽しいからもっと頑張る。認められれば序列は上がる。責任ある立場になっていく。  そのとき感じるのは誇りだろう。先に成人したみんなは、郷のために働けることに誇りを持って輝いている。好きだから、なんて考えない。ひと族は違うんだろうか。  ひと族と人狼は相容れない。  それはこういうコトなのかな、などと考える。  俺たちだって好きなことはある。おっかけっこや森の中を走り回ること。ルウだからってだけじゃなく、狩りも好きだ。  ひと族の“楽しい”ってなんなのか考えながら、俺は“自由”を楽しむことにした。  感覚が鈍る時期は町に出て、鋭い時期は屋根の上を散歩する。  いろんな雌や雄が俺を覚え、声を掛けてくる。どうでも良い会話をしてみたり、酒を飲んだり。  郷で酒を飲むのは、限られたときだけだ。俺はまだ成人していなかったし、今まで飲んだことは無かった。ひと族に勧められても、なんとなく感覚が鈍るように思って怖かったから、手を出さなかった。  でも分かった。少しの酒は人狼の感覚を鋭くする。けどそれを超えて飲み続けると鈍りまくる。  酒はいいものだと思うようになった。だって匂いもなにも感じなくなって、すごく楽になるんだ。下町で酒を飲むことが多くなって、そして分かった。  追いはぎになった連中が、いつも酒を飲んでいる理由。  ひと族の近くに居ると臭かったりうるさかったり、色々面倒なんだ。それを感じなくなるから、あいつらも酒を飲んでいるんだろう。  ひと里にいると知らないことが一杯で、色々やってみたくなるし色んな事を知りたいと思う。こうして知恵と知識を積んでいって、いつか郷に戻ったら語り部(シグマ)を目指すのもいいかもと思ったりした。  ひと族にはひと族のやり方があり、生き方がある。  俺たちとは違うけれど、コレはコレで“楽しい”んだろう。

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